「観客のみなさま、応援ありがとうございます。そして、おめでとうございます。歴史が変わる瞬間を目撃できたと思います」
三重・四日市の青空の下、真っ青なテニスコートに敷かれたレッドカーペットの上で、坂本怜はマイクを手にそう言った。
この地で開かれた「四日市チャレンジャー」は、ATPツアーの下部大会郡に相当する。大会参加者は69位の西岡良仁を筆頭に、100位〜300位の選手たちがボリューム層。トップ100やツアー定着を狙う文字どおり"チャレンジャー" =挑戦者たちが、しのぎを削る場だ。
特にシーズン終盤のこの時期は、来年1月の全豪オープン本戦や予選出場圏内を目指し、誰もが目の色を変えて戦う。
その過酷なトーナメントを、今年9月にプロ転向したばかりの坂本怜が制した。18歳6カ月でのATPチャレンジャー優勝は、日本人選手としては錦織圭に次ぐ若さ。「子どもの頃、錦織選手をテレビで見た衝撃」に突き動かされ米国IMGアカデミーに渡った若者が、憧れの先輩の背を大きなストライドで追っている。
|
|
『男子、三日会わざれば刮目(かつもく)して見よ』とは古めかしい文言ではあるが、ここ最近の坂本の急成長は、この慣用句を想起させる。それは単に戦績のみならず、プレースタイルの劇的な変化にもよるものだ。
現在の坂本は、195cmの長身を生かした攻撃力がトレードマーク。ただ、16歳の頃まではどちらかといえば、守備的な選手だった。
本人も「意外とシコいのが、坂本怜の嫌らしいところでして」と、自身をユーモラスに言い表したことがある。「シコい」とはテニスの俗語で、「しつこい、ミスがなく粘り強い」などの意。ジュニアの世界で坂本が結果を残せていたのも、そのような手堅さゆえだった。
そんな彼のプレーに革新が訪れたのは1年前。兵庫県開催のATPチャレンジャー予選の初戦で、内山靖崇に1-6、2-6の完敗を喫した時だった。
この試合での坂本は、持ち味の守備力をいともたやすく内山に粉砕され、大きなショックを受けたという。
|
|
【「ビビラー」であり「イケイケ系」】
「守っていては、勝てないどころか試合にもならない」
その衝撃こそが、「シコラー」が攻めに転じた契機。「攻めを選んだというより、ほかに選択肢がなかった」とも坂本は打ち明けた。背水の陣に追い込まれ、窮鼠(きゅうそ)猫を噛む境地だったのかもしれない。
そして結果的にこの決断は、劇的な成長へのターニングポイントとなる。
サーブとフォアで攻めに攻め、坂本が全豪オープンジュニアを制したのは、今年1月のこと。その変化は錦織圭をも「短期間でここまで大きく変わることがあるのか」と驚かせたほどだった。
この転換期を坂本は、「もともとはチキンなので、今、フォアで打てているのが信じられないくらい」だと振り返る。
|
|
自身を「ビビラー」とも形容するが、そのビビラーが超攻撃スタイルへと豹変したわけは、おそらくは坂本が有するもうひとつの顔にある。それは本人いわく「すぐ天狗になってしまう、イケイケ系」の一面。彼のなかに共存する「チキン」と「イケイケ系」の融合こそが、覚醒的成長の源泉だろう。
完敗のショックを急成長のトリガーとするプロセスは、今回の四日市チャレンジャー優勝の起点にも存在した。それはプロ転向直後の9月末に出場した、ジャパンオープンの予選。有明コロシアムに組まれた一戦で、坂本は当時88位のルカ・ナルディ(イタリア)に3-6、1-6で敗れた。
「ものすごく緊張していて、最後まで頭が真っ白だった」
試合後は目に涙も浮かべ、プロデビュー戦の苦みを噛みしめていた。
この敗戦でフットワークとフィジカルの向上の必要性を痛感した坂本は、チームスタッフたちの指導の下、改革に取り組んだ。
今大会にも帯同したデビスカップ強化プロジェクトコーチの綿貫敬介は、「ウォームアップも含め、フィジカルの強化に努めてきた」という。そのうえで、走り込みや守備の練習に多くの時間を割いた。
【試合中に脳裏によぎった本の一節】
それら取り組みの成果を実感できた試合があったという。それは四日市大会の前週に、神奈川県で開催された「慶應チャレンジャー」。
準々決勝で坂本は、最終的に優勝した清水悠太を相手にフルセットの死闘を演じた。しかも第1セットを取られ、第2セットも大きくリードされながら猛追してセット奪取。最終的に敗れはしたが、綿貫コーチは「打つだけでなく、自分は走っても戦える選手だと思えたはず」だと述懐した。
実際に坂本も、この試合の大きさを以下のように語る。
「最近の課題として、試合中のアップダウンが激しく、ダウンした時に戻ってこられないことが多かった。でも清水選手との試合では、完全に流れが相手にいったなかから、ひとつ戻ってこられたのが自信につながった」
ちなみに第2セットで敗戦間際に追い込まれた時、坂本の頭をよぎったのは、最近読んだ本に書かれていた『仕事とは、世間に求められて、初めて成立する』といった趣旨の一節だったという。
プロとなり、テニスを仕事にした以上は、求められる何かを示さなくてはいけない──。そのような思いが「勝利の向こう側」に彼を向かわせたというのだ。
四日市チャレンジャーの決勝戦は、磨きをかけた守備力と攻撃力が、思考力を媒介に高次で融合した瞬間だった。試合開始早々にリードを許した時は、「若干、気持ちが切れかけた」という。その後トイレットブレークを挟み、第2セット最初のゲームをいい形でキープした時に、「ひとつ、切り替わった」。
決勝で対戦したクリストフ・ネグリトゥ(ドイツ)は、粘り強さが持ち味の苦労人。コーチが試合中に「一球でも多くボールを返せ。ラリーに持ち込むんだ」と助言していたことからも、長い打ち合いなら優位との読みが見てとれる。
だが実際には、坂本は厳しい体勢からもボールを返し、なおかつ攻勢に回れば迷わずネットに詰め、息を飲むような繊細なボレーを沈めてみせた。最終セットも「集中力がフッと抜けた」場面がありながらも、危機をしのぎ加速する。
【勝利後は恒例の「侍ポーズ」】
そして最後は、相手のラケットを弾くようなサービスウイナー。「勝ちを意識しないよう、目の前のポイントに集中することだけ考えていた」という坂本は、勝利の瞬間も小さくガッツポーズを掲げるだけだった。
優勝の実感があふれてきたのは、勝利後、恒例の「侍ポーズ」をした瞬間。弾けるように駆け出すと、まずはコーチたちの待つ陣営に、次に友人や家族たちのいる客席へと飛び込んだ。
「歴史が変わる瞬間」の先に何があるのかと問うと、彼は「グランドスラムで優勝し、世界1位になること」とまっすぐに答える。
果たして目指すその地点に、彼はたどり着けるだろうか──。その答えを見届けるためにも、やはり刮目が必要だ。