三戸舜介はパリ五輪メンバーに生き残れるか 左・右ウイング、インサイド...たった18人の構成枠にはうってつけ

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2024年06月13日 17:20  webスポルティーバ

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 U-23日本代表が6月11日に行なわれたU-23アメリカ代表戦をもって、パリ五輪メンバー発表前最後の合宿を打ち上げた。

 4〜5月下旬に行なわれたアジア最終予選メンバーを軸に、今回のアメリカ遠征にはクラブ事情などで予選に参加することのできなかった選手たちも加わった。三戸舜介もそのひとりだ。

 三戸は2022年3月のチーム立ち上げメンバーでこそないものの、同年5月のキャンプに招集されて以降、常に招集されてきた。だが、今年1月にオランダのスパルタ・ロッテルダムに移籍したこともあり、3〜5月の代表活動には招集されなかった。

 ポジションとしては、かつて所属していたアルビレックス新潟では左ウイングで、日本代表では左のインサイドハーフで、そしてスパルタでの半年間は右ウイングでの勝負が求められた。結果、攻撃的MFのポジションであればどこでもプレーできるようになり、五輪代表にはうってつけの選手になった。

 というのも、五輪代表はたった18人で構成される。FIFAの大会では通常23人で構成されるが、それと比べても一段と少なく、練習で紅白戦さえ行なうことのできない人数だ。

 メンバー選考の考え方も、自ずと方向性が変わってくる。ひとつのポジションで光るスペシャリストと、ひとりで複数ポジションをこなすユーティリティ性の高い、いわゆるポリバレントな選手を比べたら、後者が重宝されると考えるのが自然だ。攻撃的なポジションを網羅する三戸は、そんな五輪代表の選考事情にぴったりくる。

 合宿最終日のアメリカ戦で、三戸はスパルタと同じく右ウイングで先発した。システムは4-3-3で、アンカーに藤田譲瑠チマ、インサイドハーフに山本理仁と荒木遼太郎、右に三戸、左に斉藤光毅、フォワードは藤尾翔太という並びだった。

荒木が退いた68分、三戸は川崎とともにインサイドハーフでプレーし、右に平河悠、左に佐藤恵允という並びに変わった。三戸が交代する81分までの約13分間は、この形が続いた。

【三戸舜介が「らしさ」を見せたシーン】

 三戸は試合後、プレーを簡単に総括した。

「得点に関わることができてよかったなと思います」

 受けた指示は、それぞれのポジションで違ったという。

「サイドの時はボールを持っての仕掛けであったり、中に入るなど流動的にと言われていて、中でプレーした時はフォワードの近くでボールを受けたり、フォワードとの関係を言われていました」

 三戸がもっとも「らしさ」を見せたのは、得点に関わった69分だ。細谷真生が決めた、この日の2点目につながったシーンである。

 68分、それまでインサイドでプレーしていた荒木が交代し、佐藤が左ウイングに入った。川崎がアメリカのスローインを右サイドでカットし、三戸につなぐ。三戸はそのまま一気にドリブルでペナルティエリアに侵入し、右足シュート。これが相手DFにあたり、GKが中途半端に防ぎ損ねたところに細谷が詰めて、無人になったゴールに流し込んだ。

「前にスペースがあったので、決めきれればよかったんですけど。得点につながってよかったと思います」

 三戸は安堵の表情を見せた。

 試合の数日前、三戸はこんなことを明かしていた。

「もちろん、与えられたところはどこでもプレーしますけど、できることならインサイドか左でプレーしたい」

 スパルタでは右でプレーするが、まだ三戸にとってのベストポジションとは言いがたいのだろう。この日も右ウイングでプレーした68分までは、納得のいくプレーではなかったようだ。

「右サイドでは、うーん......、あんまり最後の質ってところが落ちる部分もあった。そこでひとつアシストだったり、できればよかったと思うんですけど」

 斉藤が左でプレーしていた前半は、左からの攻撃はいくつも見られた。だが、右からは決定機にまで至らなかった。一方、インサイドでプレーしたことに関しては、また違う自己評価だ。

「インサイドになってから、自由に動けるようになった。自分のストロングを出せるシーンも多かったかなと思います」

 アシストのシーンを含め、短い時間ではあったが手応えを得たようだった。

【オランダ移籍は五輪のためではないが...】

 大岩剛監督は「まだ(発表まで)1カ月近くある」とし、アメリカから戻った所属先で選手たちの奮起を促す。だが、Jリーグ組には試合がある一方、海外組はこれからオフに入るため、7月3日のメンバー発表までアピールの機会はない。

「やっぱりこのチームで自分......、1年ちょい関わらせてもらっているので、ここまできたなら、最後はやっぱりオリンピックに出たいなと思います」

 三戸はそういって、この活動を締めくくった。

 今年1月に新潟からオランダに移籍したのは、決して五輪のためだけではない。「もっと先の将来のため」と、大きな目標からの逆算だったと話す。

 とはいっても、五輪は目の前にある大舞台。ひょっとしたらさらなる転機にもなりうるその機会を、21歳の三戸舜介は掴むことができるだろうか。

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