「チーム200キロ」優宇が語るプロレスデビューまでの苦難 嫌がらせを受けた柔道時代、別の道も断念して辿り着いたリング

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2024年05月21日 17:20  webスポルティーバ

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■『今こそ女子プロレス!』vol.18

優宇インタビュー 前編

 プロレスにおける「強さ」とは何か。技のキレ、スピード、スタミナ、精神力、観客を惹きつける華......。人によって解釈は違うだろうが、とあるタッグチームの活躍を見ていると、「強さとはデカさ」というひとつの答えが脳裏をよぎる。

「チーム200キロ」――。158cm、100kgの橋本千紘と、156cm、100kgの優宇による、"巨大"タッグチームである。

 入場曲はボン・ジョヴィの『It's My Life』。カメラを持った観客に向かって、至近距離で両手を力強く上げてポーズを取る。試合に勝利すると、ふたりで特大おにぎりを頬張る。「強さ」と、思わず笑ってしまうような「楽しさ」が彼女たちの世界観だ。

 2019年7月にタッグを結成してから、とりわけ体を大きくしたのは優宇。かつては総合格闘技の試合に出場するために62キロまで絞ったこともあるというが、今の彼女は女子プロレス界でも類を見ない"デカさ"を誇る。

「昔は体が大きいことがコンプレックスでしたが、今は『デカいね』と言われるのがうれしい。普通の女の子がネガティブに感じることが、自分にとっては今すごく自信になっています。ここに来るまで、本当に時間がかかりました」

「デカいが個性」と胸を張って言えるようになるまで、彼女はどのような試練を乗り越えてきたのだろうか。

【小5で、高木三四郎に「入門させてください!」】

 優宇は1991年、千葉県船橋市に生まれた。父、母、ふたつ下の妹の4人家族。両親はプロレス好きで、父はジャンボ鶴田のファン、母はビューティ・ペアのファン。しかし、ふたりの娘にプロレスの話をしたことはないという。

 クラシックバレエ、ピアノ、習字、そろばん、水泳......たくさんの習い事を経験した優宇は、「将来、こんなふうにするつもりじゃなく育てられた」と笑う。小学校では陸上クラブに所属し、短距離走で活躍。家には賞状がズラリと並んでいた。

 将来の夢は、お花屋さんかケーキ屋さん。しかし、本当になりたかったわけではない。そのように言えば、周りの大人は喜ぶと思ったのだ。

「きれい事を言って、いい子でいようとする自分がいて。親戚にも『いい子だね』と言われることが多くて、そうしなきゃいけないと思っていました。本当にやりたいことがわからなかったし、"自分"というものがなかった。それがずっとコンプレックスでしたね」

 小学校5年生の時、家の近所でDDTのビアガーデンプロレスが開催され、両親に連れていかれた。乗り気ではなかったが、瞬く間に感情が揺さぶられた。暗い中、スポットライトを浴びて、体ひとつで闘っているプロレスラーが輝いて見えた。

「入場にワクワクしたとかじゃなくて、闘う姿がカッコよかった。こんなに前のめりになることが初めてだったので、心を全部持っていかれた感じです」

 プロレスラーになりたいと思った。将来ではなく、今すぐになりたい。試合後、DDTの高木三四郎社長に「入門させてください!」と言うと、「親の承諾が必要だから」と笑って流された。今思えば"大人のかわし方"だったのだろうが、当時の優宇は「親の承諾があれば入門できる」と解釈した。

 帰宅後、家でカレーを食べながら「私、プロレスラーになる!」と宣言。「三四郎がね、パパとママがOKしてくれたらいいって」と言うと、父は激昂した。「プロレスラーにさせるために、いろんな習い事をやらせたわけじゃない。プロレスはやるもんじゃない。観るもんだ!」――。

 ディズニー映画『リトル・マーメイド』に登場するアリエルに、優宇は感情移入したという。アリエルから「人間の世界に行きたい」と言われたトリトン王が、アリエルが集めていた宝物をすべて壊すシーンがある。優宇の父はトリトン王さながら、優宇が買った『週刊プロレス』を見つけると、破ってゴミ箱に捨てるようになった。優宇も必死になって、机の下に『週プロ』を隠した。

 一方で、初観戦後も観戦を続けたことでDDTの選手と交流を持つようになる。そしてある時、高木三四郎、木村浩一郎、橋本友彦に「プロレスは受け身が大事だから、柔道をやったらどうだ?」と勧められた。「柔道をやればプロレスラーになれる!」と思った優宇は、家から一番近い柔道場を探し、翌日に入門した。

【柔道部で嫌がらせを受け、不登校に】

 中学では、柔道部に入部。全国大会に出場する強豪校だった。優宇は千葉大会で優勝し、高校から推薦の話がきた。その時に初めて「これはもう、プロレスにつながっていないな」と思ったという。

 推薦で高校に進学し、柔道部に入部。1学年上の先輩たちと、副顧問の先生から嫌がらせを受けた。「週2回、実業団の練習に行っていたのが気に食わなかったのかもしれない」と当時を振り返る。無視されたり、「練習をしないで、どこどこで遊んでいた」といった根も葉もない噂を流されたりした。

「副顧問の先生が本当に嫌いでした。自分は超級だったので体重が100kgちょっとあったんですが、乱取りの時、鏡に先生の頭を突っ込ませたりしていました。当時は、ほかの部員も『憎い』と思っていたでしょうね」

 2年生の時、3年生を倒して県大会で優勝した。関東大会では3位になって夏休み中に開催されるインターハイに出場。しかし、「インターハイに出場する」という目標を達成したことで燃え尽き症候群に陥ってしまう。

「人って目標を達成したら、新しい目標を作り続けないといけないんですよね。でも若かったですし、嫌がらせが続いていたこともあって、夏休みが明けてから学校に行かなくなっちゃったんです」

 木村浩一郎に「学校に行ってないんだったら、道場に来い」と言われ、半ば引きずられるように木村の道場に行った。そこで教わったレスリングは楽しかったが、「プロレスが好きで柔道を始めたのに、なんでこうなってるんだろう......」とまた落ち込んだ。

【調教師を目指すも挫折。プロレスの道へ】

 再び学校に通い始めたのは3年生の春。その年は関東大会の決勝で敗れ、インターハイには出場できなかった。大学から推薦の話がきたが、もう柔道はやりたくない。それだけは心に決めていた。動物が大好きだった優宇は、イルカ調教師の専門学校に進学する。

 しかし、調教師には絶望的に向いていなかった。笛を吹いてイルカに生け簀(いけす)を一周させるトレーニングをした時、100人弱の学生のなかで、優宇だけがイルカに水深10mまで引きずり込まれた。

「水泳もできるし、手を離せばよかったんですけど、パニックになるとダメですね。なんとか水面に上がった時、みんなに『すごいよ。めちゃくちゃイルカに舐められてる』と言われました」

 調教師はあきらめ、陸の動物のほうに方向転換しようと、全国的に人気のチンパンジーを飼育していたテーマパークにお世話になった。しかし、優宇がショーのアシスタントをしていると、そのチンパンジーは毎回のように激しく威嚇してきた。

「動物になつかれることはあっても、トレーニングする立場になるとめちゃくちゃ舐められるんだと思った。いろいろ考えて、最終的にはダイビングのインストラクターになりました」

 その後、子宮の病気を患って実家に戻った時、幼馴染たちに誘われて新木場1stRINGで開催されたDDTビアガーデンプロレスを観戦。それがきっかけで、DDTのプロレス教室に通い始めた。リングで練習をしているうちに、プロレスラーになりたかったことを思い出し、練習生の募集要項を最初に見たのがセンダイガールズプロレスリングだった。

「でも、当時は犬を飼っていて、どうしても犬と離れるのが嫌だったんです。あと高木(三四郎)さんが『小学生の時にDDTを観に来てたあの子がプロレス教室にいるんでしょ? 絶対、東京女子(プロレス)に連れてきて』みたいな感じになって。犬にも会えるということで、東京女子に入門しました」

 2015年5月に練習生となり、2016年1月4日、後楽園ホール大会でデビュー。のどかおねえさん(天満のどか)を相手に、腕極めケサ固めで勝利した。

 そこからの快進撃はすごかった。同年の東京プリンセスカップに初出場すると、8月に行なわれた決勝で中島翔子を下し、デビューから無敗のまま優勝。翌月にはTOKYOプリンセス・オブ・プリンセス選手権で、シングル戦無敗のまま初のタイトルに挑み、山下実優を下して第2代王者となった。

 デビューから1年半、無敗の状態が続いた。無敗のままチャンピオンにもなった。しかし、プロレスは敗者に光が当たるスポーツ。優宇にはそういった意味での"光"が当たらなかった。

「チャンピオン恐怖症でした。『無敗のチャンピオン』と言われると、面白みがないんじゃないかなって。自分と対戦する選手ばっかり応援されるし、私だって応援されたかった。その時が本当につらくて......」

 優宇は当時を振り返り、涙をこぼした。

 2017年6月、プリンセス・オブ・プリンセス王座5度目の防衛戦で、坂崎ユカに敗北。デビュー以来、無敗だった戦績に初黒星がついた。それでも、彼女のコンプレックスはどんどん肥大化していった。

(後編:強いゆえに悩んだ時期も。目指すは、男子選手が「こいつなら打っても壊れないな」と思ってもらえる体>>)

【プロフィール】
●優宇(ゆう)

1991年7月19日、千葉県船橋市生まれ。小学校5年生の時、DDTビアガーデンプロレス観戦をきっかけにプロレスラーを志す。受け身の練習のために始めた柔道で、インターハイ、国体、ジュニアオリンピック出場など、輝かしい成績を残す。2016年1月4日、後楽園ホール大会でデビュー(対のどかおねえさん)。9月、山下実優を下し、TOKYOプリンセス・オブ・プリンセス王座を獲得。2018年12月、東京女子プロレスを退団。2019年4月、プロレスリングEVEの所属となる。2020年10月、橋本千紘とのタッグ「チーム200キロ」でセンダイガールズワールドタッグチームチャンピオンシップ王者となる。2022年11月13日、EVEインターナショナル王者となり、現在も防衛中。156cm、100kg。X:@yuu_tjp

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