大谷翔平 母・加代子さんが地元住民に打ち明けた「真美子さんの印象」

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2024年06月07日 06:10  web女性自身

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5月30日(日本時間)、メッツ戦で10試合、46打席ぶりとなるホームランを放った大谷翔平選手(29)。不調が続いたなかでの一発に、久しぶりの笑顔を見せていた。



そんな大谷の活躍を、誰よりも喜んでいる人物がいる。大谷の地元・岩手県奥州市が設立した「大谷翔平選手ふるさと応援団」の元顧問、立花公夫さん(83)だ。



「翔平君が小学校に通っていたときから20年以上、毎朝スクールガードをやっています。小学校のころは、友達を後ろから突っついたり、からかったり、そんな少年でしたが、想像以上のスーパースターになった。ベンチでのいたずらっぽい姿をテレビで見ると、当時を思い出しますね。彼の活躍が大きな楽しみです。元気をもらえます。長生きの秘訣でしょうか」



応援団の活動の目玉となるのは、大規模な打ち上げ花火。



「日本ハム時代の背番号11と、今の背番号の17を合わせた11月17日には、3年連続で本格的な花火を上げています。20分間で100万円ほどかかりますが、『勇気や希望をくれてありがとう』という翔平君への思いを込めて続けています」(立花さん)



立花さんは、今も地元で暮らしている大谷の母・加代子さんとも親交が深い。



「私が山で山菜を取って、『お母さん、こういうの食べる?』って言うと、『はい、去年もいただきましたから、いただけるなら、いただきますよ』と言って、喜んでもらってくれます。昔から態度は全く変わらないですね」



大谷の結婚発表を受け、地元は大盛り上がり。立花さんは、加代子さんにお祝いの言葉を伝えたという。



「お会いしたときに『よかったですね。いい方と一緒になりましたね』と言ったら、『はい、いい子、いい子ですよ!』と本当にうれしそうに返してくれました」



真美子さん(27)との嫁姑関係も良好そうな加代子さんだが、最近は“英才教育”に励んでいるようで――。





■近所の児童公園で孫娘に野球遊びを



「うちのすぐ近くに児童公園があるのですが、ひと月くらい前に、そこで2歳か3歳のお孫さん(大谷の姉の娘)を連れたお母さんとお会いして、ちょっとお話ししました。



お孫さんには『自由に好きなように、好きなことを頑張ってくれればいい』と思っているようですね。大きなゴム風船みたいなボールを投げて打つ、野球のような遊びを楽しそうにやっていました」(立花さん)



加代子さんの孫娘は、すでに野球に慣れ親しんでいるのだ。スポーツ紙記者は語る。



「大谷選手の姉夫妻もスポーツ一家です。お姉さんはバレーボール経験者で、夫は大谷選手も所属していた、花巻東高校の野球部部長です。その2人の娘なら、もちろん運動能力が高いはず。加代子さんも期待して、いろいろな遊びを取り入れているのではないでしょうか」



元々、大谷家は幼少期からスポーツに触れさせる方針だ。大谷も加代子さんの影響で、2歳前後にバドミントンを始めていた。



《私がバドミントンをやっていたので、はじめは練習日に翔平を一緒に連れていって遊ばせていました。(中略)翔平は最初から上手にバドミントンをやっていましたね。特別に私が教えたわけではなかったんですが、自然と出来ていました》(『道ひらく、海わたる 大谷翔平の素顔』〈佐々木享著、扶桑社〉より)



スポーツライターの友成那智さんは言う。



「大谷選手がピッチャーとして成功した要因は、小さいころにバドミントンで肩の可動域を広げたことにあるといわれています。同じような教育を受けているお孫さんの将来も楽しみです」



加代子さんの孫娘の可能性について、友成さんはこう続けた。



「メジャーリーグでは、まだ女性選手は出ていません。ただ近年は、女性審判、女性コーチなどが誕生し、女性の登用を奨励する流れがあります。お孫さんが第1号になることもあるかもしれませんね。



いちばん可能性が高いのはピッチャーでしょうか。肩の強さが違うので、速球よりも左投げやナックルに特化するのが近道だと思います。



実際、日本初の女性プロ野球選手となり、アメリカの独立リーグでもプレーした吉田えり選手は、変化球をよく投げる方でした」



もし本当に史上初の女性大リーガーを目指すことになったら、大谷が一番の助っ人になるだろう。彼は、加代子さんの孫、すなわち姪っ子を溺愛しているのだ。’21年には、オフの楽しみを聞かれ、こう答えていた。



《1週間くらい、何も考えずにゆっくりしたいですね。最近、姪っ子が産まれたので、一緒にのんびりしたいなって、ふとそんなことを考えたりしています》(『Number』’21年9月24日号)



前出のスポーツ紙記者は言う。



「かつては、姪っ子に会いたくて『シーズンが終わったらできる限り早めに帰国したい』と話していたという噂もありました。大谷選手の愛情のこもった直接指導を受けたら、二刀流も夢ではないですね」



取材の最後に、大谷が世界一になるときが楽しみですねと伝えると、



「はい、また花火ですね!」



とうれしそうに話していた立花さん。不可能を可能にする大谷一家こそ、奥州市の“華”だった。

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