元日本代表・山田幸代が明かす、ラクロスが2028年ロス五輪追加競技となるまでの経緯 ルールやプレー人数の変更など「柔軟に対応できた」

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2024年03月12日 10:41  webスポルティーバ

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山田幸代インタビュー(後編)

 2023年秋、ラクロスを含む5競技が2028年ロサンゼルス五輪の追加競技として承認された。世界ラクロス協会(正式名称:WORLD LACROSSE)の選手会理事として五輪競技用の6人制ラクロスのルール策定に関わった山田幸代さんとしても、喜びの瞬間だった。

 日本ではラクロスを知らない人もまだ多いが、この競技の魅力やオリンピックに採用されたことによる今後の日本や世界での普及への期待について、語ってもらった。

【ラクロスとはどんな競技?】
クロスと呼ばれる先に網のついたスティックを用いて硬質ゴム製のボールを奪い合い、相手陣のゴールにボールを入れて得点を競う、ネイティブ・アメリカン発祥とされるスポーツ。10人制(国際ルール)は、男女でルールに違いはあるものの、両方とも10対10で、1クオーター15分、計4クオーターで行なわれる。長さ100〜110m、幅50〜60mというフィールドサイズも共通。男子ではボディチェック(身体接触)が許されるため、選手は防具を装着する。2028年ロサンゼルス五輪で採用される6人制(シクシーズ)は長さ70m×幅36mのフィールドで行なわれ、時間は8分×4クオーターとなっている。

【五輪競技採用までの道のり】

――ラクロスがロサンゼルス五輪の競技として正式採用が決まった時、山田さんの反応はどのようなものでしたか?

「ホッとしたっていうのが一番大きかったと思います。そのため(五輪競技になるため)に活動をずっとしてきたので、すごくうれしかったです。『決まってほしいな』というところから『決まるだろうな』と確信に変わっていった頃からはもう、早く結果を知りたいという、フワフワというか不安というか、早くホッとしたいという思いがありました」

――五輪種目へのロビー活動を進めていくなかで、採用されるという確信があったのですね。

「はい。私は世界ラクロス協会で選手会理事やルール委員会のサブコミッティチェアとして中に入っていたので(感触は)ありました。日本の協会の皆さんは懐疑的だったようですが、私は『けっこう可能性ありますよ』とは伝えていました。

 ただ当初、2022年に発表される予定だったのが最終的には2023年の10月まで延期となりました。その間にいろんなスポーツが人気になったりすると、決まりかけていたものが覆るということもあるかもしれないと不安になったりもしました」

――オリンピック競技に採用されるまでの経緯を教えていただけますか?

「ラクロスが日本に入ってきたのは30年くらい前ですが、私が競技を始める前は世界のラクロス協会は男子と女子のふたつに分かれていたんです。

 ラクロスは、ネイティブ・アメリカンの陣地合戦の儀式が起源といわれていて、スコットランドから始まったのが女子のラクロスで、男子のラクロスはアメリカ大陸で広がっていきました。だから男女のルールに違いがあるのです。

 ただ、オリンピック(競技)に入るためにやれることをしましょう、分かれていた協会を統一しようというスタンスを共有できたため、ルール変更などの変化に対して柔軟に対応できました」

――それで、オリンピックのための競技のルールを山田さんたちルール委員会のメンバーで決めていった。

「国際オリンピック委員会(IOC)からは『ラクロスをオリンピックに戻すためには、人数が多いからルールを変更しなければいけない』と言われていました。それを受けて私に連絡が来て、(本来の10人制よりも少ない人数で行なうための)取り組みを始めました。

 ラクロス協会の中では(ルール等の)変化を怖がらずにどんどんと追加したり、変えていったので、"これは多分、IOCの人たちからも柔軟には見られていたんだろうな"というのはありました。ワールドゲームズ(※2017年大会で女子のみが採用され、2022年は女子が公式競技に、男子は公開競技として採用)に入ったあたりから『これはIOCの方々も見てくれている』というのがありましたし、CEOもIOCから入ってもらったりと、柔軟にごそっと変えたりしていましたね」

※ワールドゲームズ=五輪で採用されていない競技の総合競技大会。オリンピック・パラリンピックの翌年に開催される。国際オリンピック委員会(IOC)が後援している。

【五輪仕様ルール策定における紆余曲折】

――ラクロス界がオリンピックを目指したのは、どのような理由だとお考えですか?

「やはり、ラクロスをグローバルスポーツにしていきたい思いが非常に強いからだと思います。一番難しかったのが、男子と女子のラクロスでは『生まれ』や『育ち』が違うためにルールが全く違うこと。そこをうまくフォーマライズする(融合)役を私がやっていたのですが、オリンピックを通してルールをフォーマライズすることで世界のスポーツにしたいという思いがありました」

――通常の10人制とオリンピックの6人制では、同じラクロスといえど、かなり競技内容は違うのでしょうね。

「そうですね。ラクロスがまだどんなスポーツか浸透していないからこそ、変えるチャンスだったので、両方を面白いものにしていくというのが私たちの課題です」

――オリンピックで採用される6人制は、どこかバスケットボールに似たところがありますね。

「はい、私もルールを決めるメンバーだったので、6対6でバスケっぽくなっています(笑)。IOCから競技人数を減らせと言われて、私が女子のサブコミッティ(小委員会)のチェア(まとめ役)をやっていて、男子のコミッティのチェアがいて、このふたりの上にもうひとりがいて。その3人で、異なっている男女のルールを互いに寄せるなどしながら、ベースを作っていきました。

 フィールドの大きさについては私が決めました。でも、もうちょっと狭くしたかったんですよね。というのも、日本ではラクロスのためにフィールド(のスペース)を取るのが大変で、サッカーフィールド、また芝のグラウンドを借りることが難しいからです。

 ですから、フットサルコートが2、3面あるような広い場所なら日本でもたくさん練習ができるだろうなと思っていたので、もっと小さいフィールドを提案しました。ただ、小さすぎてもラクロスの醍醐味がなくなるので、70m(サイドの長さ、エンドは36m)というところに落ち着きました」

――紆余曲折があったのですね。

「ラクロスが主に欧米で盛んで、なおかつ私の第一言語が英語ではないこともあって(自然と中立的な立場の役割として)、『このルールを残してほしい』『これはこうしてほしい』といったさまざまな要望が私のところに来て、大変でした。

 なかには『ラクロスは10対10が面白いのだから、その形でIOCにプレゼンをしてほしい』みたいなことも言われて、驚きました」

――6人という人数も、決める過程のなかでは7人や5人など、他の可能性も話し合われたのでしょうか?

「ありました。最初は7人の可能性も話し合われていましたが、それだと多すぎるからフィールドのなかの5人とゴールキーパーひとりの6人にしようとなったわけです」

――オリンピック競技にするために、相当な労力を使われた。

「この4年、めちゃくちゃ大変でした。すべてボランティアでやっていましたし、やっぱり情熱がなかったらここまでできなかっただろうと思います。ミーティングも、アメリカやヨーロッパの時間に合わせてやることが多かったので、(日本時間の)朝の3時に、ということもざらでした」

【ロス五輪後の競技の未来像】

――ラクロスのオリンピック競技採用は、競技の盛んなアメリカ大会だからこそ機運が高まったのでしょうか?

「そうですね。パリ五輪ではなかったです。パリはもう初めから(参加選手総数の上限が)1万人になると決められていたので、絶対無理だと思っていましたし、ロスの次が(ラクロスの盛んな)オーストラリアのブリスベンになる可能性が高いこともある程度わかっていたこともあります。

 今回、ロサンゼルス五輪の追加競技には5つの競技が採用されたじゃないですか。そのうち、この先も残るのはクリケットとラクロス、スカッシュじゃないかと予想しています。ロス五輪後もオリンピックに残ることも、私たちの目標設定でした」

――ラクロスではアメリカ先住民族のホデノショニのチームが参加する世界大会もありますが、彼らは国ではないため現状ではロサンゼルス五輪に出場することは難しそうな状況ですね。

「そこは問題ですね。ただやっぱり、難しいとは思います。ホデノショニは一番のスターチームで、私たちもネイティブ・アメリカンの人たちのチームを国として称えているので、出てほしいですけどね」

――6人制がオリンピックで採用されたことで、これがこの競技の未来のようにも思えるのですが、山田さんはどのようにとらえられていますか?

「(7人制のある)ラグビーみたいになるのかなと思います。従来からの10対10も盛り上げる一方で、世界的にはシクシーズのほうが広がっていくと思うんですよね。というのも、ラクロスの参加国は91カ国でIOCからは『増やしなさい』といわれています。

 オリンピックに採用されるためには競技団体に75カ国以上が参加していることが前提になるのですが、今の91でいいのかと。これを増やしていくのも私たちのミッションですけど、6人制のほうが広がりやすいですよね。

 ラクロスをやっている人からすれば10対10のほうが満足感があるでしょうが、見る側からすればシクシーズ(6人制)もとても面白いと思います」

【競技の普及のためにこれからも】

――ロサンゼルス五輪の予選方式はもう決まっているのでしょうか?

「今、決めている段階です。ワールドゲームズには今までは世界選手権のトップ8が出る形だったんですけど、地区予選で出場国を決めることになると思います。日本はアジア・オセアニア地区なので、そこから何チーム出られるか。出場国が8だったら多分、2チームしか出られない。もし12チーム出場なら、2、3チームは出られるかなと思います。

 現状のままだと日本がオリンピックに出場できる可能性は90%くらいあると思いますが、いろんな国が今、シクシーズにグッとシフトしていているんです。中国などはすごく伸びてきているので、私の中では危機感はあります」

――日本は出場となればメダルを狙うことも可能でしょうか?

「今、男女ともアメリカとカナダが強く、そこにイングランド、オーストラリア、日本が続く形です。日本は男女とも5位くらいのレベルで、男子は2022年のワールドゲームズで銅メダルを獲ってくれました。ですから、メダルを獲る可能性はあります」

――山田さんはロサンゼルス五輪とそれ以降のラクロスにはどのように関わっていこうと考えていますか?

「私は、どんな形であろうとラクロスの普及と子どもたちにこの競技を知ってもらう機会を作っていきたいと思っています。3月にある『レモンガス SEKAI CROSSE 2024』(18日と20日に大井ホッケー競技場と富士通スタジアム川崎に男女アメリカプロリーグのオールスターチームと南オーストラリア代表を招聘して試合を開催する)などを通じて、ラクロスに触れる機会を創出していくのが役割と思っています」

―― ゆくゆくは日本代表の監督にもなりたいとお聞きしています。

「そうですね、いつかは日本の選手たちに『世界』を伝えたい、一緒に戦いたいというのはあります。そのためには自分もまだまだ力をつけて信頼を勝ち取らなければならないですが、日本が強くなるためにも自分のできる最大限の協力をしたいと思います」

―― ラクロスにはおしゃれな印象もありますが、それも競技のアピールポイントですか?

「そうですね。ファッショナブルなスポーツであることは良さとして残していきたいですね。実際、見た目も生き様もかっこいい選手たちって多いんですよ。女子の場合、スカートを履いてかわいらしい格好なんですけど、フィールドに入ったらすごくかっこいい」

――最後に、改めてラクロスを見たことやプレーしたことがない人たちに向けて競技の魅力を教えて下さい。

「ラクロスはどんな人にもその人の特徴が生かせるポジションがありますし、すごく激しく、スピーディなスポーツで日本人にも世界が近いスポーツです。冒頭にも言いましたが、スティックですべてが完結するスポーツで、子どもたちにもぜひ1度、やってもらいたいです」

インタビュー前編はコチラ

【Profile】山田幸代(やまだ・さちよ)/1982年、滋賀県生まれ。中学からバスケットボールを始め長浜北星高では3年連続でウィンターカップに出場。京都産業大入学後にラクロスを始める。2007年には日本人初のプロ選手となり、2008年からはオーストラリアリーグでプレー。2017年のワールドカップ(世界選手権)とワールドゲームズにオーストラリア代表として出場している。世界ラクロス協会の理事やルール委員会サブコミッティチェアマンも務め、オリンピックで採用された6人制(シクシーズ)のルール策定にも携わった。株式会社Little Sunflower代表取締役社長。

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