【新連載】千街晶之のミステリ新旧対比書評 第1回 若竹七海『スクランブル』×浅倉秋成『六人の嘘つきな大学生』

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2024年12月08日 13:00  リアルサウンド

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若竹七海『スクランブル』(集英社文庫)浅倉秋成『六人の嘘つきな大学生』(角川文庫)
■新旧ミステリを比較して見えてくる作品の重層感

 このたび、「リアルサウンド ブック」で、「千街晶之のミステリ新旧対比書評」と題した連載を始めることになった。何故このタイトルになったかというと、この連載ではここ5年以内くらいに刊行された新作と、それとテーマやモチーフが共通する旧作とを対比しながら紹介する予定だからである。発表時期を異にする2つのミステリを比較することで、何が共通点で何が相違点なのか、テーマやモチーフがどのように継承されたのかを浮かび上がらせてみたいと考えているので、どうかご贔屓に。


 


  ミステリの世界において消去法という言葉が使われる場合、読者は大抵、本格ミステリのラストで名探偵が、大勢いる容疑者の中から真犯人を絞り込むシーンを想起するのではないだろうか。「○○さん、あなたには確実なアリバイがあります。△△さん、あなたには凶器を入手する機会がありませんでした。……そう、××さん、犯人はあなたしかいません!」という、あれである。


  しかし、消去法は必ずしも結末部分でしか使えないわけではない。ミステリとしての構成全体に、消去法を巧妙に組み込んだ作品も見られるのである。その恰好の例として紹介したいのが、若竹七海の『スクランブル』(集英社文庫)と、浅倉秋成の『六人の嘘つきな大学生』(角川文庫)だ。


■消去法を巧妙に組み込んだ2つの作品

 『スクランブル』は1997年に刊行された作品である。「スクランブル」「ボイルド」「サニーサイド・アップ」「ココット」「フライド」「オムレット」という、卵料理に因んだタイトルの6章から成っており、各章は独立したエピソードのようでありつつ、読み進めると1つの長篇となっていることが判明する。


  1980年、名門女子校で殺人事件が起きた。文芸部員である彦坂夏見・貝原マナミ・沢渡静子・飛鳥しのぶ・宇佐春美・五十嵐洋子の6人は、この事件を含む学園内で起きた幾つかの出来事をそれぞれ推理する。そして15年後、彼女たちは晴れがましい披露宴の席で久しぶりに一堂に会する——1人は花嫁として、5人は花嫁側の招待客として。だが、披露宴の最中、招待客のうちの1人は、15年前の殺人事件の真相に気づいてしまう。


  第一章で、元文芸部員の1人である視点人物は犯人が誰だったかを悟るが、そのくだりではもちろん名前は触れられず、犯人の属性だけが明らかとなる。第二章以降は、残る5人が次々とリレー式に視点人物の座についてゆく。視点人物になった元部員はその属性に当てはまらず、従って犯人ではあり得ない。つまり、章が変わるたびに、6人の元部員から無実の人間が1人ずつ、容疑者の圏内から脱落してゆくわけである。


  この構成であれば、最後の章まで残った1人が真犯人ということになるのだが……そこはひねりにひねった構成を得意とする若竹七海のこと、読者の先入観を利用した仕掛けが炸裂することになる。構成に組み込まれた消去法そのものが、読者へのミスディレクションとなっている例である。



■作者が仕掛けた巧妙なミスディレクション

  この『スクランブル』と似た、ただしもっと凝ったことをやっているのが、浅倉秋成の『六人の嘘つきな大学生』である。2021年に刊行され、2024年には映画化された。


  2011年、波多野祥吾・嶌衣織・九賀蒼汰・袴田亮・矢代つばさ・森久保公彦という6人の大学生は、日本最高峰のIT企業「スピラリンクス」の最終面接まで残っていた。1カ月後のグループディスカッションの結果次第では全員の内定もあり得ると言われた6人はそれぞれの長所を活かし、協力し合って対策を練っていた。そんなところに、グループディスカッションでの採用枠を1人に変更するという非情な告知が突然来る。そして当日、グループディスカッションが行われる会議室にあった封筒のうち1つを開封したところ、そこには参加者のうち1人が過去に犯した重い罪を告発する紙が入っていた。どうやら、6つの封筒には6人全員の知られたくない秘密が封じられているらしい。参加者たちは最初はスピラリンクスの仕業ではとも疑ったが、よく考えれば会社側にそんなことをするメリットはない。ならば、6人のうち誰かが、他の5人を貶め、自分が内定を獲得するために企んだことだろうか。残りの封筒を開けるべきか否か、6人それぞれの思惑が衝突する。


  早い段階(角川文庫版で58ページ)で明らかになることなのでここに書いてもいいだろうが、この小説は2011年の出来事を描くパートの随所に、2019年時点から関係者たちが過去を振り返る証言が挟み込まれた構成となっている。その現在パートでは、証言者たちは封筒を用意した「犯人」をみな知っている様子で、また、彼らに取材をしているのが、ただ1人グループディスカッションを勝ち残った「内定者」であることも窺える。


  過去パートに挟み込まれる証言者が1人ずつ「犯人」候補から脱落してゆく構成なので、話がストレートに進行すれば、最後まで残った2人のうち1人が「犯人」、もう1人が「内定者」になる筈だ。しかし、物語はそう単純には着地しない。構成に組み込んだ消去法自体を逆手に取ったという意味では、『スクランブル』より更に凝ったことをしているとも言える。浅倉秋成が『六人の嘘つきな大学生』を執筆した時点で『スクランブル』を読んでいたかどうかは不明だが、主要登場人物が6人という点は奇しくも共通している。


  ただし『スクランブル』と『六人の嘘つきな大学生』の共通点はそれだけではない。両作品では、ともに作中で死者が出ている(変死か自然死かはともかくとして)。生き残った者たちは、青春の日々を振り返る時にその死者の影を意識せざるを得ない。若い頃の彼らには果たして何が見えていなかったのか、歳を重ねたからこそ見えてきた真実とは何なのか。過去から蘇ってきた謎を現在において解明するという作業は、無念の思いを抱えたまま生を断たれた死者への弔いであり、同時に生き残った彼ら自身の青春にけりをつける行為でもあるのかも知れない。青春パートと大人パートの二段構えにしたことにより、作者が仕掛けたミスディレクションがより効果的なものとなった名作ミステリとして、両作品とも語り継がれることだろう。



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