【イップスの深層】横浜時代に中根仁が考えた「送球難がバレない秘技」

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2024年02月07日 16:01  webスポルティーバ

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連載第11回 イップスの深層〜恐怖のイップスに抗い続けた男たち
証言者・中根仁(3)

(イップスとカツラの共通点を語る前回の記事はこちら)

 移籍1年目のキャンプ初日──。

 野球人生のリスタートとなる大事な日に、「キャッチボールやろう」と声をかけてくれたのが駒田徳広だった。駒田自身も1993年オフにFA宣言をして巨人から横浜に移籍しており、外様の心細さを理解している。経験豊富なベテランならではの心優しい配慮だったのだろう。

 だが、声を掛けられた当人である中根仁は喜びを感じつつも、戸惑いも覚えていた。なぜなら、中根はショートスローを苦手とする送球イップスを抱えていたからだ。

「近鉄時代は、気を遣うので先輩とキャッチボールをしてこなかったんです」

 移籍初日から、大先輩を相手にキャッチボールで大暴投をするわけにもいかない。悩んだ末に中根が選んだ道は、「思い切り投げない」という消極策だった。

 幸いなことに、近鉄が約20分間かけてみっちりとキャッチボールをするチームだったのに対し、横浜は5分程度しか時間をとらなかった。しかも、距離にすれば40〜50メートルしか投げずに終わってしまう。中根はキャッチボールでは全力で腕を振らず、続く外野ノックで本格的に肩を作るようにして新天地での"ピンチ"を乗り切った。

「キャンプ中は一度も全力でキャッチボールしませんでしたね(笑)」

 しかし、駒田とキャッチボールをするなかで見えてきたこともあったという。

「駒田さんって、投げやすいなぁとあらためて感じましたね。まず体が大きい(191センチ)から、高く抜けたボールでも捕ってくれるじゃないですか。ショートバウンドもハンドリングが柔らかいから捕れる。上も下もうまいんです」

 そして何より中根が感心したのは、駒田はいくら捕球が難しい悪球を投げられても、嫌な顔ひとつしなかったことだ。高低のボールを軽々とさばく駒田の姿を見て、中根は「さすがゴールデングラブ賞のファーストだなぁ」とうなった。

 そして、当時の横浜の内野陣には送球イップスとは無縁の選手がそろっていた。石井琢朗、進藤達哉、ロバート・ローズ。おまけに控え内野手の万永貴司まで盤石だった。中根が移籍した1998年には、捕手の谷繁元信を含めた5人がゴールデングラブ賞を受賞した黄金の内野陣だったのだ。中根は言う。

「琢朗や進藤がうらやましくてしょうがなかったもんなぁ......。ヒジを支点にして、指先がきれいに外へと回っていく。ああやって、ピッと指先にかけて投げられる人が本当にうらやましかったんです」

 そんなチームにあって、中根は主に打撃で貢献していく。1998年は左打者の佐伯貴弘と併用され、6番・右翼手として「マシンガン打線」の一角を占めた。チームは38年ぶりのリーグ優勝、そして日本シリーズ制覇へと突き進んだ。

 その後も右の強打者として存在感を放ち続け、移籍3年目の2000年には103試合に出場して、打率.325、11本塁打、61打点とキャリアハイといっていい好成績を残した。

 順風満帆に見えた歩みにも、常にイップスという影はまとわりついていた。それでも、中根は横浜の若手選手からこんな言葉を掛けられたという。

「中根さん、全然イップスじゃないでしょ!」

 厳密な定義づけは難しいにしても、中根は「送球難」と「イップス」は別ものであり、その上で自分はイップスだという自覚症状があった。それでも中根のイップスが露見しなかった理由は、キャリアを重ねるなかでイップスをごまかす術(すべ)を会得していたからだ。

 中根はその秘技を教えてくれた。

「イップスになると『腕を大きく回せ』という人もいるんですが、僕は違うと思う。大きく回していると自分の腕がどこにあるかわからなくなって、ますますおかしくなる。だから僕はボールを捕ったら、そのまま回さずにボールを耳まで持っていくんです。キャッチャーみたいにね」

 そして、中根はこう続けた。「そこからシュートを投げるんです」と。

「シュートを投げるイメージだと、ほどよく指がボールにかかって離せるんです。だいたいこれで復活しますよ。ピッチャーはボールが抜けてデッドボールになるのが怖いでしょうが、野手はこれでいいと思います」

 野球選手は本来、きれいな回転のボールを投げたいと考えるものだ。野手ならばなおさらで、相手の捕りやすい球質を追求して、素直な回転を目指していく。

 だが、送球イップスになると、自分がどこでリリースしていいのかわからなくなる。その結果、ボールがすっぽ抜けたり、ボールを引っかけたりし、球筋が安定しない。精神的な不安がますます悪循環になり、選手は抜け出せない泥沼の深みへと足を踏み入れていく。

 そこへ中根の言う「シュート」は逆転の発想ともいうべきアイデアだろう。かつてインタビューした岩本勉をはじめ、「ストレートより(スライダーなど)指にかけるタイプの変化球のほうがコントロールはつけやすい」と証言するイップス経験者は多い。もちろん感覚は人それぞれだが、送球イップスに悩む選手は試す価値のある方法ではないか。

 他にも中根は「イップスになりにくい」と聞いたサイドスローも試すなど、対処を重ねた。こうした水面下での試行錯誤があったからこそ、中根は華々しいプロの舞台で大きな痛手を負うことなく活躍することができたのだろう。

 現役晩年の2002年、二軍キャンプで調整していた中根は、ある高卒ルーキー内野手とキャッチボールをする。

「指先にかかったボールをガンガン投げ込んでくるんです。先輩だろうとお構いなしで、指に引っかけ過ぎることもない。驚きましたよ。緊張とか遠慮とか、そういう感覚がないんだろうな。こういうヤツはイップスにならないんだろうなぁと思いましたね」

 そのルーキーとは、ドラフト5巡目で入団した吉村裕基だった。のちに一軍で34本塁打を記録(2008年)するほどの中心打者になり、現在はソフトバンクに所属している。

「そんな吉村でも、送球が悪いということで外野に回されるんですから......。いかにスローイングが難しいか、ということですよね」

 中根はそう言って、やはり爽やかに笑うのだった。

(つづく)

※「イップス」とは
野球における「イップス」とは、主に投げる動作について使われる言葉。症状は個人差があるが、もともとボールをコントロールできていたプレーヤーが、自分の思うように投げられなくなってしまうことを指す。症状が悪化すると、投球動作そのものが変質してしまうケースもある。もともとはゴルフ競技で使われていた言葉だったが、今やイップスの存在は野球や他スポーツでも市民権を得た感がある。

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