センバツで好投、E判定の東大に宅浪で合格...野球と勉強をともにレベルアップしていく松本慎之介のスタイル

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2024年06月14日 07:30  webスポルティーバ

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文武両道の裏側 第19回
松本慎之介(東京大学野球部)後編(全2回)

 東京大学に期待の新人左腕がいる。國學院久我山高で甲子園ベスト4に貢献し、浪人を経てこの春入学した松本慎之介だ。そんな彼の文武両道の裏側を探るべく、東大球場を訪ねてインタビュー。後編では、甲子園の思い出や浪人生活、東大での日々について聞く。

* * *

【甲子園はめちゃくちゃ気持ちよかった】

ーー松本さんは國學院久我山高3年の時(2022年)、センバツに出場し、甲子園の目標を現実のものとしました。自分のなかで甲子園に手が届きそうだなと思ったのは、いつぐらいからになりますか?

松本慎之介(以下、同) 高校2年の夏の大会ですね。運よく、僕はベンチ入りすることができました。あんまり試合には出られませんでしたが、チームは決勝で負けちゃって、それがすごく悔しくて、自分の代では絶対に甲子園に行きたいと強く思いました。

ーー松本さんの代の、國學院久我山の強みはどこにありましたか?

 小技ができるところですかね。飛び抜けた選手はそんなにいなかったんですけど、強いチーム相手に、チームバッティングでうまく試合を運んで、負けていてもひっくり返して最後には勝っている、という強みがありました。

ーーそしてセンバツの2回戦の高知戦に2番手で初登板し、5回2失点でチームを勝利に導きました。初めて甲子園のマウンドに立った感想は?

 もうマウンドに立った時、めちゃめちゃ気持ちよくて、すごく楽しかったです。甲子園自体は、テレビで見ているのと同じなんですけど、でも、ちょっと違うみたいな......。こんなんだったんだ!って。そう思ったら、すごく鳥肌が立ったりしてきました。

 目標の舞台のマウンドに立った瞬間、とにかくうれしかったのを覚えています。これまでやってきたことが、なんかつながった、やっぱり野球をやっていてよかったなって思いました。

ーー準々決勝の星稜戦では、4対2で國學院久我山がリードするなか、9回無死一塁でマウンドに立ち無失点に抑えました。大ピンチで登板した心境は?

 もう興奮状態ですね。これはオイシイ!って、正直思いました。ここで抑えたら、カッコいいなみたいな(笑)。

ーーそして、星稜戦の勝利で初のベスト4進出を果たした國學院久我山の前に立ちはだかったのが、あの大阪桐蔭でした。

 本当にヤバかったですね。とにかくレベル高いっていうか、こういうチームが勝ち上がっていくのか、と。それくらいレベルの違いはありました。全然通用しなかったので、正直、ちょっと名前負けしていたというのもあって、今思うとビビっちゃってたなと。

ーー大阪桐蔭戦では、松本さんは2番手で投げて5回4失点。この試合を振り返ってみて、こうしたら勝てたかもしれないというのはありますか?

 いやー、ちょっと厳しいですかね。ボロ負けだったし、個人的には、もうちょっと低めに投げられたら、もう少しよかったなというのはあるんですけど。でも、大阪桐蔭とやってすごく刺激を受けたので、もう1回やりたいな、次やって勝ちたいなっていうのはありました。

ーーそして、高3夏の西東京大会。國學院久我山は準々決勝で国士舘に8対2で敗退してしまいます。

 どこもレベルが高くて強かったんですが、夏の甲子園は本当に行きたかったんで、悔しかったです。春の甲子園のあと東京に戻ってから、自分たちが勝てたのは個々の力が強かったんじゃなくて、試合運びのうまさとか、そういうところだったんだなとすごく感じていて。他のチームは、そんな自分たちを上回るところがあったんだろうなと思いました。

【予備校は行かず、あえて選んだ宅浪】

ーー高校最後の大会が終わってから、松本さんは野球から大学受験にスパッと切り替えられたんですか?

 スパッといきましたね(笑)。野球が終わったら、勉強すると決めていたんで。

ーー文武両道の切り替えがうまいタイプなのかもしれませんね。

 ただ、夏に負けて、1週間くらいは目標がなくなっちゃった感じもあって、実は、野球もやめようと思っていたんですよ。でも、すごく考えて、やっぱり東大で野球をしてみたいな、すごく高いレベルで勉強してみたいなって、そういう挑戦の気持ちが湧き上がってきて本格的に勉強し始めました。

ーーちなみに、その頃の成績はどんな感じだったんですか?

 全然ダメでした。当時の東大の合格判定は、全部E判定です。部活が終わった直後の8月に受けた模試は、440点満点で70点くらいしかとれなくて、全然わかんなくて......なんか試験時間が長いんでヒマだなみたいな(笑)。本当にそんなレベルだったんです。

ーーそこから、どうやって成績を上げていったんですか?

 具体的な時間とかはわからないですけど、勉強に全部時間かけて、全エネルギーをかけたので、感覚としてはもうずっと勉強してる感じでしたね。それなりに成績は上がったけど、現役で東大合格というところまでは、全然到達できなかった。けど、それも想定内かなと思ってました。

ーー浪人での合格を視野に入れていたんですね。1浪の時はどうやって勉強していましたか?

 基本は、現役の時から一緒で、ずっと勉強していました。けど、ちょっとは運動もしておいたほうがいいかなと思って、週1回ジムに行っていたんですが、それ以外の時間はずっと勉強ですね。それに、僕は宅浪だったんですよ。

ーー自宅浪人ということは、つまり、予備校には行かなかったと?

『月刊 大学への数学』という学習雑誌を出している出版社(東京出版)の講義「大数ゼミ」は週2で受けていました。あとは、知り合いに大学生がいて、週1で勉強の予定を聞いたり、「今この勉強をやっているんですけど、どうですか?」みたいな質問したりして。その他の空いている時間は自分で勉強していました。

ーー宅浪は自分に厳しくないとできないと思うんですが、松本さんはそういうほうが得意ですか?

 得意かどうかはわからないんですけど、自分でやるのは好きなんですよ。自分で目標を立てたり、スケジューリングしたり、ある意味マネジメントしながらやっていくのは得意かなと。

 どちらかというと、僕は大人数のなかで一方的に授業を受けるのがあまり得意じゃないので、参考書で勉強するほうが、僕的には成績が伸びる感覚があって宅浪を選んだんです。

ーー目論見どおり、宅浪での成績は上がっていきましたか?

 そうですね。宅浪をした最初のほうで、この調子でいったら普通に受かるなという手ごたえはあったかなと。

【東大が優勝したら、面白い】

ーーそして、1浪で東大に見事合格。東大での現在の文武両道を教えてもらえたらと。

 東大での勉強は大変ですね。野球を本郷キャンパスでして、そのあと駒場で授業を受けるという日々です。大変ではあるんですけど、やりたかったことがすごくできているので、すごく楽しいです。

ーー現時点での、文と武の比率的はどんな感じですか?

 まだ、ちょっとつかめてないですね。野球に少し重きを置きながら、探りながらですかね。

ーー勉強での目標はありますか?

 勉強で具体的な目標はまだあまりなくて、自分の興味が湧いた方向に進んでいきたいなと思ってます。まだこれだ!ってわけじゃないですけど、農学部とかに行きたいなと思っていたり。自分のやりたいことに突き進んでいくのが今の目標です。

ーー農学部ですか?

 生物系とか、まだボヤッとしてるんですけど、僕は機械をガチャガチャやるより、なんとなく自然系が合っていると思うので。広い視野を持って、いろいろ考えたいです。

ーー野球のほうはいかがですか?

 野球としては、4年間のなかで本当に優勝したい。それしかないです。自分が先頭に立って導くのではないんですけど、自分も中心となっていけたら。東大が優勝したら、すごく面白いと思うんですよね。

ーー優勝のために、松本さん自身として、具体的にやっていきたいことはありますか?

 まだ大学野球のレベルをそんなに認識してないところではあるんですけど、球速は絶対必要だと思います。今はマックスが139キロですが、145キロから150キロぐらいまで上げたい。そこは今の一番の課題です。とにかく試合に出て、レベルを感じて、自分としてひとつの形をつくっていきたいです。

ーー最後になりますが、松本さんにとって文武両道は、どんなものになりますか?

 文武両道は全員ができることじゃないと思いますし、どちらかひとつにすごく集中して、勉強だけやる、野球だけやるというのも価値のあることだと思います。ただ僕はそのどちらかに飛び抜けていたというよりも、どっちも人よりちょっとできるくらいのところが子どもの頃からの立ち位置だったんです。

 勉強も野球もどちらともレベルを上げていく、というほうが僕は得意だったのかなと。勉強だけだったら東大には入れなかったかもしれないですし、野球だけだったら甲子園にも行けなかったかもしれない。今、目標としていた環境で、勉強も野球もできているのはすごく楽しいし、両方とも頑張っていてよかったなって思っています。

前編<甲子園4強から東大野球部への道のり「毎日1時間半の勉強はどんなに疲れていてもやる」松本慎之介が絶対に譲らなかった文武両道>を読む

【プロフィール】
松本慎之介 まつもと・しんのすけ 
2005年、東京・武蔵野市生まれ。小学3年の時に桜堤ユニバースで野球を始め、國學院久我山中時代は田無シニアでプレー。國學院久我山高では3年春に甲子園で登板し、ベスト4に貢献。1浪を経て東京大理科二類に合格し、2024年に入学。同年5月には東京六大学野球のリーグ戦デビューを果たし、1回を無安打無失点に抑えた。左投げ左打ち。

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