テレビタレントの中山秀征さん『DAISUKI!』『ウチくる!?』『THE 夜もヒッパレ』といった名だたる人気番組のMCとして活躍し、現在も情報番組『シューイチ』の総合司会として日曜日の朝を支える中山秀征さん(56)が、自著『いばらない生き方 テレビタレントの仕事術』(新潮社)を発売した。
14歳でデビューし、芸能活動42年。消えていくタレントも多いなか、走り続けてきた中山。今でこそMCとして抜群の安定感を見せるが、当初は「なんで自分が……」という葛藤があったという。実は人見知りで不器用だという中山さんに、「生き抜き方」を振り返ってもらった。
◆群馬から飛び出し、三畳間で下宿生活
――中山秀征さんといえばMCですが、想像していた未来…ですか?
中山秀征(以下、中山):とんでもない。僕は群馬生まれで中2の時に劇団に入ったんだけど、このまま田舎にいたらダメだと思って、中3の3学期に川崎にある母の知人の家に転がり込んだのが1984年。その後先生のアパートの3畳間で下宿生活。トイレは汲み取り式、入ったら逆に汚れるんじゃねえかっていう古びた風呂で……。
時代はバブルで景気がいいのに、仕事がないからろくに食べるものもない。ある日朝起きたら目が見えず立ち上がれなくなって、運び込まれた病院での診断は栄養失調。なんで群馬から出てきてしまったんだろうってさすがに思ったよね。
生きるか死ぬかという背水の陣で片っ端からオーディションを受けるなか、「第二の吉川晃司」という募集で受かったのが、今いる渡辺プロなの。
◆「第二の吉川晃司」になるハズだった…のに
――第二の吉川晃司とは、何を求める募集……?
中山:歌枠のはずだったんだけど、いざとなると僕の歌がさっぱりで。「じゃあ芝居やれ」って言われたんだけど芝居もイマイチ。そうこうしているうちに事務所がこれからの時代はテレビ、なかでもバラエティだという方針になって、当時の僕のマネージャーが「お前がやりたい歌と芝居は、バラエティで天下を取ったらできる」と。だからまずはお笑いをやれって言われました。お笑いなんて全然わかんないのに。
――お笑いという選択肢は、当初全くなかったわけですよね。やりたいことと異なることを「やれ」と言われたり、思ってた道とちょっと違う風になっているなと思った時の気の持ちようは、どのように?
たしかに、道を選ぶ人もいますよね。たとえば自分は歌手を目指しているんだから、歌をやらせてもらえないんだったら辞めますとか。でも僕は、目の前に示された道、求められる道があるなら「やる」方を選ぶ。商売は、自分の「やりたい」とは別だと思っているんです。
◆回り道をしたからこそ、見えるものがある
中山:目標が山の頂上だとしたら、そこに行く方法は一直線に登るルートだけじゃない。遠回りしたっていいじゃないですか。どこから回ってもいいんです。本当は僕だって最短で行きたいですよ。だけど、向いてないっていうから横に行く。そこでも向いてないっていうから今度は裏に行ってみる。すると案外、こっちの景色もいいじゃないかと。回り道をしたからこそ見えるものがある。
登ってさえいれば、どんな回り方をしたって目標に向かっていることは変わらない。結果、いろいろやってきた人のほうがいろいろな能力を身につけているところがあるものだしね。
◆20代でMCをするようになった時の葛藤
――20代のうちからMC、司会として頭角を現しますが、それも予定にはなかった?
中山:全くなかったです。20代前半ぐらいの頃は、僕は「スター」としてインタビューされる側になりたいのに、なんで人の話を聞くほうになるんだっけって思っていたぐらい(笑)。
しかも今でこそ芸人もアイドルもMCやりたいって言うけど、僕がMCをするようになった時、最初結構言われましたよ。「(あれこれやっていて)何をしたいのかわからない」「自分がない」とかね。
――自分の意思とは裏腹にMCとして引っ張りだこになるなかで、ご自身で手応えを感じたことは?
中山:人の話を聞くことが僕は嫌いじゃないなって、思うようになりましたね。人の話って自分にないものがあるから、勉強になるんだよね。そうやって人の話を聞く面白さに気づいてから、ハマったかもしれない。回り道をしたから見えた景色かもしれないよね。
◆芸能界を生き抜いてこれた理由は「人見知り」
――MCにもいろんな方がいますが、中山さんのMCのスタイルとは?
中山:まず僕、すごく誤解されている気がするんです。僕って人当たりが良くて、世渡りがうまくて、社交的で八方美人、みたいなイメージがないですか?
――違うんですか?
中山:本当の僕はめちゃめちゃ人見知りだし、不器用なんです。極力目立たないように、相手の意識に入らないように振る舞う。呼ばれたら行くけど、自分から進んで輪の中に入っていくなんてとんでもない。
……でも、だからこそ今まで芸能界で生きてこれたのかなと思うこともあって。
◆上岡龍太郎さんからかけられた「言葉」
――どういうことですか?
中山:エラい誰かにくっついて言うこと聞くとか、媚びへつらってみたいなことが、人見知りだから絶対にできないの。ただ、たしかに仲良くしてもらった先輩はいっぱいいて。そういうすごい方たちからもらった大切な言葉を、次に伝えていく役割なのかなと思うことがあるんです。
島田紳助さんは、MCとしてものすごく勉強してた。「俺はさんまには話芸では絶対勝てない、だから勉強する」って言って、視聴率を細かくノートに書いて研究して…。上岡龍太郎さんから言われた言葉では、「苦しい時は登っている時。でも楽だなって思った時は下ってる時だから、気をつけろよ」と。
俺は人から学んだもので生きているんだよね。だから、とがったスタイルはないと思う。ただ、僕が人からもらった言葉を伝えたい。こんな人がこんなこと言ってたんだぞと。
◆「俺が親だったら止めますよ」
――ところで、今年の春からFMぐんま『中山秀征の夕焼けウォンチュ!』がスタートしていますね。群馬での収録の時は、スタジオの前に人だかりができているとか。群馬県人のヒデちゃん愛がすごいですね。
中山:群馬でレギュラー番組をもつのは初めてなんですよね。群馬から出てきたから今があるので、地元にできる貢献はどんどんやっていきたいと思っています。今年はふるさとの藤岡市で初めての書道展もやらせてもらって。
――改めて、よく中学生で群馬から出てきましたよね。
中山:いや、本当にそれ。誰か止めろっていう(笑)。俺が親だったら止めますよ。でも、「可愛い子には旅をさせろ」をしてくれた親に感謝だね。
◆両親からの「血」は僕にもある
――お母さまはどういう人だったんですか。
中山:母は明るくて、働き者でした。家が工場で、洋服と永谷園のお茶漬けを両方やっていたから、ずっと働き続けている姿を見て育ちました。細かいことを言わず、ここ一番の時は周りに構うことはねえからやってこい、引き下がるなっていう人。
父親もそういうところがあって、小学生の時に野球をやりたいと言ったら、学校にかけあって野球部を作ってくれた。両親ともやりたいことがあるなら、前例があるかないかは関係なかった。その血は、僕にもあるかもしれないね。
たとえば今のテレビの世界では「前例がない」ってすぐにいう。揉めるとか揉めないじゃなくて、やりたいことがあるかどうかだよね。
――上京したての頃の中山少年に、何か言葉をかけるとしたら何と言いますか?
中山:「今うまくいかなくても、必ずうまくいくから続けろ」って言いますね。
<取材・文/吉河未布 撮影/山川修一>
【中山 秀征(なかやま ひでゆき)】
テレビタレント。1967年群馬県生まれ。フジテレビ「ライオンのいただきます」で「ABブラザーズ」としてデビュー。コンビ解消後1992年より『DAISUKI!』(日本テレビ系)の2代目MCとなる。以後『ウチくる!?』(フジテレビ系)や『おもいっきりDON!』『シューイチ』(共に日本テレビ系)など、多くの番組のMCを務めるほか、俳優、ラジオパーソナリティなど多方面で活躍中。私生活では元宝塚の白城あやかとの間に4人の子どもを持つパパとしても知られる
【吉河未布】
大阪府出身。大学卒業後、会社員を経てライターに。エンタメ系での著名人インタビューをメインに、企業/人物の取材記事も執筆。トレンドや話題の“裏側”が気になる。『withnews』で“ネットのよこみち”執筆中。Twitter:@Yoshikawa_Miho_