ダウンタウン浜田雅功(61)が、6日深夜放送のMBSラジオ「ごぶごぶラジオ」(金曜深夜0時30分)に出演。駆け出し時代、MBSテレビ「4時ですよ〜だ」出演を機に、環境が一変した当時を振り返った。
番組では、リスナーから「人生最高の時はいつだった?」との質問が寄せられ、ライセンス井本貴史(46)が「これは、オヤジ(浜田)のを聞いてみたいと思ってたんですよ。ずっと最高じゃないですか」と乗っかった。
井本が「明確に『ここが最高』ってあります?」と聞くと、浜田は「でも、やっぱり、この世界入った時の、一番最初のレギュラーで。夕方番組やったぐらいの時のその世間の盛り上がって…。外出たらなんかウワ〜っとなった時が『売れてる』って思ったんちゃうかな、初めて。『4時』ん時な」と、伝説の番組へ言い及んだ。
浜田は松本人志と82年にコンビ結成。NSC(吉本総合芸能学院)1期生で、同番組は87年に始まった。平日夕方に放送された帯番組だった。心斎橋筋2丁目劇場などに、ファンが群がるようになった。
浜田が「そっからもう劇場行ったって、人いっぱい来るし」と言い、井本は「外出ても『うわっ、ダウンタウンや』ってなった?」と確認。浜田は「そうそう。『4時』からやったからね。それまでは別にミナミ、普通に歩けてるわけやし」と思い起こした。
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それ以前にもテレビには出演していたものの、浜田は「いや、ちょこちょこやから、別にそんな」感覚だったものの、同番組以降は「いや、もうもう、まるっきり変わった」と言う。
「生放送やったからね。まあ(放送スタートの)1回目、2回目とかは、そうでもないかもわからん。1週間やってみてからなのか、1カ月後くらいなのか? 完全に変わったね」
自身らを取り巻く環境が激変したといい「そんときちゃう? それが一番最初ちゃうかな」。井本から「ホンマに『これは売れたかもしれん』って思いました?」と問われ、浜田が続けて答えた。
「そんころ、東京でどうなのか、まったく考えてないから。『大阪の人はみんな分かってくれてんのかなあ』ってぐらいのことやけど」
懐かしむように振り返り「そうやね。『4時』が、でかかったかもわかれへんね」と語った。
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町を歩けば、女子高生を中心に大勢に囲まれる状況になり、井本は「当時、大阪で街、歩けんようなったってことですもんね」と再確認。浜田は「まあまあ、ある意味そうですよ。ありがたい話、すごかったですね」と述懐していた。
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