セナ没後20年。新たな「モナコマイスター」は誕生するのか?

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2024年04月04日 16:30  webスポルティーバ

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5月特集 F1 セナから20年後の世界 F1のレースのなかでも、伝統のある特別なグランプリ、それがモナコGPである。

 そのモナコGPを6度も制し、「稀代のモナコマイスター」と称されたアイルトン・セナ。彼が1994年のサンマリノGPの事故でこの世を去ってから20年。その間、 "セナのいないモナコ"はどのような歴史を刻んできたのだろうか。

 モンテカルロの街並みがどれだけ華やかであろうとも、無骨なガードレールが時に牙を剥く。そんなモナコGPで神がかり的な速さを見せ劇的な勝利を手繰り寄せる者が、F1の歴史上には幾度となく現れてきた。そして、そんなドライバーにだけ与えられてきたのが"モナコマイスター"という称号だ。その言葉にはどこか、モナコの女神に愛された者という響きが含まれているように感じる。

 アイルトン・セナがいなくなってからの20年間で、モナコマイスターという称号がふさわしいのは、きっと、モナコで5回優勝を果たしたミハエル・シューマッハをおいて他にはいないだろう。

 フェラーリ黄金期の2000年代にブリヂストンが特殊な「モナコ用タイヤ」を開発せず、ライバルであるフランスのタイヤメーカーのミシュランが、準・地元グランプリで労せずして勝利をかっさらい続けていた。もしブリヂストンがモナコ用のタイヤを開発していたら、シューマッハの勝利数はもっと伸びていてもおかしくなかった。

 そして、予選中にコース上にマシンを停めたことが妨害行為と裁定され、決勝で最後尾スタートを余儀なくされた2006年も、おそらく普通に戦えばシューマッハが勝利を収めていたことだろう。

 現役ドライバーでモナコを2回以上制したことがあるのはフェルナンド・アロンソ(フェラーリ)ただひとり。王座経験者のセバスチャン・ベッテル(レッドブル)、ルイス・ハミルトン(メルセデスAMG)、ジェンソン・バトン(マクラーレン)、キミ・ライコネン(フェラーリ)、そして父がF1王者のケケ・ロズベルグであるサラブレッドのニコ・ロズベルグ(メルセデスAMG)も、それぞれたった1度しか勝利を挙げることができていない。

 シューマッハ以降、F1界にはモナコマイスター不在の時代が続いているのだ。それは、モナコGPがF1の中で極めて特殊なグランプリであることの証でもある。

■モナコGP優勝ドライバー(1987年以降)
1987 アイルトン・セナ(ロータス)
1988 アラン・プロスト(マクラーレン)
1989 アイルトン・セナ(マクラーレン)
1990 アイルトン・セナ(マクラーレン)
1991 アイルトン・セナ(マクラーレン)
1992 アイルトン・セナ(マクラーレン)
1993 アイルトン・セナ(マクラーレン)
1994 ミハエル・シューマッハ(ベネトン)
1995 ミハエル・シューマッハ(ベネトン )
1996 オリビエ・パニス(リジェ)
1997 ミハエル・シューマッハ(フェラーリ)
1998 ミカ・ハッキネン(マクラーレン)
1999 ミハエル・シューマッハ(フェラーリ)
2000 デビッド・クルサード(マクラーレン)
2001 ミハエル・シューマッハ(フェラーリ)
2002 デビッド・クルサード マクラーレン
2003 ファン・パブロ・モントーヤ(ウィリアムズ)
2004 ヤルノ・トゥルーリ(ルノー)
2005 キミ・ライコネン(マクラーレン)
2006 フェルナンド・アロンソ(ルノー)
2007 フェルナンド・アロンソ(マクラーレン)
2008 ルイス・ハミルトン(マクラーレン)
2009 ジェンソン・バトン(ブラウンGP)
2010 マーク・ウェバー (レッドブル)
2011 セバスチャン・ベッテル(レッドブル)
2012 マーク・ウェバー(レッドブル)
2013 ニコ・ロズベルグ(メルセデス)

「モナコのドライビングは他のサーキットとは少し違う。ミスの許される余地がほとんどないからね。限界ギリギリで走っているのにミスが許されない。これは本当にここでしか味わえない特別な感覚なんだ」

 2014年モナコGPの優勝候補最右翼であるルイス・ハミルトンはそう語る。

 最速のマシンを手にしていようとも、決勝レースの78周のうちたった一度のミスですべてを失ってしまう可能性がある。勝利にもっとも近い場所にいるからこそ、彼はよりリアルにその恐さを感じているのだろう。

 そして、そんなサーキットだからこそ、ドライバーの腕が試される。フェルナンド・アロンソは言う。

「ドライバーが大きな"違い"を生み出すことのできる、数少ないサーキットのひとつであることは事実だ。他のサーキットでは、マシン改良によって0.2〜0.3秒を稼ぐことが重要になる。しかし、モナコでは、クルマに自信を持って限界まで攻めることができれば、縮められるタイムは0.5秒にも0.7秒にもなるんだ」

 だからこそセナは、どんなマシンに乗っていようといつの時代にもこのモナコで速かった。

 しかし、今はやや事情が異なる。マシン技術が先鋭化したことで、ドライバーの「腕」が介在する範囲が狭くなっているからだ。

「モナコではクルマの重要性が下がるとは言え、それでもケータハムが勝てるというわけではないし、マシン性能の善し悪しが勝負を分ける最大の要素であることに違いはないよ」(アロンソ)

 空力性能が問われる高速コーナーがないモンテカルロ市街地コース。そんな特殊なサーキットでのレースは"捨て"て、ほかのグランプリでの勝利を優先するという発想は、シューマッハの時代からすでに芽生え始めていた。シューマッハ以降にモナコマイスター不在の時代が続いているのは、ある意味こうした技術競争の先鋭化を反映したものと言えるかもしれない。

 そして、ドライバーのドライビング技術もまた先鋭化し、裏を返せばそれは、マシン性能差をひっくり返すほどのドライバーの力量差が存在しない時代、つまり、近年しばしば声高に叫ばれるドライバーの没個性時代を象徴する事象であるようにも思われる。

 しかし、歴史を振り返ってみても、モナコは経験の浅いドライバーが勝利を収めたことは皆無と言っていいほど、若いドライバーに対してその門を固く閉ざしている。

 一方で1996年にリジェ無限ホンダを勝利へと導いたオリビエ・パニスや、2004年に自身のキャリアで唯一の勝利を挙げたヤルノ・トゥルーリなど、モナコではベテランが思いも寄らぬドラマを生み出すことも少なくない。

 だからこそ、1984年のデビューシーズンに豪雨のモナコで非力なトールマンを駆って2位を快走し、赤旗終了さえなければ勝利は確実だったと言われるセナの鮮烈モナコデビューは、より一層強く輝きを増す。

 どれだけマシン性能差があろうと、どれだけ有能なライバルが存在しようと、自らの神がかり的な速さと天から授かった幸運によってモナコを幾度も制した。それこそがアイルトン・セナが「稀代のモナコマイスター」と呼ばれ、今も讃えられている所以である。

 セナがこの世を去ってからの20年間で、彼を上回るモナコマイスターは生まれてこなかった。モナコの女神は、いまだに愛すべき次世代の星を探し続けている。

 果たして今年のモナコGPで、その称号を継ぐ者は現れるだろうか。

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