テレビ業界のハードワークは、なぜ無くならないのか

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2024年04月16日 16:21  ITmedia NEWS

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 この連載ではこれまで、主に映像・放送技術のDX化についてフォーカスしてきたが、そもそもDXとは、人の働き方改革とセットの話である。今回はテレビ業界の働き方について、DXによる働き方改革は起こりうるのかを考えてみたい。


【クリックで表示】昔のテレビ番組の制作体制。現代とは全く異なっている


 映像業界は数多くあるが、特にテレビ業界の過酷な労働は、「AD哀史」といった格好で多くの人に知られる事となった。そこでテレビ業界では、AD(アシスタントディレクター)という名称を廃止し、YD(ヤングディレクター)、LD(ラーニングディレクター)、ND(ネクストディレクター)といった名称に変更する動きになっている。


 気持ちは分かる。筆者がテレビ業界のど真ん中で仕事をしていたのは1983年から2000年を少し過ぎたあたりぐらいまでだが、当時のADとはディレクターの見習いといった要素が強かった。LDやNDといった呼び方も、その当時の業界構造であれば理解できるところだ。


 テレビ番組には多くの人が関わっているが、大きく分ければ制作系か、技術系に分類できる。制作はプロデューサーやディレクター、ADなどの演出に関わる部分で、技術系は撮影、照明、編集、MA、送出など、エンジニアリングに関わる部分である。制作と技術は会社や組織構造が別になっており、ある意味それぞれから人を出し合ってチームを作って、番組を担当する事になる。


 技術者でもっともハードワークなのは編集で、筆者はこの仕事を数十年続けてきた。以前何かの記事に、「1度出社すると翌朝の9時まで徹夜勤務が続く」と書いたところ、Twitter(現X)には「まあそれは大げさだけど」と信用してもらえなかった。今の人には、信じられない勤務形態だろう。だが80年代のテレビ業界では、番組1本の編集が終わるまで編集者は交代できないので、何かのトラブルがあって翌朝までで終わらない場合は、そのままその日のお昼や夕方まで寝ずに編集をするという事もあった。1カ月の残業時間はだいたい160〜180時間で、200時間を超える事もあった。


 ただこうした労働形態は著しく労働基準法の範囲を超えるということで、労働基準局の監査が入ったポストプロダクションもあり、業界全体としては改善傾向にある。現在は編集作業をディレクターが行うケースも増えており、以前ほどハードワークが連発という状況ではなくなっているようだ。


 技術職は基本的に、自分のパートが終われば次のプロセスの人に引き継げる。一方制作系の人達、特にディレクターとADは番組の頭からシッポまで立ち会わなければならないので、いろんなプロセスの過重労働全部に参加させられてしまう事になる。


●そもそもADは「ブラック」ではなかった


 過重労働のやり玉に上げられることの多いADだが、今と昔ではそもそも雇用形態からして違うのではないかと思う。まず筆者が現役のテレビマンだった80年代から90年代の番組制作はどういう構造だったのか。以下の図を見ていただきたい。


 まずテレビ局が番組制作者として、局正社員のプロデューサーがいる。局内での責任者だ。外部の制作会社はその下に入り、自社のプロデューサーを立てる。番組に対する責任者だ。


 番組規模が大きい場合は、自社のディレクター数名で番組のコーナーを担当することになる。その中で誰か1人、もしくは持ち回りでチーフディレクターとなり、全体の演出も行う。もしくは毎週のレギュラー番組では制作が追い付かないので、1つの番組を2〜3のチームで交代で制作していくケースもある。


 ADは特定のディレクターの下について動くことが多い。1人では手が回らないので、大抵2人以上が1人のディレクターに付くことになる。AD間は対等であったり、あるいはAD歴が長い人がリーダーみたいな格好になって、その人の下に付くケースもある。学生アルバイトも使うこともあったが、責任問題もあるのであまり番組の中身にはタッチせず、モノを届けたり取りに行ったりといった雑用を担当していた。


 昔の制作プロダクションは、制作全般を1社で全てまかなえるところが多く、ADも社員、もしくは契約社員として身内に抱えていた。当時は映像制作系の人材派遣会社というのはなく、業界の老舗である「クリーク・アンド・リバー社」も創業は1990年であり、最初は編集マンの派遣からスタートしている。


 昔のディレクターとADは、師弟関係という意味合いが強かった。ディレクターの手伝いをしながら演出や制作を学び、ときおり「おい、若いヤツから見るとこれどっちがいいと思う?」などディレクターの相談相手になって、信頼関係を築いていく。そこで4〜5年修行したのち、「じゃあそろそろ小さいコーナーを任せてみるか」となって、別のADを付けてあげてディレクターデビューするという道があった。


 そうしてまた1〜2年、先輩ディレクターの指導を受けながらADを卒業し、番組のコーナーや3分ぐらいの帯番組を担当するようになり、ディレクターとして一本立ちしていくという流れである。


 つまりADは雑用の専門職ではなく、ディレクターになるための修行期間であった。上のディレクターや会社と反りが合わず、いつまでもADのままというケースもそこそこあったので、移籍も多かった。別の制作会社に移る段階で、ディレクターとして採用されるわけである。


 ADは大変ではあるが、当時はこき使われているわけではなかった。彼らは制作会社の正社員であり、やがてはディレクターになる。今にして思えば、ADへの指導は制作の方法論よりも、モラル教育のほうが比重が大きかった。こういうときはこう、こういうことしちゃだめ、みたいなのは、ケースバイケースで発生することであり、その都度ディレクターが厳しく指導していたものだった。


●ガラッと変わってしまった制作構造


 80年代後半には衛星放送が立ち上がり、レンタルビデオが隆盛を極め、映像制作というウィンドウが多種多様になっていくにつれて、テレビ制作業界も大きく変わっていった。大手制作会社のプロデューサー、ディレクターが次々と独立し、別会社を立ち上げて裾野が広がっていく。


 ただその動きはバブル期と重なっており、中小不動産会社が名刺の裏に「テレビ番組制作」と入れたいだけのために存在するプロダクションも多数あった。もうからなくても、何か仕事が回っていればそれで良かったのである。


 だがバブル崩壊とともにその体制は崩れ、多くの弱小プロダクションは仕事がなくなり、大手の孫受け、ひ孫受けとして生き延びる道を選んだ。


 番組放送後の二次利用が大きくなると、番組の制作著作はテレビ局と元請け制作会社が共同で権利を持つようになっていった。制作費を一部負担するようになれば、制作費節約のために下請け会社を使うようになっていく。自社社員を使うより、無理が利くからである。こうして、大手と中小の制作会社はもたれ合いの構造となり、今の形が出来上がっていった。


 小さい制作会社は、弟子としてのADを雇用する体力を持たず、ADを人材派遣会社に頼るようになっていった。もっと体力のない会社は、ディレクターさえも下請けのフリーを雇って体裁を整えるところもある。


 今の番組制作は、大きなビル建築みたいなものである。看板には○○建設と大手の名前があっても、実際に現場で手を動かしているは下請けや一人親方だ。


 こうなってくると、ディレクターはADを育てる義理も意識もないし、ADは将来ディレクターになるという道があるわけでもない。本当に雑用をする係として雇われているだけで、そこには派遣社員もアルバイトもあまり区別がなくなっている。


 孫請け、ひ孫請けのように、制作組織のなかで所属が分かれてしまうと、労働条件もそれぞれが異なってくる。上流は結果が上がってくればそれで良いわけで、労働条件の管理などは行っていなかった。本来派遣のADを守ってくれるはずの派遣会社の社員は、現場にはいない。実際別会社の労働条件に対して、他社がどれぐらい口出しできるのか、法的な問題もある。


 テレビが元気だった時代は、テレビ番組は毎回これまでにないものを作ろうとしていた。従って方法論も毎回手探りであった。だが時代が下って多くのノウハウが蓄積してくると、新番組とはいっても手法は以前の番組の焼き直しで済むようになる。そうなることで、細分化・分業化が可能になるわけだ。


 このため、すでに経験や技術がある者にはしがらみがなくて生きやすい世界になったが、若手が学べるというシステムは壊れてしまった。


●報じられないテレビ制作の過剰労働


 こうした過重労働が社会問題化するのは、それが報道されるからである。電通の新入社員が過労により自死を選んだ2015年の事件は、大手広告代理店という華やかな舞台での悲劇という事もあり、大々的に報じられた。だがテレビ制作における過重労働は、あまり積極的に報道されない。なぜならばテレビ局もまた報道機関であり、新聞社が親会社ともなれば、一体誰が身内の汚点を取材して報じるのか。


 DX化やAIによって、映像技術はどんどん新しいことがおこっている。一方制作進行は人を扱う仕事であり、DXやAIではどうにもならない部分が多い。人を使ってやってもらうという仕事ではあるが、作品のクオリティーは直接的に自分の手の中にあるので、いわゆるマネジメントともちょっと違うのだ。


 前段でも述べたが、編集業務に関してはAIでかなり楽になりつつある。ADの業務に編集関係の仕事、例えばインタビューのサマリーをまとめるみたいな作業は、AIによる書き起こし機能でテキストに起こし、それを別のAIに食わせてサマリーを作るなど、効率化できる部分もある。ただ、そのサマリーがポイントを外していた場合は、責任問題となる。「AIがやりました」は通用せず、「オマエは全部見たのか」と詰められる世界である。


 なぜならば番組の評価はQCような基準があるわけではなく、あくまでも手元にそろった材料でこれがベストなのか、これ以上の組み合わせはないのかといった、人が頭を使って構成するという部分が問われるからだ。そのためには、細かいステップごとの確認とOKを積み上げていくしかない。


 今も昔も、テレビ制作に関わる労働は過酷だ。それがこれまで問題にならなかったのは、普通の仕事と違って、面白がって遊んでるような部分があるからだ。面白いから、苦しいのに気付かない。逆に面白がれないならただただつらいだけなので、無理にでも面白がることが生き残る道になる。


 こうした状況では、中から変わることは難しい。変わって欲しいとは思っているだろうが、自分で変えるには「怒り」が足りない。


 一方でテレビ業界の人材不足は、深刻なものとなっている。すでに学生達の間では「テレビはブラック」というのが当たり前のように認知されており、優秀な人材は別のクリエイティブ分野に行ってしまう。「キャリタス就活」による2024年卒の就活生人気ランキングによれば、上位200位にランクインしているテレビ局は46位のNHKのみで、いかにテレビ業界が若者にとって魅力がないかが、手に取るように分かる。


 ADの名称を変えるといった「イメージの払拭」では、状況は改善しない。テレビ局主導でこんなことをしても、テレビ局自体が直接ADを雇用しているわけではないので、無意味…とは言わないが、影響力は限定的である。


 一般に後継者が育たない業界は、廃業するしかない。テレビ放送というインフラは技術を中心に残るかもしれないが、オリジナル番組制作事業が縮小していけば、ネット配信用に制作された番組を買って放送するみたいな、逆流もおきるだろう。こればかりは、DXでは救えない。


このニュースに関するつぶやき

  • わかるわー > 逆に面白がれないならただただつらいだけなので、無理にでも面白がることが生き残る道になる。
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