「レッドブル・アレーナ」 歴史ある街・ライプツィヒの新興クラブのホームスタジアム

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2024年10月03日 10:01  webスポルティーバ

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欧州サッカースタジアムガイド2024-2025
第13回 レッドブル・アリーナ(Red Bull Arena)

 ロンドンのウェンブリー・スタジアム、マンチェスターのオールド・トラッフォード、ミラノのジュゼッペ・メアッツァ、バルセロナのカンプ・ノウ、パリのスタッド・ドゥ・フランス......欧州にはサッカーの名勝負が繰り広げられたスタジアムが数多く存在する。それぞれのスタジアムは単に異なった形状をしているだけでなく、その街の人々が集まり形成された文化が色濃く反映されている。そんなスタジアムの歴史を紐解き、サッカー観戦のネタに、そして海外旅行の際にはぜひ足を運んでもらいたい。連載第13回目はレッドブル・アレーナ(ドイツ)。

 2024年10月、オーストリアのエナジードリンクメーカーで世界的に有名な「レッドブル」が、「大宮アルディージャ」と「大宮アルディージャVENTUS」の運営会社の全株式を取得した。J3で戦っている大宮アルディージャは、レッドブルにとって日本初のプロサッカークラブで、世界では5番目のサッカークラブとなる。
 
 レッドブルといえば、これまでオーストリア(ザルツブルク)とアメリカ(ニューヨーク)、ブラジル(ブラガンティーノ)でサッカークラブを運営し、ドイツの強豪クラブとして知られるのが4つ目となるブンデスリーガ1部で戦う「RBライプツィヒ」である。
 
 本拠地ライプツィヒは、旧東ドイツ地域ではベルリンに次いで2番目の規模の都市で、ザクセン州では州都ドレスデンを上回る。中世から商業と金融の街として発展し、1409年に創立されたライプツィヒ大学はヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテやフリードリヒ・ニーチェといった哲学者、作家の森鴎外、ドイツのアンゲラ・メルケル元首相が在籍していた大学として名高い。
 
 またヨハン・ゼバスティアン・バッハやフェリックス・メンデルスゾーンそしてリヒャルト・ワーグナーなど、ドイツを代表する音楽の街として名高く、ベルリンの壁崩壊、東西両ドイツの統一の端緒となった住民運動の発祥地としても有名だ。
 
 その歴史ある街をホームとするライプツィヒは、2009年5月19日に創設され、7年間で4回の昇格を達成し、2016年にブンデスリーガ1部入りを果たした。すると1年目から躍進しUEFAチャンピオンズリーグの出場権を獲得。 2019―20シーズンはチャンピオンズリーグでクラブ史上初の準決勝進出を果たしている。

 2020-21シーズンもリーグ戦で2位に入り、ドイツ杯では2021―22から2連覇を達成するなど一気に強豪クラブの仲間入りをした。
 
 実は、2000年代に入って、レッドブルは既存のクラブを買収することでドイツのスポーツ界に参入する計画を進めていた。ドイツサッカー界のレジェンドである故・フランツ・ベッケンバウアーは、友人であるオーストリア人オーナーのディートリヒ・マテシッツにライプツィヒのチームを買収するようアドバイスしたという。
 
 ライプツィヒは、ドイツサッカー連盟が設立された場所であり、ドイツサッカーの中心地のひとつ。また、ドイツ初の全国チャンピオンであるVfBライプツィヒの本拠地だった。その本拠地のツェントラールシュタディオンは、ベルリンのオリンピアシュタディオンに次いでドイツ東部で2番目に大きなサッカースタジアムだった。
 
 レッドブルは当初、FCザクセン・ライプツィヒ(現在は債務超過のため消滅)を買収しようとしたがドイツサッカー協会に承認されず、西ドイツのザンクトパウリやデュッセルドルフとも交渉したが失敗。その結果、 2009年5月、ライプツィヒから13キロ離れたアマチュアサッカークラブのSSVマルクランシュタットを35万ユーロで買収することを発表した。クラブの正式名称は「RBライプツィヒ」となり、ユニフォームは赤と白のレッドブル・カラーが採用された。
 
 ただしドイツサッカー協会の規約では、クラブ名に企業名を含めることは認められていないため、取締役会はRasenBallsport(ドイツ語で「芝生の上のボールスポーツ」の意)と名付けることを決定し、頭文字の「RB」は企業名の頭文字と同じとした。そしてRBライプツィヒがツェントラールシュタディオンを買収し、「レッドブル・アレーナ」と改名したというわけだ。
 
 もともとライプツィヒにあった旧スタジアム「ツェントラールシュタディオン(Zentralstadion/zentralは中央(centoral)の意)」は、東ドイツ時代の1956年に完成した。10万人を収容可能で、当時はドイツ最大のスタジアムだったという。国威高揚のために行なわれていた「スポーツ祭」や陸上競技、ライプツィヒにホームを置くクラブのサッカーの試合などが開催されていた。 
 
 1957年10月27日に行なわれたドイツ民主共和国(旧東ドイツ)とチェコスロバキア共和国の対戦は11万人もの観客が詰めかけ、1956年9月9日のSCローテーション・ライプツィヒ対ロコモーティブ・ライプツィヒにおける10万人の観客動員は、現在でもドイツ1部リーグの記録となっている。
   
 1990年に東西ドイツが統一された後の1994年、スタジアムは老朽化して状態が悪かったため閉鎖を余儀なくされ、1997年、同じ場所に新たなスタジアムが建設されることが決まった。

 ライプツィヒで創設されたドイツサッカー協会(DFB)の100周年を記念して、2000年に現在のアレナの礎石が据えられた。新スタジアムは、旧スタジアムの古い壁やスタンドがそのまま残った状態であり、旧スタジアムのグラウンドとランニングトラックがあった中央に新たに建設される珍しい例となった。
 
  ふたつのアーチが特徴的であり、スタンド全体は屋根で覆われることになった収容43,000人の新スタジアムは2004年7月に正式にオープン。旧東ドイツ領で唯一、2006年ドイツワールドカップの会場にも選ばれた。
 
 5試合開催されたワールドカップ時は「ツェントラールシュタディオン」の名で使用された。サッカーの試合だけでなく、コールドプレイ、エルトン・ジョンといったアーティストのコンサートも開催されている。
 
  しかし、ワールドカップ以降、プロサッカークラブの試合が行なわれない時期が続いたため、所有者の映画プロデューサーであり実業家のミヒャエル・コーメルは売却を考えるが、地元ファンなどの反発にあって難航。そんな中、2010−11シーズン、スタジアムはRBライプツィヒのホームスタジアムとなり、レッドブルは命名権を獲得し「レッドブル・アレーナ」に変更したというわけだ。

 その後、クラブは正式にスタジアムを買い取り、スタジアム前の牧草地も購入すると、大規模な改修計画を発表した。当初は55,000席ほどに拡張する予定だったが、計画は変更され、青だった座席はクラブカラーに合わせた赤と白に変更。総座席数は47,069席(うち立見席は10,500席)になった。クラブが結果を残すとともに、ファンも集まるようになり、この2シーズンの平均入場者数は約45,000人と、常に観客が埋まっている。
 
 昨シーズン4位となり、今シーズンもライプツィヒはチャンピオンズリーグの出場権を得た。リバプール(イングランド)やユヴェントス(イタリア)、アトレティコ・マドリード(スペイン)など強豪との対戦が控えているが、兄弟チームのザルツブルクとともに上位を狙っている。
 
 新しいサッカークラブによってライプツィヒはかつての活気を取り戻したが、ドイツサッカーの伝統も感じられる「レッドブル・アレーナ」は、これからもその歴史を紡いでいくはずだ。

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