朝ドラ出演の57歳俳優は元芸人。“まさかの相方”と30年ぶり復活のワケを本人に聞いた

0

2024年12月16日 09:00  女子SPA!

  • チェックする
  • つぶやく
  • 日記を書く

女子SPA!

田口浩正さん
 NHK朝の連続テレビ小説『虎に翼』で、高橋克実さんとともに弁護士の杉田兄弟役を演じた田口浩正さん(57歳)。個性派俳優として活躍する一方で、今年に入り小浦一優さん(芋洗坂係長)とのお笑いコンビ「テンション」の活動を30年ぶりに再開して話題となった。

 2025年1月には東京、2月には2人の地元福岡での新作ライブ「テンションライブ VOL.7 ワルアガキ」を開催することも決定している。

『踊る!さんま御殿!!』(日本テレビ系)の出演、小浦さんとの出会い、1990年前後のネタ番組の空気、ダウンタウンが東京進出した当時の衝撃を振り返ってもらいつつ、コンビ活動を復活させた理由について話を聞いた。

◆『さんま御殿』は恐怖でした

――10月8日、約30年ぶりにコンビでテレビ出演を果たしました。最初の番組が『さんま御殿』という怖さはなかったですか?

田口浩正さん(以下、田口):もちろんありましたよ。コンビで『笑っていいとも!』(フジテレビ系)、各々で『さんま御殿』に出たりってことはありましたけど、それほど(明石家)さんまさんと共演が多いわけでもなかったので。

相方(小浦さん)も緊張してたし、僕も2人で出るのは久々で勝手がわからないまま終わってしまった感じですね。

――田口さんから見ても、さんまさんは年齢を重ねるほどにパワフルになってますか?

田口:やっぱお化けだなと思います。その場の空気作りというか、「楽しい」っていうのが如実に見てる側に伝わるようなやり方じゃないですか。ツッコミの入れ方とか、棒で机を叩いて大笑いしたりとか。

『オレたちひょうきん族』(フジテレビ系)にしても、(ビート)たけしさんと全部アドリブであれだけ面白いことをやられてきたわけですからね。それでいて、さんまさんは全体を見る俯瞰の目もお持ちなので。

そういう方が作る空気感の中で、こっちは何とか乗っかって、振られたら臨機応変に応えなきゃいけない。台本にあるセリフを自分の役に昇華する感じでやってきた僕らにとっては恐怖でした。

◆出会いはショーパブのオーディション

――小浦さんと最初に出会ったのは、六本木のショーパブだったんですよね。

田口:僕は劇団東京乾電池の研究生を卒業した後、六本木の「ランフィニ レヴュー倶楽部」ってショーパブのキャストオーディションを受けに行ったんですよ。もともと唐沢(寿明)さんとかTRFのCHIHARUさんとかが踊っていたレヴューショーをやってるようなお店なんですけど、同時にイロモノ枠も募集してたからそこに入りたいと思って。

そのオーディションで偶然居合わせたのが相方の小浦。2人とも受かったんですけど、タイプはまったく違いました。向こうはダンスの専門学校を出てるから、踊れるしカッコいいしで女の子からキャーキャー言われるキャラで僕はお笑い担当。ただ、福岡出身で同い年だったから、何となくものの見方とか感じ方が似てて気が合ったんです。

当時の僕は「とにかく客前に立ちたい」って気持ちが強かったので、「相方にいいな」と思ってこっちから小浦を誘う形でコンビを組みました。それから、ショートコントの間に指を鳴らしながらザ・コーデッツの「ロリポップ」を歌ってつなげるネタを、そのショーパブでやり始めたんですよね。

――1989年にコンビを組んで、すぐに「ロリポップ」のネタを披露していたんですね。

田口:その後、今の事務所から声が掛かってすぐホリプロライブにも出られるようになったし、コント赤信号・渡辺正行さんが主催する「ラ・ママ新人コント大会」でもゴングショーじゃなくて即1本ネタでやらせてもらえたんです。

そのまま深夜番組とかにもちょこちょこ出演するようになって、同時に僕は21歳のときに周防正行監督の『ファンシイダンス』(大映)で映画デビューしてるから、とんとん拍子のスタートでした。

◆あの当時はみんなライバルって感じ

――同じ事務所では、さまぁ〜ず(当時は「バカルディ」)が同期なんですよね。

田口:役者としての所属は僕のほうが早いんですけど、芸人コンビで言うとほぼ同期ですね。向こうは東京の下町の子、僕らは福岡の田舎者だけど、同じ昭和42年生まれなのでやっぱ仲良くなって。タイプは違ったけど、2組で合同ライブをやったり、一緒にネタを作ったりしたこともありましたね。

当時、ホリプロでお笑いやってる人間たちは、今はもうない事務所の5階の稽古場に週1回ネタ見せに行かなきゃいけなかったんです。だから、みんなそこに集まってネタ見せして、毎月1回のライブに臨んでました。そんなサイクルが2年ぐらい続いたのかな。

――若手の勝ち抜きお笑い番組『LIVE 笑 ME!』(日本テレビ系)では目立つ存在だったと思います。爆笑問題、ホンジャマカ、SET隊(岸谷五朗・寺脇康文・山田幸伸による3人組)など、そうそうたるメンバーが出ていますが、どんな心境で番組に臨んでいたのでしょうか?

田口:今の芸人さんって、みんな仲が良くて徒党を組んで番組を盛り上げるじゃないですか。あの当時はもうみんなライバルって感じ。楽屋でも会話しないし、みんな「芸人としてどっかで破綻してろ」みたいな感性で生きてたからギスギスしてました。シティボーイズ寄りの“東京のお笑い”って流れもあって、演劇チックなものとか無表情で演じるシュールっぽいものが流行ってたんです。だから、東京の芸人たちはみんな「関西とは違うよ」みたいなネタをやってました。

当時は、僕自身も太ったキャラの割にバカになり切れないというか、「一応、俺ネタ作ってるから」みたいな、東京のお笑いチックな部分があったんですよね。そんなことどうでもいいだろって今の年齢になって思うんですけど(笑)。

◆関西勢に「フリートークじゃ敵わない」

――1990年前後は、東京を拠点に活動し始めたダウンタウンの影響も大きそうですね。

田口:デカかったですね。ダウンタウンさんが上陸してきて、ブワーッとみんな撤退していくみたいな。俺ら東京の芸人は「自分が思ってることをどう面白く伝えるか」っていう論理的な素地がないから、『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!』(日本テレビ系)のフリートークが始まったときに「勝てねぇ」ってみんな思ったんじゃないかな。

その少し後に、吉本印天然素材が人気になるんだけど、たまたま僕らは大阪の番組(読売テレビの『怒涛のくるくるシアター』および『電動くるくる大作戦』)で雨上がり決死隊、FUJIWARA、バッファロー吾郎と一緒にやってたんですよ。

やっぱりそこでもフリートークじゃ敵わないと思ったから、「関西とは違う、東京の感じを出さないと」っていうのはありました。ただ、ネタは大阪でも意外とウケてたし、僕個人もドラマに出始めてる頃だったから、そこまで張り合う感じでもなかったですね。

――“東京のお笑い”という意味で言うと、テンションは「方言ラップ」のネタを披露するのも早かったと思います。

田口:替え歌とかではなく、リズムが聞こえるような音ネタ。それでいて、「この言葉のチョイスだと面白いよね」って流れで作ってたから、奇しくも『ボキャブラ天国』シリーズ(フジテレビ系)を先取りするようなネタではありました。

『ボキャブラ』からもオファーがきてたんですけど、何となく「それはやめようぜ」って感じだったんですよね。そしたら、人気が爆発していったから「やっときゃ良かったね」っていう(笑)。

僕らと同じように断ったさまぁ〜ずも、『大石恵三』(フジテレビ系)が終わってもう1回売れるまでにちょっと時間が掛かってるじゃないですか。だけど、うまい具合に“東京のダラダラした感じの芸風”とか、三村(マサカズ)の「〇〇かよ!」ってツッコミがハマっていきましたよね。

◆60歳を迎える前にやっておこう

――1993年にコンビでの活動を休止。今年に入って復活しようと思ったきっかけは?

田口:もともとケンカ別れでもないし、解散したわけでもないんです。僕が芝居のほうにハマっていって、コンビの間でもいろんなことがあって、「1回、個人でやっていこうか」みたいな話し合いで決まったことで、活動休止中も交流はありましたから。

そんな中、5年前に「30周年で1回やろっか」となって劇場まで押さえたんですけど、新型コロナの影響で1回ライブが流れたんです。それからしばらくして、2人で話してるときに数字にこだわる相方が「35周年でやろうよ」と言い始めたんだと思います。

ただ、そこで確定したわけじゃなくて、最終的に「もう劇場を決めないと押さえられない」ってタイミングで、僕が相方に「本当にやる? お前がやるって言うなら、俺はやるよ」って念押しをして、向こうが「う〜ん……やる」って言ったのが決め手になりました。

もし相方が「やらない」って言ってたら、やらなかったかもしれない。だって、30年ぶりに再開するってキツいことでしょ? 今の若い人たちは僕らを知らないだろうし。

――にもかかわらず、もう一度コンビでライブをやろうと考えた理由は?

田口:活動休止後に僕自身がやりたいことをやってきて、もう1回あのときの青春というか、お笑いっていうものを感じてみたいと思ったんですよ。ただ、2人だけで100分ぐらいのライブをやるのは、年齢がいくほどキツくなっていくだろうなと。それで、60歳を迎える前にやっておこうと思ったんです。

今の相方は動きがキレるから舞台で活躍できてますけど、それでも「腰がね」「股関節がね」とか言ってるのを見ると、「そういう年齢なんだな」って思いますもんね。小浦はちょっと普通の人と違う太り方をしてるから、たぶんテンションでライブやったらハァーハァー言いながら早替えするだろうなって想像するし。

あと、コンプライアンスが叫ばれる時代に、今僕が感じていることを組み込んだ実験的なネタを披露してみたい気持ちもあって。最終的にやらない可能性もありますけど、“ライブだからこそできるもの”を模索して、できる限り面白いライブを作り上げたいと思ってるんですよね。

<取材・文/鈴木旭 撮影/鈴木大喜>

【鈴木旭】
フリーランスの編集/ライター。元バンドマン、放送作家くずれ。エンタメ全般が好き。特にお笑い芸人をリスペクトしている。著書に『志村けん論』(朝日新聞出版)がある。個人サイト「不滅のライティング・ブルース」

    前日のランキングへ

    ニュース設定