「労働生産性」開示する伊藤忠 あえて“下がることもある指標”を選ぶワケ

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2024年04月18日 07:10  ITmedia ビジネスオンライン

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エンゲージメントサーベイの結果から、3つの課題を発見した(統合レポート2023より)

●連載:徹底リサーチ! あの会社の人的資本経営


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近年、注目される機会が増えた「人的資本経営」というキーワード。しかし、まだまだ実践フェーズに到達している企業は多くない。そんな中、先進的な取り組みを実施している企業へのインタビューを通して、人的資本経営の本質に迫る。インタビュアーは人事業務や法制度改正などの研究を行う、Works Human Intelligence総研リサーチ、奈良和正氏。


 「厳しくとも働きがいのある会社」という人材戦略を掲げ、大手総合商社の中でも単体従業員数は最少という状況下で、労働生産性を着実に向上させてきた伊藤忠商事。


 同社の人材戦略や働き方改革に関する取り組みを人事・総務部 企画統轄室長 岩田憲司氏にインタビュー。インタビュアーは人事業務や法制度改正などの研究を行うWorks Human Intelligence総研リサーチの奈良和正氏が務めた。前編では、伊藤忠商事が人事制度変革の“失敗”を経てどのように変わったのか、中編では、伊藤忠商事の働き方改革基本方針やそれを支える人事制度について紹介した。


 後編となる今回は、KPIを労働生産性とする伊藤忠商事の覚悟や今後の展望について取り上げる。下がることもある指標を、あえて選ぶのはなぜなのか。労働生産性の向上を推進する中で、同社の人事部門に生まれた行動意識とは。


奈良: これまで働き方改革に関する取り組み、特に朝型勤務制度について詳細をうかがってきましたが、ここからは労働生産性をKPIに置いている点についてお聞かせください。


 働き方改革の定量的な目標を「労働生産性」に置かれていますが、労働生産性は明確な指標に掲げることは分かりやすい反面、とても厳しい指標であると考えています。生産性はいつでも向上するというものでもなく、停滞する時期、下降する時期もあると思いますので。


 その中でも労働生産性をKPIに定めている理由を教えていただけますか。


●労働生産性をKPIとして設定した理由


岩田: 鋭いご指摘ですね。まず企業はゴーイング・コンサーンなので、永続性が求められますよね。


 当社は創業160年の企業ということもあり、業績や株主配当など、市場に対してコミットメントしてきました。約束したことは必ずやってきている企業だと思っています。


 言ったらやる。さらに去年よりも今年、今年よりも来年と伸ばしていく工夫ができれば、当然利益も上がるし配当額も上がる。そうすれば結果的に労働生産性も上がるはずだ、というのが前提にあります。


 営業部署はもっと厳しい定量評価が下されます。その中で管理部門も一緒のレベルでコミットメントしていく、そういう意識です。


 ただリスクは高いんですけどね。チャレンジングな指標だなと。当然利益が減ることも想定できますので。そのため、不退転の決意の表れだと思うことがあります。


奈良: 少し深堀りさせていただきたいのですが、不退転とはいえ労働生産性がKPIとして掲げられていると、一般企業の人事部とは、なにか違った行動意識みたいなものがうまれるのかもしれないと思いまして。その点はいかがでしょうか。


岩田様: こちらも鋭いご質問で(笑)。


 労働生産性で目指しているものの一つに、目指す姿勢を「厳しくとも働きがいのある会社とすること」を掲げているというお話をさせていただきましたが、創意工夫を常に求められています。


 管理部門は売上数値などは見られない代わりに、工夫をしていないと、常に「前と同じ人数じゃないか」「去年と同じことやっているじゃないか」と言われます。当然言われる前にさまざまな工夫をしていきます。


 例えば入社式でさえ、桜を置くことから始まりさまざまなことをして盛り上げています。


 株主総会も同じです。株主へのメッセージも毎年工夫が必要で、どうやったら会社をよく分かっていただけるかや、どうやったらお客さんの満足度が上がるのかを常に考えなければなりません。


 行事だけではなく、人事戦略や人事制度についても創意工夫することが重要です。


 制度を作ったのはいいけど、ビジネスモデルがちゃんと反映された人事制度、評価制度になっているのだろうか、過去と違い細分化された事業を各従業員が担当している中、研修体系はマッチしているのかなど、従業員の体感値を意識することも必要です。


 当社の場合は、相対的に人数が少なく、一人一人の責任範囲が重く、制約条件がある中で創意工夫を重ねていかなければならないので、そこを意識しています。


 正直苦しい部分やプレッシャーもありますが、やりがいはありますよね。人事も毎年チャレンジなんです。


奈良: すごいですね。確かに労働生産性を掲げて、高いプレッシャーに置かれていると自ずと工夫をしますよね。やはり生産性を掲げることによる人事部としての働き方への好影響もあるとよく分かりました。


●エンゲージメントサーベイから分かった3つの課題


奈良: 今までお話を聞く中で、KPIを設けて施策を着実に推進されている印象を受けているのですが、伊藤忠商事の人事施策上の課題はありますか。


岩田: エンゲージメントサーベイを実施しておりまして、そこから分かった課題が大きく3つあります。


 1つ目は、若手・中堅(20〜30代)のエンゲージメントがやや低下していること。エンゲージメントの低下によって、予想外に早く従業員が退職してしまうことがあります。世間一般的の離職率に比べるとかなり低くはありますが、転職が一般的なものになり10年選手も結構辞めてしまいます。


 成長できる場を見いだしたいという若者の価値観もあるとは思うのですが、やはり背景には40〜50代を中心とした男性社会、古い社会の考え方があって、それが若者と少し乖(かい)離しているのではないか? という懸念があります。


奈良: 確かに、価値観の多様化に加えて、転職が与える影響も大きいですよね。


岩田: そうですよね。また、2つ目は効率重視の組織・人員体制です。人間が少ないから組織の数も少ない。


 例えば、次世代の車の開発など、新しいビジネスをやるとなった時に、蓄電池や化学品、機械などいろいろなものが割り当てられますが、組織や人員の余裕がそんなにないので、どうしても壁がに当たってしまいます。そうした時にこれを打破しなくてはいけないのです。


 3つ目は、画一的なキャリア・働き方の部分で、競争優位性としての多様性尊重や多様な働き方への理解が不足していた部分がありました。


奈良: ありがとうございます。課題を3つご紹介いただきましたが、どのような対策を取られているのでしょうか。


岩田: はい。対応方針も大きく3つで、個の尊重を促す働き方のさらなる進化、成長の機会をつくる若手・中堅の活躍支援・多様性の推進として女性の活躍支援を挙げています。


 働き方のさらなる進化では、「朝型フレックスタイム制度の導入」や在宅勤務の全社員への適用、若手・中堅の活躍支援では主体的なキャリア形成・社内流動化、女性の活躍支援では育児参画などの男性従業員の意識改革や出産早期復職によるキャリア継続支援に取り組んでいます。こうした施策のブラッシュアップのフェーズです。


 また、主体的なキャリア形成では、従業員の希望やニーズ、実現したいキャリアなど、若手従業員の声に耳を傾けています。


 そして、もう一つ大事なのが、女性の活躍支援です。これには男性の意識改革が必要になるので、2024年4月から男性の育児休暇取得を必須化する予定です。


 また、アンコンシャスバイアスという女性に対する意識を変えていこうと取り組んでおり、取り組みの一環としてこれも24年4月から執行役員の女性を新たに5人登用する予定です。社員に対する意識改革という意味では大きな問題提起かなと考えております。


奈良: ありがとうございます。課題と対応方針のマトリクスを使いつつ、課題に沿って諸施策を実施されているのですね。この他新たに実施した人事施策などもあるのでしょうか。


岩田: はい。実は21年度のエンゲージメントサーベイの結果から「組織の壁を越えたアイデア・リソース共有」が改善事項として挙げられました。


 そのため、組織案件の推進や新規事業創出のさらなる加速に向け、従業員が所属組織に縛られずオンライン上で協業可能な「バーチャルオフィス」を設置しました。


 当社では社外での兼業について、50歳以上には個別に許可しているのですが、50歳未満は原則禁止にしています。理由としては、通常業務もある中、他の仕事をする時間の捻出が難しいケースが多く、勤務時間数の管理や法令順守の観点でそのような規定を設けています。


 その一方で、組織の縦割りの打破も必要なので、組織横断的なビジネスを週5時間までであれば、自分の時間をそっちのサイドビジネスに使っていいですよとしています。今年は約80人の従業員が、募集している16案件に応募していますね。


奈良: 社内兼業制度も導入し、他の制度同様、こちらもブラッシュアップしていかれるのですね。


 人的資本経営を推進する上でのさまざまな施策や効果測定についてうかがうことができ大変参考になりました。本日はお話しいただきありがとうございました。


●著者プロフィール


奈良和正 株式会社Works Human Intelligence WHI総研


●株式会社Works Human Intelligence


大手法人向け統合人事システム「COMPANY」の開発・販売・サポートの他、HR 関連サービスの提供を行う。COMPANYは、人事管理、給与計算、勤怠管理、タレントマネジメント等人事にまつわる業務領域を広くカバー。約1,200法人グループへの導入実績を持つ。


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