私を産んで「役に立たない嫁」と罵られた母。43歳女性が語る、それほど昔でもない地方の実態

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2024年03月14日 22:11  All About

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女性らしい生き方についての考え方は、個人差も大きいが、首都圏と地方の格差も大きい。地方に生まれ育ったアラフォー女性ですら、「女が勉強なんて」という空気が人生の基盤だと振り返る。
人は、ある程度の年齢まで自分が育った「家庭」しか知らない。どうしてもそれが自身の基盤となりがちだ。だからこそ、自分が子どもを持ったときにじっくり過去を振り返ってみたという女性がいる。

私を産んだ母は「役に立たない嫁」

地方のある小さな町で産まれ育ったヒナさん(43歳)。祖父母は農業を営み、父は地元団体職員、母は教師だったが結婚と同時に仕事をやめた。

「祖父は毎晩のように地元の飲み屋へ出かける。祖母はそれをよく思っていないけど、直接夫に文句は言えない。だから嫁である母をいびる。父はどちらの味方もせず知らん顔。

そんなドラマに出てくるような典型的な三世代家庭でした。母は、私が生まれたとき『女か。役に立たない嫁だ』と祖父母に言われたそうです」

だから3歳違いの弟が生まれて、ようやく家庭内での場所が確保できたと母が語ったとき、ヒナさんは「自分は産まれなかったほうがいい存在」だと思い込んだ。

祖母にいじめられると、母はその怒りやストレスをヒナさんにぶつけた。小学校に入る前から、古い木造家屋の長い廊下や窓をきれいに磨くよう母に命じられた。

「勉強しなくていい」という祖母

「幼稚園には1年保育で入園したんですが、なぜかすぐやめたんですよね。私の記憶では、母から『明日から行かなくていいから家の中のことをやって』と。もしかしたら幼稚園に入ったのを祖母に反対されたのかもしれません。

あるいは母自身、幼稚園に行かせるより家事働きをさせたほうが効率がいいと思ったのか……。幼稚園入園は父の意思だったのかも。いずれにしても今になってはわかりませんが」

小学校に入ってからは、ますます家事や弟の育児を手伝わされた。学校は楽しかったが、宿題すらまともにできないこともあった。

「母も農家を手伝っていたので、私は小学校低学年から見よう見まねで夕飯を作っていました。たいしたものは作れなかったけど、ごはんを炊いて味噌汁作って、魚を焼くくらいはできたので。

祖母は『女が勉強なんかしてどうなる』と母をせせら笑うように言っていました。母は大学を出て教師になっていたけど、結局、専業主婦ですからね。そんなに昔の話じゃないのに、実際にあったんですよ、こういうことが」

母が帰ってきて、あと一品作れば夕飯は完成だが、外で働く父はそれでは満足できなかったよう。たびたび「もうちょっとマシなものはないのか」と怒鳴っていた。

「いつも家の中が殺伐としていた。笑顔なんてなかった。中学生になって初めて、友だちの家で夕飯をごちそうになったとき、家族みんなが笑顔で話しながら食べているのを見て衝撃を受けました」

高校は他の場所から通いたい。痛切にそう思ったという。

父親だけは成績のよさを認めてくれた

あまり接点のなかった父に、「東京の高校に行きたい」と告げた。中学時代のヒナさんの成績は申し分なかったから、思い切って言ってみたのだ。

「すると父は、そうかそうかって。父だけは私の成績のいいのを認めてくれた。『男も女も関係ない。おまえは自分の得意分野を活かせ』と。それを自分の母親に言えないのが父の弱いところでしょうね。

そのころ祖父が、行きつけのスナックで大騒ぎして警察に連れて行かれたりしたこともあって、家の中も荒れていたんです。祖父はアルコール依存症だったんだと思う。酔うと暴れて祖母を殴ったりもしていた。

母は止めようとしませんでしたね。祖母が殴られているのをいい気味だと思っていたのかもしれない」

無理矢理家を出て、東京の親戚の元から高校に通い、いい成績で国立大学に入学した。実家のことにはまったく関心を持とうとしなかった。関心を持つまいと努力したのかもしれない。

「学生時代に祖父が亡くなりました。すると母はあっけなく祖母を施設に入れてしまった。弟も東京の大学に出てきたのですが、母はあとを追って弟のアパートに居座った。

弟は逃げて学生寮に移ったので、母はあきらめて自宅に戻った。そんなこともあったそうです」

家庭を持つなど「そら恐ろしい」とも

家庭を持つなどというそら恐ろしいことはしたくない。ヒナさんはそう思って恋愛からも目を背けていた。

「心はあげられないけど体だけのつながりならいいよ」と告白してきた男性に言って、ドン引きされたこともある。自分自身が歪んでいたと彼女は寂しそうに笑った。

就職してからは仕事に全力を傾けた。30歳から付き合い始めた、2歳年下の彼によって、ようやく少しずつ彼女は変わり始めた。すでに自分が歪んでいるとは思っていたが、どこがどう歪んでいるのかわからなかったのだそうだ。

「カウンセリングも受けましたが、結局、自分の中で答えは出ていました。私自身が、産まれ育った家庭を再現するような気がして怖かったんです。

結婚した夫を信頼できず、産んだ子を疎ましく思うような人間なのではないか、人間関係をまったく構築できない性格なのではないか……。そんな気持ちを彼が少しずつほぐしてくれた」

35歳で結婚、すぐに妊娠したとき、体調の悪さを感じながらも「子を持つことが楽しみになった」と彼女は言う。お腹の中で動いたときは、自分の子だけど自分のものではないとも確信した。この子にはこの子の意志がある、と。

「思い通りにならないこともあるけど、それは経験済み。むしろ私、耐性のある母親みたいです。あの人たちを反面教師にすればいいと開き直れた。親にしてもらえなかったことをしようとは思いません。

自分の娘が何を欲しているのか、何を考えているのか、それをちゃんと知りたいと思っています」

それでもときどき不安になるとヒナさんは言う。あの祖母、母から自分が受け継いだものをきちんと整理、取捨選択できるのか。それが自分の人生に課された問題かもしれませんと彼女は少し晴れやかな顔で言った。

亀山 早苗プロフィール

明治大学文学部卒業。男女の人間模様を中心に20年以上にわたって取材を重ね、女性の生き方についての問題提起を続けている。恋愛や結婚・離婚、性の問題、貧困、ひきこもりなど幅広く執筆。趣味はくまモンの追っかけ、落語、歌舞伎など古典芸能鑑賞。
(文:亀山 早苗(フリーライター))

このニュースに関するつぶやき

  • ウチの義母だな、だから一切の施しを断った。もっとも向こうからも何も来ないけどね、孫に対してでさえ。「親戚一同を敵に回したな」と言われたっけ。知らんわ。
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