後楽園ホール開催目前! 女子プロレス我闘雲舞の代表、さくらえみが振り返るタイでの旗揚げから現在

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2024年08月27日 17:01  webスポルティーバ

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■『今こそ女子プロレス!』vol.20

さくらえみ インタビュー 前編

「8月31日、場所は水道橋! 8年ぶりの後楽園ホール!」――。

 プロレスリング我闘雲舞(ガトームーブ)代表のさくらえみがそう声を張り上げると、客席からは悲鳴にも似た大歓声が上がった。しかし観客以上に喜びを露わにしたのは、リング上の選手たち。飛び上がる者、リングを叩く者、泣き喚く者......。普段、キャパ40人の"世界で一番小さなプロレス会場"で試合をしている彼女たちにとって、客席数1,400の"格闘技の聖地"は、「いつか、いつか」と夢見ていた場所なのだ。

 現在の所属選手は10人。8年前の後楽園ホール大会を経験しているのは、そのうちのたったふたり。何もかもが手探りのなか、彼女たちの闘いは刻一刻と迫っている。

 7月末、取材場所に現われたさくらに「みなさん、気合が入ってますね」と言うと、「本当に社運がかかってます。団体を大きくするためにやるのに、なくなる可能性もあるっていう。博打みたいな団体ですよ」と苦笑する。しかしその目の輝きからは、確かな自信が伺える。

 さくらえみに、これまでの道のり、そしてこれからの我闘雲舞について聞いた。

■「日本ではこの先が見つからない」とタイで団体を旗揚げ

――2012年1月、アイスリボンを退団し、2月にタイに渡航されました。そこから我闘雲舞を旗揚げするまでの経緯を教えてください。

さくらえみ(以下、さくら):日本でプロレスをやっていても、この先が見つからないなと思ったんです。プロレス団体をいくつか渡り歩いて、ベルトも獲ったし、育成もしたし、「私がやれることはほかの人でもできるから、やらなくてもいっか」というところですね。

――なぜタイにしたんですか?

さくら:国外に行きたいと思い、実現可能な国を探しました。親日国家で、わりと距離が近くて、女の子たちが頑張るパワーがある国ということでタイにしたんです。配信をやっていた時にタイのある男の子が「応援してるよ」というコメントをしてくれて、その子を訪ねて行こうと思ったのが最初のきっかけですね。彼と一緒に我闘雲舞を始めました。

――普通のファンの方ですか?

さくら:はい、PUMIくんという大学生です。その子に会いに行けば何かが始まるかなと思ったんですよね。最終的に今、その子がタイのプロレスを牽引しています。

――すごい直感ですね!

さくら:彼はもともと、アルバイトでプロレスの実況をやっていたので、ポスターを作ったり、会場の運営をしたり、そういったことをやってくれました。今は「SET UP」という団体で、タイ人によるタイ人のためのプロレスをやっていて、今年に入ってから新日本プロレスさんがアジアの連盟を作ったなかに彼も入っていると思います。

――当時、タイにプロレス団体はなかった?

さくら:なかったですね。テレビでWWEが放送されていて、WWEのタイ語実況をPUMIくんがやっていました。

――我闘雲舞の名前の由来は「私たちは雲よりも高く舞いたい」に、「女の子」を表現する単語としてフランス語で「お菓子」を意味する「GATOH」、英語で「行動する」を意味する「MOVE」を合わせたとのことですね。

さくら:タイと日本を行き来するため、飛行機に乗る機会がすごく多くて、「飛行機に乗りさえすれば、意外とどこでも行けるんだな」と思ったんですよ。もっと行動を簡単にしていこうよという意味で「MOVE」。雲より高くというのは「飛行機に乗ってどこか行こう」みたいな。カジュアルに言えばそんな感じです。

――2012年5月30日、バンコクでプレ旗揚げ戦を行ないました。

さくら:マーブンクロンセンターというバンコクで一番大きいショッピングモールで、毎週水曜日、「ムエタイファイト」というショーをやっていたんです。ムエタイのリングを置いて、誰でも無料でムエタイが見られるという。そこで私と米山(香織)さんでプロレスの試合をしたのがプレ旗揚げ戦です。ツイートキャスティングでライブストリーミングをしました。

――そして9月6日、バンコクの桜道場で旗揚げ。

さくら: 吉本女子プロレスJd'という団体でお世話になっていた信包一彦先生が、何年もタイで空手のナショナルチームのコーチをしていまして。道場を間借りして私たちは練習していたんですけど、そこで旗揚げ戦をやらせていただきました。

――選手は日本からも募集して、タイでプロレス通信教育を開き、日本でもさくらさんから直接指導を受けられるようにしたんですね。

さくら:プロレスはその場所に行かないとできなかったんですけど、全員集まってもいられないので、動画で教えることになったという流れだったと思います。今はありそうですけど、当時は「何を言ってんの?」みたいな感じでしたかね。プロレス通信教育は「誰でも女子プロレス」のライブ配信につながっているのかな。

■練習生がデビューする時、すでにファンや友だちがいることの大事さ

――「女子プロレスなんて誰でもできるよ」ではなく、「誰でもできるようにした女子プロレス」ということで、2017年9月に「誰でも女子プロレス」(以下、ダレジョ)を始められました。

さくら:「プロレスはプロレスラーしかやっちゃいけないのか?」というのがずっと根底にあって、25歳くらいの時にプロレス教室をやっていたんですよ。そこから「さくらえびきっず」とか「我闘姑娘」ができたんですけど、ダレジョは「プロレスの最初の練習ってみんな一緒じゃないか」というもの。マット運動とか、普通の練習生でもプロレス教室でやることも同じだから、一緒にやったらいいんじゃないかというのが始まりでした。

 それと、上京してきて練習生をやっていた子が辞めてしまったんです。孤独だったんじゃないかと私は感じていて。同期や友だちがいたら続いてたんじゃないかと思ったんですよ。なので、練習生がデビューした瞬間にファンや友だちがいるという状況を作りたくて、ダレジョを始めたというのもあります。

――私も何度か参加させていただきましたが、一緒に練習していた奏衣エリーさんがデビューしたので、その感じはわかります。

さくら:そうですよね。ダレジョは大きくなりますよ。

――いつかダレジョで興行をやりたい?

さくら:はい! エキストラ(ダレジョ参加者で作る大会)は出たことないですよね? めちゃめちゃ面白いです。あと、しんどいです。猛練習して人前に立つので、「この1秒のためにこんなに頑張るの?」といった練習のしんどさはあると思います。大会からは大変さは見えないんですけど、その大変さを共有した仲間たちとの絆が深まります。

 ダレジョの「その場を出たら、もう他人」みたいなのが好きなんですよ。ロックアップでお互いの汗とかもついたりするし、人前で大声出すことも普段はしないじゃないですか。みんな化粧もしてないし、髪の毛もぐっちゃぐちゃ。そういう濃密な2時間を過ごしたあとに、「じゃあ」って言ってバイバイするあの市ヶ谷駅の光景、最高ですね。

――あの感じ、面白いですよね!

さくら:今は自分にフォーカスする時代だけど、人とは関わりたい。でも人には関心がない。この難しさを、全部ダレジョは表現できている気がするんです。人間関係、煩わしいですよね。ひとりになりたいけど、みんなと一緒にいたい。でも、時間が来ればさようなら。本当に最高だと思います。

――練習が終わったあと、円になってひとりずつ感想を言いますよね。自分の気持ちを人前で言う機会もなかなかないので、あれもすごくいいですね。

さくら:実は厳しいルールがあって、前の人と同じことを言ってはいけない。先に自分の意見を言うのは難しいけど、先に言わないと同じことを言えないからハードルが上がっていく。3歳の女の子がいて、「楽しかったー!」と言うんですけど、「もう同じことは言えない」と思うんです。この"楽しかった"に、自分の"楽しかった"は勝てないでしょうから。

■さくらえみは「0から1」を作るが、駿河メイは「0から0」を作る

――今、大活躍している駿河メイ選手もダレジョ出身ですね。

さくら:彼女はデビューした時、ずっと一緒に練習してきた仲間がいました。デビューする前から応援してくれる人たちがいたことは大きかったかなと思います。

――メイ選手が入ったことが、我闘雲舞にとってものすごく大きかったのではと感じます。

さくら:そうですね。でも6年前を思い起こせば、彼女もただの中学生みたいな感じでした。彼女が特別光っていたというわけではないです。いろんな人との関わり合いのなかで磨いていただいた感じだと思います。

――「天才」と言われていますが、もともと才能があったわけではない?

さくら:自力で食べられるか、休めるかが大事なんです。そういった意味では、食べて休む天才でしたね。

――メイ選手をレスラーとしてどう評価していますか?

さくら:私のことを「0から1を作る人だ」と言う人は多いんですけど、それは凡庸です。メイは0から0を作ります。私はその人のいいところを見つけて伸ばそうとしますが、メイは「ただ隣にいる人」なんですよ。それができるというのは本当に強くて、だからこれからの我闘雲舞を任せていくんだろうなという感じはあります。私は自分のライバルを作ろうとしてメイがここにいてくれますが、メイはずっとライバルに困らないと思います。自然と周りに人がいるレスラー。うらやましい。孤独になれ!

――0から0を作る、と言うと?

さくら:0を"作る"というのは概念的な表現ですが、彼女は相手のために何かをしてあげることがないんです。その人が自分で芽を出すまで、隣にいてあげる。私は早く"出荷"しないといけないから、その人のいいところを見つけたら、そこを引っこ抜いて栄養剤をぶち込んで、なんとか"商品"にしようとするんですけど、彼女はそうじゃない。

 相手のペースで居心地のいい場所を作ってあげて、力で伸びてくるのを待てる人です。だから悔しいけれど、私はアメリカでの時間が長くなるし(※2021年8月よりAEWに定期参戦中)、これから団体は"メイ色"に染まっちゃいますね。悔しい。クソー!

(後編:我闘雲舞は「プロレスに疲れた人に観に来てほしい」後楽園ホール大会と、対戦相手・駿河メイへの思い>>)

【プロフィール】
さくらえみ

1976年10月4日、千葉県君津市生まれ。1995年8月17日、IWA・JAPAN富山県高岡テクノドームでの対市来貴代子戦でデビュー。1999年6月、FMWに入団。2004年10月、我闘姑娘を旗揚げ。2006年6月、アイスリボンを旗揚げ。2009年、東京スポーツ新聞社制定・プロレス大賞「女子プロレス大賞」を受賞。2012年9月、バンコクで我闘雲舞を旗揚げ。2020年3月、配信特化型団体チョコレートプロレスを旗揚げ。2021年8月より、米国AEWに定期参戦中。現在、第5代スーパーアジア王座のベルトを持つ。156cm、68kg。X:@EmiSakura_gtmv @sakura_gtmv

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