中村憲剛はなぜS級ライセンス研修でカナダへ? 2年後のW杯開催地で見た新世界

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2024年06月13日 10:20  webスポルティーバ

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中村憲剛がS級ライセンス取得の海外研修先に
「カナダ」を選んだ理由(前編)

 JFA(日本サッカー協会)公認のS級ライセンス取得を目指す中村憲剛氏が、海外研修の地に選んだのはカナダだった。なぜ、世界の最先端を行くヨーロッパではなく、サッカーに馴染みが薄い国へ研修に赴いたのか。

 その背景には、旧知のふたりの存在があった。川崎フロンターレの元スタッフで現在はカナダでサッカー関連の事業を行なう高尾真人氏と、同じく元フロンターレで現在は中村さんの研修先となったパシフィックFCでクラブスタッフを務める田代楽(ガク)氏である。

 今回の研修に関わったふたりと憲剛氏に、海外研修の舞台裏と、2年後にワールドカップを控えるカナダのサッカー事情を訊いた。

   ※   ※   ※   ※   ※

── そもそも、S級ライセンスの海外研修はどの国のクラブでもいいのでしょうか。

中村「そうですね。場所に関しては『1部であればどこでもいい』ということだったので、自分の交友範囲のなかで調整して、かかる費用はすべて自分で出して行くことになります。なので、知っている人だったり、研修希望先のクラブと関わりの強い知人がいるところがいいと考えました。

 そういう人がいれば、しっかりとクラブの中まで見られるじゃないですか。その期間を"お客さん"としてではなく、そのクラブのスタッフに近い存在の人間として接してもらえるチームがいいなと考えて、それが叶えられる行き先を選定しました」

── カナダのパシフィックFCを選んだのは、高尾さんの存在があったからですか。

中村「そうですね。高尾はフロンターレのスタッフとして働いていたんですが、辞めたあとにカナダに渡って、カナダと日本をつなぐ留学支援の事業を立ち上げたんですね。それでまだ現役だった2019年のオフに会いに行こうと思い立って、家族で高尾のいるカナダのビクトリアまで会いに行ったんです。

 ちょうどその時、高尾から『カナダの国内リーグが立ち上がるタイミングで、ビクトリアにもチームができました』ということを聞いて、スタジアムまで連れていってもらったんです。街の雰囲気もよかったし、人もみんな優しくて、ビクトリアですごくいい家族の思い出が作れたんです。とてもいい印象が残ったまま日本に帰りました」

【カナダ国内のサッカーはまったく知らなかった】

── その経験がきっかけで?

中村「それから5年が経って、S級の海外研修をどこにしようかと考えた時に、ヨーロッパも視野に入れながら、そのカナダのチームの存在もずっと頭の中にあったんですね。それで高尾に連絡をして、もしかしたら行くかもしれないんだけど、先方にこちらの希望を叶えてもらえそうかどうかを伝えておいたんです。

 高尾はパシフィックFCのスタッフではないんですけど、パシフィックFCの監督であるジェイミー(ジェームズ・メリマン)と知り合いなので、こちらの要望が実現可能かどうか確認してもらったところ、監督もすごくウェルカムだということだったので、カナダに行こうと決めました。やはり監督がすべてを見せてくれる状態じゃないと、すべてを吸収するのは不可能なので」

── 2年後にワールドカップが共同開催される、ということも意識はあったのですか?

中村「それも大きな理由のひとつでした。正直に言うと、僕はカナダ国内のサッカーのことはまったく知らなかったんです。

 でも、カタールワールドカップでカナダ代表の試合を見た時に結果は出ませんでしたけど、『自分たちはこういうサッカーをやりたいんだ』というのが見えて、その印象がよかったんですね。『彼らの源泉みたいなものはどういったものなんだろう』と興味が湧きました。そういったローカル的な要素も含めて、決めたところはあります」

── 高尾さんは憲剛さんから連絡が来た時は、どう思いましたか。

高尾「すぐに(田代)ガクに連絡して、これはもうチャンスだぞって。やっぱりカナダのサッカーって、日本ではあまり知られていないですし、正直、自分たちもどのくらいのレベルなのかわかっていない部分もあります。

 でも、憲剛さんがこっちに来て見てくれたら、客観的にそれがわかるし、発信力もある方なので、それが日本にも伝わる。いいことしか起きないなってイメージが湧いたので、もうワクワク感しかなかったですね」

【指導は一切せずに監督・コーチの動きを追いかけた】

── 高尾さんはパシフィックFCのスタッフではないんですよね。

高尾「私は主に日本からのスポーツ留学の支援事業を行ないながら、カナダでサッカースクールも運営しています。パシフィックFCとはジェイミー監督とつながりがあるだけなんですけど、同じ土地でサッカースクールを運営しているなかで、パシフィックFCとはつかず・離れずの関係性ではありました」

── 田代さんはパシフィックFCでどういったことをやられているのですか。

田代「いわゆるクラブのブランド部門を担当しています。クラブの色を作る仕事と言いますか、フロンターレでやっていたプロモーションの仕事に近いですね。あとはアウトプットのところで、映像なり、写真なりを世の中に発信したり。今回、憲剛さんが来ていただいたことによって、日本でもいろんな報道があったと思うんですけど、そういったことを発信するグループのメンバーのひとりです」

── 憲剛さんが来ることを高尾さんから聞いた時は、どう感じましたか。

田代「同じくらいのタイミングで、憲剛さんからもお電話をいただいて。それで憲剛さんが来るなら、何かをしなきゃいけないっていう想いがやっぱりあったんですね。

 正直、高尾さんが通訳だったり、身の回りのことをやってくれるわけなので、別に僕がいなくても成立するはずですが、わざわざ憲剛さんが連絡をくれたって言うことは、"美味しい"感じにしなきゃいけないんだなって(笑)。もちろん高尾さんが言うように、憲剛さんが来ることで日本に発信できるチャンスだなということも感じていました」

── 具体的に、研修はどのようなことを行なうのですか。

中村「ほかの受講生の方たちがどうだったのかはわかりませんが、あくまで研修なので、僕は一切指導しませんでした。研修先のチームの監督・コーチの指導に関わるすべてを見ました。

 練習前のミーティングから入って、トレーニングを見て、トレーニング後のフィードバックにも入ってコミュニケーションを取ったり、試合前のロッカールームから入って、試合を見て、試合後のロッカーにも入り、試合後のスタッフミーティングにも入りました。そして、また次の週末の試合に向かう1週間のトレーニングを見る。

 海外研修の規定に『最低3試合は観戦』があるのですが、実際は2週目の途中にカップ戦も入ったので、僕は4試合を見て帰りました。あとは帰国して、レポートを提出して、それが受理されたらS級ライセンスが交付される流れです」

【Jリーグでも通用しそうな選手が何人もいた】

── 基本的にはそのチームの流れを見て、インプットする作業の繰り返しですか。

中村「そうです。だから、ひたすらメモしていました。スタッフミーティングもそうだし、トレーニングもそうだし、トレーニング中のミーティングもそう。気になったことをとにかく書き込んでいました」

── トレーニングや試合を見て感じたカナダのサッカーのレベルは、どういったものでしたか。

中村「監督のジェイミーはプロ選手としての経歴はなかったんですが、勉強熱心で自分の確固たるスタイル、プレーモデルを持っていました。コーチのアルマンダはベンフィカやビジャレアルなどで右サイドバックとしてプレーしていた選手で、彼が現役時代に接してきた多くの監督の指導論や指導法を指導者として活用しながら指導しています。

 攻撃の部分は監督で、守備はアルマンダが見るようなやり方だったんですけど、トレーニングの積み上げ方だったり、選手たちへの落とし込み方だったり、とても勉強になりました。彼ら自身も最先端の指導法をキャッチアップしながら、チームに落とし込んでいるなと感じました。

 ただ、これは監督が言っていたんですが、カナダはプロリーグとしての歴史が浅いので、まだまだ選手たちにアマチュアっぽさが抜けていないところがあると。メンタルのところとか考え方の部分では、まだまだ成熟されていない発展途上であるということでした」

── 選手のプレー自体はどうですか?

中村「実際にピッチでのパフォーマンスを見たら、いい意味で驚かされました。フィジカル能力の高い選手たちが多くて、すごくしなやかなフォワードがいたり、足の速いサイドバックがいたり、強靭なセンターバックがいたり、タフに無骨に戦えるボランチもいました。フィジカルも強い上に技術的にもしっかりしている選手が多かったですね。それぞれのキャラクターがとても立っていました。

 どのトレーニングでもしっかり盛り上げながらやるし、パス&コントロールのトレーニングでも、しっかりと予備動作を入れたり、そういう真面目な部分もあって、いろんな発見がありましたね。パシフィックと対戦した他クラブの選手も含めて、Jリーグでも通用しそうな選手が何人もいました」

【あのクオリティで破格のサラリーキャップ】

── 近い将来、カナダ人選手がJリーグにやってくる可能性もありそうですか。

高尾「私もガクもカナダのサッカーを今まで見てきましたけど、どれくらいのレベルにあるのかわからない部分がありました。でも今回、憲剛さんがそのような感想を持ってくれたのはありがたいですし、憲剛さんの意見なら日本の人たちも信用するじゃないですか。

 最初の試合を一緒に見た時に、憲剛さんが社交辞令じゃなく、興奮気味に『面白い選手がいっぱいいるじゃん』って言ってくれたのは、本当にうれしかったですね」

中村「いや、本当に面白かったよ」

高尾「カナダはサラリーキャップが採用されていて、チーム登録23人で1億2000万円までという規定があるんですけど、パシフィックの場合は1億円って言っていましたね」

中村「あのクオリティの選手たちでそのサラリーキャップは破格ですよ。その年俸ならJリーグにも連れてきやすいと思うんですよね。実際に日本に行きたいっていう選手も何人かいましたし。帰国してからいろんなサッカー関係者の方たちにその話はしています。

 日本からすれば、金額的に大金をはたいて獲得する選手よりもハードルは下がりますし、向こうからすれば、日本でチャレンジできる。来る方にも、呼ぶ方にもチャンスは広がりそうだなと。年俸を聞いた時に、何人か連れていきたいなって思いましたから」

── 先ほど指導はされていないと言っていましたけど、選手からアドバイスを求められることはなかったですか?

中村「ありました。特に中盤の選手とはよくコミュニケーションを取りましたね。片言の英語でコミュニケーションを取りながら、大事なことは高尾に通訳してもらって、伝えるようにしていました」

高尾「1試合目が終わったあとに、途中で代えられた中盤の選手がすぐにアドバイスを求めに来ましたよね」

── それで次の試合に、その選手がすごく活躍したとか?

中村「いや、途中から出てケガをしてしまって......。でも、その次の試合にメンバー外になったことで、その選手と一緒にスタンドで試合を見たんですよ。そこでかなり話すことができました」

【試合前のロッカールームにも入れてくれた】

高尾「あれはお互いにとって、すごくいい時間でしたよね。彼はベトナムとのハーフで、ベトナムでもプレーしたことがあって。だから日本に対する興味があるようで、すごく話しかけてくれましたね」

中村「あとはキャプテンの選手もすごくジェントルで、最初からウェルカムな感じでした。キャリアもあって、ビクトリア出身の選手なので、バンディエラの資質がある。そういう話をしたりとか、逆にどうやったら40歳までやれるのかって聞かれたり」

高尾「彼は29歳なんですけど、チームで最年長なんですよね」

中村「29歳で最年長ですからね。彼には1番上だからって全然老け込む年齢じゃないからね、とは伝えましたが(苦笑)、いかに若いリーグかっていうことです」

高尾「選手もそうですけど、監督・コーチともかなりコミュニケーションが取れましたよね。練習は10時くらいに始まるんですけど、朝8時半からのミーティングから参加して『今日の練習どうする?』っていうところから会話に加わって。もちろん試合前のロッカールームにも入れてくれましたし、アウェーでも同じホテルに泊まらせてくれて、ずっと同じ環境で動かせてくれたのはよかったですよね」

中村「ご飯も一緒に食べて、食事のあとにはインタビューの時間も割いてくれて」

高尾「試合前日の夜なんですけど、監督とコーチに1時間ずつくらいインタビューをさせてもらいました。憲剛さんが聞きたいことにも全部答えてくれて。あそこでかなり関係性が深まりましたよね」

中村「自分が彼らを理解したかったっていうのもあるし、理解を示すことで彼らに信頼してもらいたいっていう気持ちもあった。ただ研修に来た日本人ではなく、いる間はこのチームのために全力を尽くす姿勢を見せることで、自分が何を言っても大丈夫だって思ってもらえるようにしたかったんです。そのコミュニケーションも含めて、この2週間半はすべてが濃密な学びの時間でした」

(後編につづく)

◆中村憲剛「なぜカナダへ?」後編>>研修での驚き「フロンターレでもそこまではできなかった」(6月14日配信)


【profile】
中村憲剛(なかむら・けんご)
1980年10月31日生まれ、東京都出身。久留米高校から中央大学に進学し、2003年にテスト生として参加していた川崎フロンターレに加入。2020年に現役を引退するまで移籍することなく18年間チームひと筋でプレーし、川崎に3度のJ1優勝(2017年、2018年、2020年)をもたらすなど黄金時代を築く。2016年にはJリーグ最優秀選手賞を受賞。日本代表・通算68試合6得点。ポジション=MF。身長175cm、体重65kg。

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