【動画】広瀬すず、感情を露わに愛を吠える! 映画『ゆきてかへらぬ』本予告
本作は、「文化の百花繚乱(りょうらん)」が咲き誇る大正時代を舞台に、実在した男女3人の壮絶な愛と青春を描いた作品。
脚本は『ツィゴイネルワイゼン』や『セーラー服と機関銃』の田中陽造が40年以上前に書いたもので、多くの監督たちが映画化を熱望しながら長い間実現することができなかった幻の脚本。この脚本に焦がれ続けていた根岸吉太郎監督が16年ぶりにメガホンを取り、美しい時代を火花散らすように駆ける3人の男女を広瀬すず、木戸大聖、そして岡田将生が演じる。
京都。まだ芽の出ない女優、長谷川泰子(広瀬)は、まだ学生だった中原中也(木戸)と出会った。20歳の泰子と17歳の中也。どこか虚勢を張るふたりは、互いに引かれ、一緒に暮らし始める。価値観は違う。けれども、相手を尊重できる気っ風のよさが共通していた。
東京。泰子と中也が引っ越した家を、小林秀雄(岡田)がふいに訪れる。中也の詩人としての才能を誰よりも知る男。そして、中也も批評の達人である小林に一目置かれることを誇りに思っていた。男たちの仲むつまじい様子を目の当たりにして、泰子は複雑な気持ちになる。才気あふれるクリエイターたちにどこか置いてけぼりにされたようなさみしさ。
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本予告編は、泰子の「惚れたら、女は身体ごと惚れるのよ」というセリフと、中也と小林の心を翻弄(ほんろう)する妖艶な表情からはじまる。「君という女は、本当においしそうだ」と成熟した大人の色気を漂わせる、のちに“知の巨人”と呼ばれる文芸評論家・小林。「俺とお前は、離れたら壊れちゃうんだよ」と泰子に切なげに訴える、まだ幼さが垣間見える不世出の天才詩人・中也。
運命に導かれるように“出逢ってしまった”3人。踊り狂ったダンスホール、夜の遊園地、手を取り合い滑ったローラースケートなど、刹那的な青春を謳歌(おうか)する3人の姿から、煌(きら)びやかで歪(いびつ)な関係性が垣間見える。映像の後半では、次第に狂気を帯びながら苦悩し、執筆と格闘する中也に対し「全生活を上げて恋をする人もいるわ!」と感情剥き出しに愛を吠える泰子の姿が。さらに、激しくケンカをする中也と泰子を仲裁する小林、求め合う小林と泰子、そして迫りくる電車を前に虚ろな表情で立ち尽くす中也など、劇的な展開を予感させる場面が次々と映し出されていく。果たして、この“3つの愛の行き着くそこ”とは―?
本ビジュアルは、泰子、中也、小林がダンスフロアに佇む姿を収めたもの。同じ場所にいながらそれぞれの目線が重なることはなく、3人の歪な関係を表現している。上には「純情なのか 純愛なのか 3つの愛の、行き着くそこ」という、濃密な愛の物語を予感させるキャッチコピーが添えられている。
また本作の主題歌が、シンガーソングライター・キタニタツヤが本作のために書き下ろした新曲「ユーモア」に決定。中原中也の文学に陶酔していたというキタニが愛とリスペクトをこめて制作した楽曲となっており、今回解禁された本予告編でもその一部が初披露されている。
主題歌について、広瀬は「主題歌が始まった瞬間は映画の余韻が残りつつ、後半は違う世界観でちょっと面白いバランス感の楽曲で素敵だなと思いました」、木戸は「3人のキャラクターのどの人を歌詞の主人公においたとしても当てはまるような、すごく切なさもあり、ずっと聴いていられる、何回もリピートして聴いていられるような素敵な曲でした」、岡田は「心地よいリズムで歌詞もすっと入ってきますし、改めて歌詞を見て聴くのと、また理解を深めてからこの曲を聴くのでは(印象が)変わるので、聞くときは歌詞を読んでみてから聞いてもらったら嬉しいなと思います」と、それぞれコメントを寄せている。
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さらに今回、12月13日よりムビチケの発売も決定した。詳細はムビチケHP参照。
映画『ゆきてかへらぬ』は、2025年2月21日より全国公開。
キタニタツヤのコメント全文は以下の通り。
■キタニタツヤ(主題歌担当)コメント全文
詩を書くということは、意味なくただそこにあるだけの現実をあえてユーモラスに捉えて解釈し、言葉というフォーマットで出力しなおす営みだと思っています。単に「面白おかしく」という意味ではなく、ありていでない眼差しを向けることによって現実に隙を見出す、何らかの安らぎの余地を加えるという意味でのユーモア。
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「ゆきてかへらぬ」ラストシーンでの泰子と小林にとって中也の詩はどう響いていたんだろう。また劇場を後にする私たちにとって「ゆきてかへらぬ」という映画そのものはどう響いていくのだろう。そうしたことを考えながら歌を作りました。