【イップスの深層】「難しいプレーは簡単なんです」と土橋は言った

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2024年02月07日 16:01  webスポルティーバ

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連載第14回 イップスの深層〜恐怖のイップスに抗い続けた男たち
証言者・土橋勝征(2)

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 俊足のバッターがプッシュバントを試みる。打球は投手と一塁手の守備範囲を抜け、二塁手の手前まで転がる。誰もが内野安打だと思った刹那(せつな)、足音も立てずに二塁手の土橋勝征(かつゆき)が近づき、打球を拾って一塁にスナップスロー。間一髪、打者走者をアウトにする。

 多くの野球ファンは「さすが土橋だ」とうなり声をあげる。難しいプレーをいとも簡単そうにやってのける。それが土橋勝征というプレーヤーだった。

 しかし、すでに現役を退いて10年以上の時間を経て、土橋はこんな実情を告白する。

「難しいプレーの方が、むしろ簡単なんですよ。考える時間がなくて、流れですぐに投げなきゃいけないから。それにとっさのプレーだと、僕の手首の強さが生きますからね。僕の場合は、イージープレーの方がむしろミスが出るタイプなんですよ」

 若手時代は送球エラーの多さから「土橋は送球が悪い」とレッテルを貼られていた。しかし外野手コンバートを経て、土橋は今まで自分が下半身を使わずに手首の力に頼ったスローイングをしていたことに気づかされる。そんな自分の欠陥に気がついた土橋は、外野の守備固めとして飛躍的に出場機会を増やしていく。

 野村克也監督が就任した1990年は19試合、翌91年は39試合。14年ぶりのリーグ優勝を飾った92年は59試合、リーグ連覇、そして日本一に輝いた93年は98試合と順調にキャリアを重ねていった。

 ふたたび転機が訪れたのは94年だった。前年にセカンドのレギュラーとして打率3割をマークしたレックス・ハドラーが退団。桜井伸一、笘篠賢治、柳田聖人(しかと)といった選手が起用されたが、いずれも決め手に欠けた。そこで、土橋に内野再コンバートの話が舞い降りたのだった。

 入団当初はさんざん悩まされた内野守備だが、すでに自分のメカニズムの欠点には気づいていた。「下半身から体を使ってバランスよく投げれば大丈夫」。そう思えるだけの自信を得ていた。

 土橋は「外野を経験していなかったら無理だったと思います」と振り返る。外野手として出場機会を増やしていったことが、いつしか心の余裕をもたらしていた。

 そして、今度はセカンドとして出場していくうちに、土橋はさらに手応えをつかんでいく。

「セカンドで試合に出られるようになっても、手首で強く引っかけるクセはちょいちょい出ていたんです。でも、試合に出ているうちにサイドからアンダーくらいの、ちょうどいい腕の角度をみつけました。これなら引っかけることも少ないし、多少引っかけても上にいくことはない。そんな感覚を見つけたことで、心理的に落ち着きました」

 こうして土橋はレギュラーへの足がかりをつかむ。二塁ベース寄りの打球に対しては、むしろ手首の強さが生きた。

「手首が強いから、二塁ベース付近からでも一塁に強いボールが投げられるんです」

 ただ、平凡な正面のゴロを捕球した後や、併殺プレーで二塁ベースカバーに入ったショートに送球する際、時には「引っかけそうだ」という感覚にとらわれることがあった。そんな緊急時のために、土橋はこんな対処法を編み出していた。

「引っかけそうなときは少し左肩を早めに開いて、体をそっちに逃しながら腕だけで投げると、引っかからないことに気づいたんです」

 もし"スローイングの教科書"があれば、土橋のこの投げ方はとても褒められたフォームではないはずだ。だが、同じ骨格、筋量、柔軟性、バランスを持った人間などいない。手首の力が並外れて強い土橋という野球選手にとって、この「力を逃がす投げ方」は送球難の特効薬になった。

「指導者はどうしても『いい投げ方』を教えようとしますよね。もちろん、最低限の基本は大事です。でも、選手が自分自身の体をコントロールすることが何よりも大事だと思います。自分の体の特徴にいかに早く気づいて、対処していくかですね」

 94年には106試合に出場し、打席数は前年より200以上も多い354打席まで増えた。翌95年は129試合に出場して初めて規定打席に到達し、打率.281、9本塁打、54打点。日本一奪取に大きく貢献する。いつしか土橋は「野村ID野球の体現者」ともてはやされる存在になっていた。その原点は、すべて守備にあると土橋は言う。

「なるべく守備は何も考えずに、ストレスなくできる方がいいんです。バッティングは相手があることだから、打てるかわからない部分が多いじゃないですか。守備に不安があると、守備も打撃も両方考えなきゃいけなくなる。それはきついですよね。だからレギュラーとして出ている選手は、なるべく守備で考えず、打撃で考えるようにしている選手が多いはずですよ」

 とはいえ、土橋の「引っかけ過ぎる」という送球のクセは完全に改善されたわけではなかった。本人の言葉を借りれば「8対2で引っかかっていたのが、2対8に減ったような感じ」だという。つまり、本人の感覚としては「2割は引っかけていた」ということだ。

 しかし、多くの野球ファンには、そんな印象はないのではないか。その疑問を本人にぶつけると、土橋はさらに意外な事実を打ち明けた。それは「土橋勝征」というプロ野球選手のイメージが形作られていく過程に潜んでいた、重大な秘密だった。

(つづく)

※「イップス」とは
野球における「イップス」とは、主に投げる動作について使われる言葉。症状は個人差があるが、もともとボールをコントロールできていたプレーヤーが、自分の思うように投げられなくなってしまうことを指す。症状が悪化すると、投球動作そのものが変質してしまうケースもある。もともとはゴルフ競技で使われていた言葉だったが、今やイップスの存在は野球や他スポーツでも市民権を得た感がある。

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