立ち上がる“スタートアップ特化の健康保険” 保険料率8.98%、設立の背景は

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2024年06月04日 10:51  ITmedia NEWS

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VCスタートアップ労働衛生推進協会 代表理事 吉澤美弥子氏(写真右)、理事 金谷義久氏(左)

 昨今盛んに叫ばれる働き方改革。スタートアップ業界でもよく取り沙汰される話題だ。政府が進める「スタートアップ育成5か年計画」でも、スタートアップへの労働移動の円滑化を目標に、労働環境整備のためのさまざまな取り組みが検討・実施されている。そのうちの一つに挙げられたのが「スタートアップにも対応した健康保険組合の立ち上げ」だ。


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 4月24日に厚生労働省からの設立認可を受け、6月1日に設立されたVCスタートアップ健康保険組合(VCスタートアップ健保)も、5カ年計画をきっかけとした健保の一つ。その名の通り、ベンチャーキャピタルとスタートアップに特化している。


 設立母体であるVCスタートアップ労働衛生推進協会の代表理事・吉澤美弥子氏によれば、現状スタートアップは既存の中小企業向け健保を利用しにくく、また健保に求めることも異なるという。


●保険料率は8%台、若い世代のニーズに合った運用目指す


 VCスタートアップ健保の大きな特徴は保険料率で、設立時点の料率は8.98%だ。


 中小企業が通常、最初に加入する全国健康保険協会(協会けんぽ)の保険料率は全国平均で約10%。関東ITソフトウェア健康保険組合(ITS健保)が9.5%、健保組合全体の平均でも約9.3%であることを考えると、かなり低い。スタートアップ業界の若い加入者が多いことがその理由だ。


 ITS健保などの健保組合は、企業の黒字経営を加入の前提としている。このため、先行投資により“赤字を掘って”急成長を目指すスタートアップのほとんどが加入できない。


 一方、そうした条件なしで加入できる協会けんぽの加入企業とスタートアップとでは、被保険者の平均年齢が10歳以上異なる。中高年の生活習慣病の予防にフォーカスする協会けんぽと比べて、スタートアップでは若い世代が対象になることに加え、メンタルヘルスの疾病が多くなりやすい多忙な環境でもあり、ニーズは大きく乖離(かいり)している。


 2023年、VCスタートアップ健保加入の意向を表明したスタートアップ約300社に実施したヒアリングによれば、同健保に期待することとして約半数が「費用削減・付加給付」といった金銭面の課題を挙げ、次いで「業務効率化」「福利厚生」にも期待が寄せられている。また、健康増進についても「スタートアップに適した内容の支援をしてほしい」といった声が挙がっているという。


 そこでVCスタートアップ健保では、健保組合と加入企業・加入者が利用できるプラットフォームを構築し、健保業務の電子化を強力に進めようとしている。また、加入企業であるスタートアップ自体のソリューションも活用して、デジタル化をよりスムーズに進める方針だ。


 若いスタートアップの加入を前提とし、保険料率も低いとなると、持続性には疑問が持たれる。VCスタートアップ健保では、電子申請の推進により業務効率化を図り、中長期的な財政健全化も目指すという。


 さらに被保険者である従業員とその家族の健康増進にも注力したいとして、データを活用し、スタートアップのニーズに合った健康増進につなげられるような「保健」事業も展開していく。


 保健事業については、3カ年で計画。初年度はまずデータを集める基盤を整え、2年目、3年目と健診受診率の向上や支援ニーズの明確化、個別支援強化や産業保健の支援を進めていくという。一方で、メンタルヘルスや女性の健康、若年層のがんや生活習慣病予防といった部分については、当初から健診への補助を手厚くする。


 吉澤氏は「“健康保険組合業界におけるスタートアップ”として新しいことにチャレンジし、他の健保組合にもインパクトを与えていきたい」と語る。


●新型コロナ職域接種で大企業との差を痛感、健保設立に動く


 VCスタートアップ健保設立のきっかけは、コロナ禍の頃にさかのぼる。当時、吉澤氏は独立系VC・Coral Capitalで投資を担当していたが、投資先から「スタートアップは職域接種を受けられないのか」と尋ねられた。そこで、別の投資先の医療系スタートアップでCOOを務めていた金谷義久氏に相談し、VC横断でスタートアップを集約。1100社、4万8000回の職域接種を実現した。


 「当初は1000人以上の従業員規模の大企業しか職域接種はできないという話もあった中、かなり早い段階で動き始め、中小企業の中ではおそらく最大に近い規模で迅速な実施ができました」(吉澤氏)


 運営はボランティアベース。VCとスタートアップ各社から連日、累計で570人に上るボランティアがスタッフとして職域接種を支援し、吉澤氏、金谷氏も接種会場に張り付きで対応にあたった。


 この経験から、大企業とスタートアップで働く人の健康面での格差を痛感した吉澤氏。「VCの立場で、ボランティアベースでスタートアップに従事する人たちの健康を支えるのでは持続性がない」と考え、金谷氏と健康保険組合の設立を検討していった。


 おりしも「スタートアップ5か年計画」が2022年11月に発表され、「タイミングは今しかない」と2022年12月に健保組合新設準備のための社団法人を設立した。


 吉澤氏はもともと、看護師を志して大学の看護学部に入った経歴がある。


 「電子カルテが導入されていない当時、人件費の高い医師や看護師がグラフの線を手で引いているのを実習で見て、違和感がありました。電子化の財源となる医療保険制度について調べるうちに、米国ではヘルスケアスタートアップのプロダクトを導入している医療保険があると知り、卒業後にはVC業界へ入ることにしたのですが、改めて10年ぶりぐらいにこの領域へ戻ってきたというところです」(吉澤氏)


 吉澤氏と共に職域接種の実現に設立当初から尽力し、健保組合設立にも当初から関わってきた金谷氏は、成長フェーズのスタートアップで上場準備業務や経営管理に携わり、東証マザーズ(当時)へ上場したのちに、医療系スタートアップのCAPSで取締役COOとしてクリニックチェーンの運営支援システムや健康経営支援サービスを手がけていた。スタートアップの管理業務を含めた実態にも詳しいということで、VC出身の吉澤氏と二人三脚で健保組合設立を進めてきた。


 現在は吉澤氏、金谷氏らとともに職域接種会場の運営に関わったメンバーや、健保組合出身、日本年金機構出身といった社会保険事業の経験者を中心に、エンジニアも複数名加わり、健保組合に参画している。


 「健保組合の中にエンジニアがいるというのは、かなり珍しいんじゃないでしょうか。将来の電子化やヘルスケアサービスのオンライン化を見据えた布陣です」(吉澤氏)


●スタートアップ“業界”を定義するための工夫


 健保設立と同時に加入する事業所は180社。設立後の加入を希望する328社と合わせて、加入予定の事業所数は508社となる(5月17日現在)。1社あたりの平均被保険者数は38人。比較的大きな規模のスタートアップが多いが、シード期も含めた幅広いステージのスタートアップから問い合わせが来ているという。


 スタートアップの健保組合を設立したい思いから始まったこの取り組みだが、実は、スタートアップだけを対象にした健保組合を作ることは、現在はできない。健保組合の加入企業を定義する際の基準となるのは「業種」か「資本関係」だからだ。「スタートアップ業界」と一口にいえども、その業種の内訳はB2Cのサービスからヘルスケア、核融合まで幅広く、共通ではない。


 「厚生労働省とも交渉した結果、全てのスタートアップが参加できるわけではありませんが、より早く確実に健保組合を設立するためにベンチャーキャピタルを業種として定義し、VCと資本関係がある企業としてスタートアップを定義する枠組みにのっとって、VCとスタートアップが入る健保ができました」(吉澤氏)


 吉澤氏らは「我々としては、スタートアップのエコシステムで働く人たちと大企業との環境の格差に焦点を置いている」として、健保に入らない企業も含め、設立母体となった社団法人でスタートアップ全般への支援も健保設立と同時に進める。


 具体的には就業規則のテンプレート提供や、産業医との連携によるリモートワーク従業員の健康増進策などのコンテンツ提供などを予定。健保に加入していないスタートアップにも公開していくという。


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