伊東勤が語るマスク越しに見た名プレーヤー〜打者編(前編)
西武の捕手として22年の現役生活を送った伊東勤氏。通算2379試合に出場するなど、マスク越しに多くの打者と対戦を重ねてきた。そんな伊東氏に現役時代「すごい」と思った打者を3人挙げてもらうとともに、大谷翔平の攻め方についても聞いてみた。
【後光が差していた】
── 捕手としてこれまで対戦してきた打者のなかでベスト3を選ぶとしたら、最初に挙げる選手は誰ですか。
伊東 一番はラルフ・ブライアント(近鉄)です。1989年10月12日の西武と近鉄とのダブルヘッダーで、ブライアントの打棒が大爆発しました。ひとりの打者に、ダブルヘッダーとはいえ"1日4発"を許したのは、私の野球人生で初めてでした。あの日のブライアントは後光が差していたというか、試合前から強烈なオーラを醸し出していました。
── そういう経験に基づく勘というのは当たるものですね。
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伊東 今日はブライアントに3、4発いかれそうな予感がすると思っていたら、ほんとにそのとおりになってビックリです。ブライアントも「ボールがソフトボールのように大きく見える」と言っていたようですね。満塁本塁打を含む3打席連発ですから。どこに投げても打たれる感じでした。
── 第4打席に渡辺久信投手から放った一発で、伊東さんは外角に寄っていましたが、少し真ん中に入った球を運ばれました。渡辺投手が片膝をついて、ライトスタンドを呆然と見つめている姿が印象的でした。
伊東 のちに「四球で歩かせばよかったのに」と言われもしましたが、歩かせるという選択肢はまったくなかったです。エース格の久信が出てきたわけですし、ブライアントとの対戦で高めのストレートでけっこう三振をとっているというデータもありました。
── のちにブライアントさんは「フォークとスライダーを待ったが、ストレートに体が反応した」と振り返っています。
伊東 データや相性を覆す、いわゆる"ゾーン"に入っていたのでしょう。自ら「アンビリーバブル!」と言っていたように、ほんと神がかっていました。
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── 2試合目は四球敬遠のあと、高山郁夫投手が勝ち越しの本塁打を浴びました。4打数連続本塁打です。
伊東 ベンチに戻った私は、森祇晶監督に「おまえ、いったい何を考えてリードしているんだ!」と叱責され、交代させられました。私も返す言葉がなくて......。森監督も捕手出身ですし、我慢できなかったんでしょうね。前年の"10・19"ロッテとのダブルヘッダーで優勝を逃した近鉄の2年越しの執念だったのでしょう。
つづく>>
伊東勤(いとう・つとむ)/1962年8月29日、熊本県生まれ。熊本工高3年時に甲子園に出場。 熊本工高から所沢高に転入し、転入と同時に西武球団職員として採用される。 81年のドラフトで西武から1位指名され入団。強肩と頭脳的なリードでリーグを代表する捕手に成長し、西武の黄金時代を支えた。2003年限りで現役を引退。04年から西武の監督に就任し、1年目に日本一に輝く。07年限りで西武の監督を退任し、09年にはWBC日本代表のコーチとして連覇に貢献。その後も韓国プロ野球の斗山のコーチを経て、13年から5年間ロッテの監督として指揮を執り、19年から21年まで中日のコーチを務めた
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