細川亨が語る野村克也からの印象深い称賛と苦言 薫陶を受けた7人の指揮官の特徴とは

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2024年01月30日 07:31  webスポルティーバ

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細川亨インタビュー(中編)

前編:目からウロコだった「西武の捕手の座り方」はこちら>>

 細川亨氏は現役時代、西武、ソフトバンク、楽天、ロッテの4球団でプレーし、7人の監督に仕えた。それぞれの指揮官の采配、特徴を語ってもらうと同時に、かつて野村克也氏が楽天の監督時代に細川氏を絶賛したエピソードについても明かしてもらった。

【秋山監督の繊細な采配】

── 西武時代は、2002年の伊原春樹監督、2004年の伊東勤監督、2008年の渡辺久信監督と、それぞれ就任1年目に細川さんがマスクを被り、すべて優勝を遂げています。それぞれの監督の印象はどうでしたか。

細川 伊原監督は三塁コーチャーが長かったので、相手の隙をつく野球でした。伊東監督は捕手出身らしく、先々を読む野球でしたね。延長12回から逆算しているのではないかと思うぐらい、緻密で繊細でした。対照的に渡辺監督は投手目線で、代える時はスパッと代えるなど継投に特徴がありました。「なんで打てねぇんだよ」とつぶやくのも、投手出身らしかったですね(笑)。

── ソフトバンクでは秋山幸二監督、工藤公康監督のもと日本一を経験しました。

細川 秋山監督は、現役時代の印象から豪快な野球をする印象があるかもしれませんが、とても繊細な采配です。「データの使い方をもう少し考えてみなさい」と指摘されたことがありました。投手の足の上げ方や、打者のスイング軌道までよく観察されていました。また一軍、二軍の全選手の動画を見て、好不調を把握していました。入れ替えのタイミングを計っていたのでしょう。工藤監督は投手の動作解析が得意で、あたかも自分がマウンドに立っているような感覚で、試合に入り込んでいました。

── そして楽天では梨田昌孝監督、ロッテでは井口資仁監督のもとでプレーされました。

細川 梨田監督は捕手出身らしく堅実な野球をする一方、近鉄の監督時代は「いてまえ打線」を指揮するなど、豪快な一面もありました。それに張り詰めた緊張感のある時にダジャレで和ませてくれるメリハリが効いた指導者でした。井口監督はメジャーでプレーしていたこともあって、序盤のバントは少ないですが、荻野貴司や藤岡裕大に代表されるように盗塁やエンドランを積極的に使ってきます。先々の流れを読むというより、自ら流れをつかむ野球という印象を受けました。

【野村克也氏から高評価】

── 楽天時代の野村克也監督は、西武時代の細川さんのリードを高く評価して、「2009年WBCの日本代表に細川を選ぶべきだ」と公言していました。

細川 同じ投手、同じ打者、同じカウントでエンドランはかけづらいものですが、そのやっていないカウントを私が覚えていて、ウエストしてランナーを刺したんです。そんなところを評価してくれたのはないでしょうか。「あんなに褒めていただき、ありがとうございます」とあいさつに行ったら、「それはいいけど、おまえ、もうちょっと打てよ」と言われました(笑)。

── 野村監督の持論に「捕手は日本シリーズで成長する」というのがあります。細川さんは日本シリーズに5回出場し、また7人の監督のもとでプレーされました。"細川流配球論"を教えてください。

細川 投手の投げたい球を投げさせるというのが、基本としてあります。その投手の状態に、打者の状態をかけ合わせて配球を組み立てます。そして「抑える配球」に「打たせる配球」も持っておかないと、本当の配球ではないと思っています。たとえば、9回まで0対0の状態が続くだろうということが5回、6回の時点で推察できた時、長距離打者にホームランを打たせて、わざと試合を動かすこともありました。

── 野村監督に「打てない」と言われていましたが、2004年にはサイクルヒットを達成しています。

細川 2004年4月4日の4並びの日に、日本ハム戦で打ちました。あれから試合に使ってもらい始めたので、ひとつのターニングポイントになりましたね。

── 犠打も通算296個(歴代9位)を記録しています。

細川 あと少しで伊東勤さんの通算305個(歴代6位)を抜けたのに残念です(笑)。

── 細川さんと言えば、バントの構えからのバスターで何度かホームランを打っているのには驚きました。

細川 打撃練習中にバスターをやったらうまくタイミングがとれて、土井正博さんと立花義家さんに「いっそのこと、それで打て」と言われて......。バスターで初めてホームランを打った時の投手は、黒田博樹さんでした。

後編につづく>>

細川亨(ほそかわ・とおる)/1980年1月4日、青森県生まれ。青森北高から青森大に進み、2001年自由獲得枠で西武に入団。08年にベストナイン、ゴールデングラブ賞を獲得。10年オフにFAでソフトバンクに移籍。13年から2年連続100試合以上に出場するなど、常勝チームの正捕手として活躍。16年オフにコーチ就任を断り自由契約となるも、楽天に移籍。18年オフに戦力外となったが、ロッテと契約。2年間プレーし、20年限りで現役を引退。引退後は21年から発足する熊本の独立リーグ「火の国サラマンダーズ」の監督に就任。22年からは社会人野球「ロキテクノ富山」のバッテリーコーチ兼ディフェンス担当として活躍中

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