【追悼】中尾彬さん死去、親交があった女優が語る“再会できなかった息子”の成長

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2024年05月30日 08:00  週刊女性PRIME

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週刊女性PRIME

中尾彬さん

 5月16日に、心不全のため81歳で亡くなった俳優の中尾彬さん。

低い声と首に巻いた“ねじねじ”がトレードマーク、そして13歳年下の愛妻・池波志乃(69歳)とのおしどり夫婦ぶりで知られ、最近では夫婦での“終活”も話題となった。だが、今年に入ってから体調がすぐれず、自宅療養が続いていた。5月になり溶体が急変し、最期は自宅で池波に看取られ、眠るような旅立ちだったという。

高校の先輩に俳優の故・千葉真一さん

 千葉県木更津市の出身で、武蔵野美術大学油絵科在学中に日活ニューフェイスに合格し、俳優としてデビューした。なお、高校の先輩には俳優の故・千葉真一さんがおり、

「千葉さんが大学時代に教育実習生として母校にやってきた際、中尾さんは在校生で千葉さんの授業に出ていたそうです。千葉さんは記憶になかったそうですが、その後芸能界でも先輩と後輩となり、中尾さんが『まじめじゃない生徒ですみませんでした』と謝ってきたと、うれしそうに語っていましたね」(亡くなる直前の千葉さんを取材した記者)

 中尾さんといえば、近年では貫禄ある風貌とその言動から昭和の頑固親父的なイメージで知られていたが、実際は油絵でフランス留学の経験もあるほど芸術や文学に造詣が深かった。その上、どんな人にも分け隔てなく接するおおらかな性格だったという。

「読書が大好きで、“終活”前は本が家の中にあふれ返っていて、階段にも積んでいたとか。また、テレビである小説家と共演した際、その方に会うということで作品を数冊きちんと読んできたらしい。収録の合間に『あそこが面白かった』と具体的に感想を話してくれたそうで、小説家はとても感激していましたね」(ベテランスポーツ紙記者)

 加えてこんなエピソードも。

「中尾さんの生前にある文化人が話していたのですが、その方が以前中尾さんご夫妻ととあるイベントで一緒になったときのこと。まだ人前に出ることに慣れていないのに気づいた中尾さんが、『もっと前に出たほうがいいよ。こういうところで顔を売らないと』と小声で話しかけて、前に誘導してくれたのだとか」(前出・記者)

さまざまな女性と浮名を流すプレイボーイ

 若いころは端正な顔立ちが際立っており、二枚目役も多くこなしていた中尾さん。さまざまな女性と浮名を流し、プレイボーイとしても知られていたが、1970年に俳優の茅島成美(81)と最初の結婚をする。長男にも恵まれるが、共演した俳優の故・眞帆志ぶきさんとの不倫が発覚。離婚調停となる。

 その後、ドラマで共演した池波と意気投合し、茅島との正式な離婚を待って再婚。

「長男の親権は茅島さんが持つことになり、中尾さんは慰謝料2000万円と毎月の養育費を支払うことに。そのお金のやりくりを一手に引き受けたのが志乃さんでした。ただ、中尾さんは離婚してから一度も息子には会えなかったそうです。志乃さんへの気遣いもあったとは思いますが……」(前出・記者)

 中尾さんと茅島と交流のあった、俳優の冨士眞奈美(86)はこう振り返る。

若いころの中尾さんは、背が高くて目が大きくて、日本人離れしたイタリア人俳優のような顔つきでしたね。モテて当たり前、という感じでした。中尾さんが息子さんをとてもよく可愛がっていたことは茅島さんから聞いていましたが、“子はかすがい”とはならなくて、結局離婚してしまった。その後は一回も息子さんに会わなくて、茅島さんがお一人で頑張って育てていたと聞いていました。

 ある日ドラマの現場で共演していた茅島さんに『冨士さん、ちょっとちょっと』と呼ばれたんですね。行くと『息子が大学に合格したの』と、とてもうれしそうに話してくださった。しかもかなり難関の大学でした。茅島さんと中尾さんは没交渉だったみたいだから、中尾さんはそれを知っていたのかどうか──」

「私たち夫婦には子どもがいないから」と語る、遺贈寄付のCMに出演していた中尾さん。この言葉に、発した本人を含め、心にさざ波を立てた人たちもいたのではないだろうか。

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