江川卓が先取点を奪われテレビ局は「江川が打たれて作新が負けた!」のテロップを準備した

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2024年03月01日 17:31  webスポルティーバ

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連載 怪物・江川卓伝〜夏の甲子園初戦、延長15回の死闘(後編)

前編:江川卓の心身疲労、仲間との亀裂...作新学院の大きすぎる不安要素>>

 1973年夏、センバツに続き甲子園にやってきた江川卓擁する作新学院は、日本中が注目するなか、1回戦で柳川商と対戦した。江川は自慢のストレート中心のピッチングで、三振の山を築いていく。だが、この日の江川はいつもとは様子が違った。

【連続無失点記録は145イニングでストップ】

 異変が起きたのは6回表、柳川商の攻撃の時だった。

 この回先頭の1番・吉田幸彦は、江川のグラブをかすめるピッチャー強襲ヒットになるかと思われたが、ショートがうまくカバーしてワンアウト。ポーカーフェイスが信条の江川だが、その表情は少しこわばっていた。

 つづく2番・古賀敏光はサードへの強烈なゴロがイレギュラーしヒットとなる。そして3番の西田(旧姓・松藤)洋を迎えた。西田はフルカウントからの6球目、真ん中ややアウトコース寄りのストレートを弾き返し、これが右中間を抜ける三塁打となり、柳川商に待望の先取点が入る。これで江川の連続無失点記録は145イニングでストップとなった。

 ちなみに、江川が連打で点を奪われたのは、1年秋の地区大会準決勝の宇都宮戦以来。高校3年間の公式戦で連打により点を取られたのは、この試合を含めてたった2度だけである。まさに怪物である。

 ほとんど長打を打たれたことがない江川は三塁へのカバーを忘れてしまい、呆然とした顔で右中間を見つめていた。

 1点を取られただけで、作新応援団は慌てた。「負けるかもしれない......」。誰もがそう思っていた。高校野球を中継しないテレビ局は、急遽『江川が打たれて作新が負けた!』というテロップを用意したほど。江川が先取点を取られたことは、事件級の扱いとなった。

 江川が打たれて先制点を許すといった、これまで経験のない展開に作新ナインに動揺が走ったが、7回に打線が奮起し追いつく。その後も再三ランナーを出すもホームまでが遠く、追加点を奪えない。だが9回裏、作新は一死一、三塁と絶好のサヨナラのチャンスを迎える。この時、柳川商が奇策に出る。センターの西田が述懐する。

「じつは夏の甲子園前に、福田(精一)監督は久留米にいる高名な占い師のところへ行ったんです。そしたら、占い師に紙が入った封筒を渡されたんです。その紙には『1回戦はとてつもないチームと当たります。勝つか負けるかは時の運です』と書かれていました。私もその占い師のところに行って紙をもらうと、そこには『甲子園で守備位置が変わります』と書いてあったんです。そのとおりになったんですよね。作新と当たったし、守備位置も変わったし」

 柳川商はスクイズ警戒のため、センターの西田をサードとピッチャーの間の付近に就かせるシフトを敷いたのだ。いわゆる"内野5人シフト"である。

 このシフトは県大会の時にも一度やっており、成功している。柳川商の狙いは、単にスクイズ警戒だけでなく、外野に打とうとするとより力が入ってしまうという人間の心理をついたものだ。また、当時は木製バットだったからこそできたシフトと言える。

 作新はこの奇策にまんまとハマり、得点を奪えない。12回、14回にもサヨナラの好機をつくるも、この変則シフトのおかげでことごとくチャンスを潰している。とくに14回は、一死から江川が三塁打を放ち、4番の亀岡(旧姓・小倉)偉民を迎えるも、強振した打球は西田のグラブに収まり、一塁に転送されアウト。記録上はセンターゴロという珍しいケースとなった。

【延長15回、薄氷の勝利】

 スタミナに不安を残していた江川だったが、後半はカーブを主体に柳川商打線を封じ込める。そして延長15回裏、作新は二死一、二塁から1番の和田幸一がセンター前に弾き返し、二塁ランナーの野中重美がホームへ駆け込む。センターからの好返球でタイミング的にはアウトだったが、これをキャッチャーが落球。作新がサヨナラで勝利し、2回戦へと駒を進めた。

 サヨナラ打を放った和田は、こうコメントしている。

「いつも、ほかの(江川以外の)ヤツは何をやっているんだ、と言われるんです。県大会の時から野次られていました。僕らも一生懸命やっているんですけど、ダメなんです」

 勝利者インタビューなのに、まるで敗戦の弁を語っているようだった。

 初めて延長15回を投げきった江川には、疲労感しか残っていなかった。15回を投げ、球数219球、被安打7、奪三振23、四球1、失点1。

「1回からいつ打たれるかと不安で仕方がなかった。よかった......」

 勝ったことへの喜びなのか、それとも試合が無事に終わったことへの安堵の気持ちだったのか。いずれにしても、苦しい夏を予感させるスタートとなった。

(文中敬称略)

江川卓(えがわ・すぐる)/1955年5月25日、福島県生まれ。作新学院1年時に栃木大会で完全試合を達成。3年時の73年には春夏連続甲子園出場を果たす。この年のドラフトで阪急から1位指名されるも、法政大に進学。大学では東京六大学歴代2位の通算47勝をマーク。77年のドラフトでクラウンから1位指名されるも拒否し、南カリフォルニア大に留学。78年、「空白の1日」をついて巨人と契約する"江川騒動"が勃発。最終的に、同年のドラフトで江川を1位指名した阪神と巨人・小林繁とのトレードを成立させ巨人に入団。プロ入り後は最多勝2回(80年、81年)、最優秀防御率1回(81年)、MVP1回(81年)など巨人のエースとして活躍。87年の現役引退後は解説者として長きにわたり活躍している

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