《外にいたのに「え?」って声出た…》
《ショックで言葉が出てこない》
12月6日、俳優で歌手の中山美穂さんが亡くなった。6日はコンサート開催の当日だった。一部メディアによると、予定の時刻になっても中山さんが集合場所に現れず、関係者が中山さんの自宅に向かうと、浴槽の中で倒れているところを発見したという。
“ミポリン”の愛称で親しまれ、アイドルとして、歌手として大ヒットを連発。俳優としても数多くのドラマで主演を務め、そしてその多くで主題歌も担当した。
中山さんのデビューは’85年。40周年を迎える来年は全国ツアーの開催など勢力的な活動を予定していた。そんななかでの突然の訃報に悲しみに暮れる声がSNS等で多数上がっている。そしてそれは“同業者”からも。
《デビュー40周年、「Love…」30周年、そんなメモリアルな2025年、雪のあるうちに一緒に小樽に聖地巡礼しようと約束していた直後の訃報。今夜は気持ちだけですが、あなたのそばにいようと思います》
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このようにSNSで追悼したのは、映画監督の岩井俊二。中山さんが主演を務めた映画『Love Letter』でタッグを組み、中山さんは数多くの映画賞で主演女優賞を獲得した。
中山さんの楽曲でいちばんに思い浮かぶという人も多いだろう『世界中の誰よりきっと』は“中山美穂&WANDS”名義。作詞を担当したWANDSの元ボーカル上杉昇も感謝の念を綴った。
《私にとって人生の恩人の一人であります。一緒に歌ってくださったこと、ありがとうございました》
いわゆる一般のファンだけでなく、芸能界という同じ世界を生きる人にも中山さんに心を掴まれた人は多かった。
「俳優の柳葉敏郎さんはトーク番組に出演した際、ドラマで共演した中山さんに当時“マジ惚れ”していたことを話しています。TOKIOの松岡昌宏さんも“芸能界に入るきっかけは中山美穂と結婚するため”と自身の冠番組にて中山さんがゲスト出演した際に本人に直接告白していましたね」(スポーツ紙記者)
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それはあのカリスマミュージシャンも同じで……。
「当時BOOWYのボーカルだった氷室京介さんは、’86年12月にフジテレビ系の大人気歌番組『夜のヒットスタジオ』に出演。その日は他にも錚々たる面々が出演していましたが、そのなかの1人が中山さんでした。氷室さんは中山さんの大ファンで、それを番組で“出演者の中に熱烈な中山美穂ファンがいます”と司会の古舘伊知郎さんが暴露。前に出て中山さんとツーショットを作られた氷室さんは、普段のクールで孤高な雰囲気とは一変し、緊張の面持ちになっていました。もう本当に好きでないとそうはならないだろうというような……」(前出・芸能ライター)
当時の映像を確認すると以下のようなやりとりが。
古舘「かなりのファンでしょ?」
氷室「はい……」
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当時BOOWYはツアーの真っ只中。その合間を縫っての出演だったためか、それとも中山さんと出会えた緊張か、氷室の声は枯れたように聞こえ、声量も小さい。
古舘「(中山さんの)どういうとこがいいですか?」
そう振られると氷室は即答する。
氷室「顔が好きです」
なんともストレートな答え……。氷室の顔は終始こわばっているように見えた。
「中山さんと2人並んだ氷室さんは、カリスマ氷室京介ではなく、本当に1人の男の子、1人のミポリンファンといった感じでしたね。古舘さんに促されて握手をするのですが、そこで緊張がようやくほどけたのか氷室さんはニッコニコの笑顔になりました。衝撃的なシーンだったので覚えているBOOWYファン、ミポリンファンも多いのではないかと思います」(前出・芸能ライター、以下同)
氷室を虜にした美貌も、歌声も、演技も、まだまだ多くの人に求められていたが、それはもう叶わない──。
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