甲子園初出場の別海高校を変えた「地獄の紋別合宿」 創部46年目の全道初勝利&目標のベスト4進出を果たした

2

2024年03月18日 17:51  webスポルティーバ

  • チェックする
  • つぶやく
  • 日記を書く

webスポルティーバ

写真

別海高校〜甲子園初出場までの軌跡(4)

 2023年、夏。

 選手もマネージャーも指導者も、灼熱の太陽を浴びて体力を消耗していた。

 新チームを始動させていた別海高校は紋別にいた。朝は宿舎からグラウンドまでの3.5キロのランニングから始まり、午前中からバッティング、ノック、実戦形式の練習とフルコースのメニューを夕方近くまでみっちりこなす。練習での疲労が蓄積されるなか、また朝と同じ距離を走って帰路につく。

 これが、今も全員が顔をゆがめる4泊5日の"地獄の紋別合宿"である。

【地獄の紋別合宿の成果】

 監督の島影隆啓は「部員たちだけじゃなく、僕らスタッフだって二度とやりたくないくらいです」と、口角を下げる。

「去年の夏は、北海道も異常気象かっていうくらいの猛暑で、部員たちは肉体的にも精神的にもかなりきつかったと思います。極端な話、ズタボロの状態ながらも彼らは僕らについてきてくれて、乗り越えてくれました。あの合宿で、チームは間違いなく成長しました」

 例年も夏合宿を敢行していたが、ここまでの過酷さは初めてだったという。それだけ、島影の秋に賭ける思いが強かったわけだ。

"地獄"の成果は明らかだった。代表的な事象を挙げれば、エースである堺暖貴がさらなる飛躍を遂げたことである。

 紋別合宿後に向かった札幌遠征でのことだ。練習試合で監督から「完投してみろ」と指令を受けたエースが、2試合で完封劇を披露してみせたのである。堺が手応えを語る。

「夏の大会までは全球全力みたいな感じで投げていたんですけど、そこまで力を入れなくても抑えられるようになったというか。相手バッターとか試合の状況を見ながら力配分ができるようになりましたね」

 エースの堺を筆頭としたセンターラインの安定もあり、監督の島影が「戦えるチームになった」と拳に力を込めるほどだった。

 その別海にとって、最初にして最大の壁が釧根支部予選だった。北海道道大会に出場できるほどの力があっても、支部で跳ね返される。そんな年は少なくなかった。その理由に島影は、選手のメンタリティを挙げていた。

「うちはこれまで、『絶対に勝つ』みたいな責任に耐えられるようなチームではなかったんですね。だから、釧根支部で勝ち上がれるだけの能力を持っていたとしても、力みにつながって勝てた試合を落とすという。その壁を乗り越えられたら、『失うものがない』くらいの覚悟で戦えると思っていました」

 彼らは耐えた。支部予選では初戦の釧路明輝を6対2で撃破し勢いに乗り、釧路工を6対1、代表決定戦で釧路江南には5対1と快勝したのである。

【元4番のサヨナラ弾で全道初勝利】

 4年ぶりの全道大会出場。「ベスト4」を掲げる別海を指揮する島影は、大会で肩の荷が下りたチームにちょっとした仕掛けを施す。

 第一の矢が、7番・中道航太郎だ。

 支部予選からいまいち調子が上がらなかったとはいえ、1年生から4番に座り続けていた主軸の打順を大胆に下げたのである。

「キャプテンを任されるプレッシャーをまだ感じていましたし、『打順を下げて伸び伸び打たせよう』と思っただけですよ」

 その中道は、全道大会を目前に控えバッティングの状態が上がっていることを自覚していた。コーチの小沢永俊の指導により、肩の力を抜いてゆったりとバットを構えるフォームに修正。ボールにインパクトする瞬間、骨盤を逆回転させるようにしてバットを振り切るツイストも身につけることで、スイングのムラが解消され確実性が増していたのだ。

 全道大会での苫小牧中央との初戦は、2回に復調した中道のレフトフェンス直撃のツーベースで別海が先制した。そして、島影が仕掛けた第二の矢は1対2で負けていた8回裏。ノーアウト三塁と同点のチャンスで、2番の影山航大を迎えた場面だ。

 小技のできる2番バッター。定石どおりならばスクイズのところ、影山は強攻に出た。

「このチームは、落ち込むと立ち直れない傾向があって。影山は小さいですけどバッティングがいいんで、スクイズより打たせたほうが、仮に三振だったとしてもベンチは『次だ!』と前向きになれると思ったんです」

 打席に立つ影山自身、監督からスクイズのサインが出るものだと思っていた。それが「打て」と指示されたことで、「自分は信頼されているんだ」と胸が高まった。

 影山にはすでにイメージができていた。

「それまでの打席でインコースを攻められていたし、バッティングの感覚も悪くなかったので『外は来ないかな』と狙い球を絞って」

 インコースのストレートをライト前に弾き返す。島影の攻めの姿勢と影山の冷静さがリンクした瞬間だった。直後の9回に1点を勝ち越されたが、勢いは別海にあった。

 その裏、6番の鎌田侑寿紀(ゆずき)が粘りフォアボールで出塁すると、堺から「決めてこい!」と送り出された中道が7球目のストレートを振り抜く。「外野の頭は超えるかなぁ」と目で追っていた打球は、札幌ドームのレフトスタンドまで到達した。「元4番」が決めたサヨナラ弾。創部46年目の別海が、春夏秋を通じて初めて全道大会で勝どきを上げた。

 島影は勝利を噛みしめるように言った。

「全体を通して、リスクを考えて消極的にいくよりは思いきりプレーさせたほうが、チームに勢いが出ると思っていました。全道大会は、それがうまく回りましたよね」

【タイブレークを制し全道ベスト4】

 次の知内戦でも、その積極性が光った。

 ハイライトは1対1で迎えた、延長10回表だ。ノーアウト一、二塁から始まるタイブレークで、先頭の6番の鎌田の送りバントが内野安打となり満塁とチャンスを広げた。

 打席に立つ中道は落ち着いていた。これまで3打数0安打。それまで打ちとられた3打席をイメージしていたというのだ。

「凡打した打席は全部、変化球でやられていて。あの時も『変化球で攻めてくるだろうな』と思ったので、それだけを狙っていました」

 打ったボールが、スライダーだったかカーブだったかは判然としなかったが、縦に曲がるボールに対して素直にバットが出た。打球はレフト線を破り一挙3点。その裏、1点差に詰めよられたが逃げきり4対3で勝利。

 エースの堺も2試合連続完投と夏の地獄の成果をマウンドで示し、それに打線が応える。目標としていた全道ベスト4。島影が監督就任時に掲げていた「5年で初勝利」から遅れること3年。別海は「全道2勝」の快挙を果たすことで、野球部に新たな歴史を刻んだ。

 札幌ドームに新風を吹き込んだ別海だったが、準決勝で敗れた。夏の甲子園にも出場している強豪、北海相手に1対6。スコアのうえでは力の差が表れた形となったが、守備と走塁のちょっとしたミスが敗因だと島影は断定している。裏を返せば、そこを詰めれば互角に渡り合えることとなり、相手の力に屈したわけではないことをチームの誰もが強調する。

 彼らは敗けてなお、可能性を見出していた。

「俺たちは全国でも戦える」

 全道ベスト4という結果が、別海に確固たる自信を植えつけたのである。

つづく>>

このニュースに関するつぶやき

  • あれ? 別海高校ってノブコブの徳井の出身校じゃ?
    • イイネ!0
    • コメント 0件

つぶやき一覧へ(1件)

ランキングスポーツ

前日のランキングへ

ニュース設定