【今週はこれを読め! SF編】地球と人間についての脅威と希望〜日本SF作家クラブ編『地球へのSF』

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2024年06月04日 12:01  BOOK STAND

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『地球へのSF (ハヤカワ文庫JA)』日本SF作家クラブ 早川書房
『ポストコロナのSF』『2084年のSF』『AIとSF』につづく、日本SF作家クラブ編の書き下ろしアンソロジー第4弾。先行する三冊にくらべ、『地球へのSF』という括りかたは曖昧だが、そのぶん多彩な作品が集まったとも言える。「まえがき」で同クラブ会長の大澤博隆さんは、〔そもそも「地球」をテーマに視線を飛ばせること自体が、SFの特技ではある〕と述べている。全二十二篇。
 ディストピア的状況を描いた作品では、上田早夕里「地球をめぐる祖母の回想、あるいは遺言」が出色の出来。テラフォーミング途上の火星において、入植第一世代の祖母と火星生まれの孫との会話によって、地球が精神の自由を喪失した経緯が明かされる。それはいまの日本を蝕む格差・棄民・監視・情報統制の行きつく先にほかならない。火星に逃れたひとびとにも、その圧政の波がおよぼうとしている。この作品が扱っているものは、先週紹介したジョナサン・ストラーン編『シリコンバレーのドローン海賊 人新世SF傑作選』の収録作と響きあうところが多い。
 笹原千波「夏睡」は、高気温を睡って乗りきるようになった種族の、最後のひとりが主人公。彼女のとつとつとした回想の裏に、戦慄のディストピアが透けてくる。
 ディストピアそのものではないが、櫻木みわ「誕生日(アニヴェルセル)」では、人間がおこなってきた破壊が主題化される。世界各地で鏡やガラスに、突如、地球のホログラムが浮かびあがった。そのところどころに黒いところがあるのだ。物語は、日本に住む九十歳の私とフランスの九歳の少年とのアプリを介したやりとりで構成される。抑制された叙情が漂う一篇。
 かたや、塩崎ツトム「安息日の主」は人間の愚行を、SFならではのシニカルなシチュエーションで浮かびあがらせる。この未来では、サステナビリティや付加価値が本来の思想とは無縁のお題目と化している。ロバート・シェクリイやフレドリック・ブラウンを現代風にしたブラックな風刺SF。
 環境変化による異貌の未来を描いた作品も多い。
 林譲治「我が谷は紅なりき」では、巨大隕石の直撃によって地球が壊滅し、火星植民者は身体を機械化することで生き延びている。長い年月を経て、火星のひとたちは急増する人口を支えるため、禁断の領域となっている地球への帰還を企てる。しかし、そこは想像以上の魔境だった。
 八島游舷「テラリフォーミング」は、荒れ果てた地球環境を巻き戻すテラリフォーミングが構想され、さまざまな立場の代表者からなる地球再生会議が組織される。計画のカギを握るのは、孤絶した村で四十八体のAIとくらすひとりの少女だった。
 柴田勝家「一万年後のお楽しみ」は、氷河期が到来した一万年後の未来が舞台。といっても、この未来はあくまでシミュレーションされた仮想世界であって、現在のユーザーが実際の世界をAIに解析させ、それが一万年後に反映される仕組みだ。ままならない遠い因果の働きを扱っているところがSFとしての面白さだ。物語のなりゆきは一万年後から現在を映す寓話である。
 生物学的アイデアの作品では、春暮康一「竜は災いに棲みつく」が凄まじい。マグマを呑む生物、熱帯低気圧に触手を広げる生物、太平洋の海溝の隙間に浸みこむ生物、宇宙で磁気帆を展開する生物など、この作家だからこその造形だ。スペクタクルにおいては、伊野隆之「ソイルメイカーは歩みを止めない。」も負けていない。背中に共生樹を植えられた巨大生物(それはひとつの生態系を形成する森だ)が、ひたすら移動をつづける。琴柱遥「フラワーガール北極へ行く」は、環境が激変した未来で、ヒトのDNAが組み入れられているシロクマと、内部に人間のオペレータが乗っているクジラが、壮絶な結婚式をおこなう。
 関元聡「ワタリガラスの墓標」では、地球温暖化によって崩れた生態系の揺り戻しが描かれる。登場人物が呟く「生命はいつだって生きることに容赦がない」のひとことが印象的だ。吉上亮「鮭はどこへ消えた?」は、乱獲によって絶滅したはずの鮭の調理を依頼された特殊料理人の物語。犯罪サスペンス的なストーリーのなかに、SF的アイデアが光る。小川一水「持ち出し許可」では、生物好きの少年たちが、宇宙人を名乗るオオカミに「コウギョクカエルの絶滅を宣言してほしい」と依頼される。このアンソロジーのなかでは珍しい、ほどよくユーモアが漂う作品。粕谷知世「独り歩く」は、コロナ禍で閑散とした街をそぞろ歩く語り手の脳裏に、地球の生物史がフラッシュバックで浮かんでくる。星新一「午後の恐竜」を彷彿とさせる一篇。
 奇想的な地球像に描く作品もいくつかあり、このアンソロジーのアクセントになっている。日高トモキチ「壺中天」は地球空洞説を、円城塔「独我地理学」が巻紙状の平面地球を、それぞれ独自のロジックで描く。空木春宵「バルトアンデルスの音楽」では、地殻深部で響いているサウンドによって独自の文化圏が形成される。津久井五月「クレオータ 時間軸上に拡張された保存則」は、時間を越える気温コントロールの実験を扱った時間SF。
 これらひとひねりもふたひねりもある作品と対照的に、ストレートな地球SFと言えるのが新城カズマ「Rose Malade,Perle Malade」だ。治世のために天文物理を極めようとした古代中国の領主の物語である。
 ひと味変わったアイデアで目を引くのは、長谷川京「アネクメーネ」。地磁気変動の影響で人間が方向感覚を喪失してしまった世界で、遺伝子間の相互作用ネットワークの解析についての特許を持つ主人公が、キナ臭い案件に巻きこまれる。地磁気と遺伝子解析を結びつけるアイデアについてはここで明かすわけにはいかないが、それとは別に最北の地で迷子になる絶体絶命のクライマックスに息を呑む。
 矢野アロウ「砂を渡る男」は、サハラ砂漠を舞台としたアクション・サスペンス。砂を用いた蓄電システムをめぐる利権と、民族間の確執、謎めいた超拡張現実システムが交叉する。
 菅浩江「キング 《博物館惑星》余話」は、人気シリーズの新作。地球の生活に疲れた主人公アダムは、アートに興味がないのに美の殿堂である博物館惑星を訪れ、ずけずけとものを言うボランティア・ガイドのキングと出逢う。キングの筐体はロボットだが意識は人間だ。本人は地球にいて遠隔操作しているという。地球と博物館惑星とを友情が往還する、ハートウォーミングな物語だ。
(牧眞司)


『地球へのSF (ハヤカワ文庫JA)』
著者:日本SF作家クラブ
出版社:早川書房
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