NHK朝の連続テレビ小説『虎に翼』で、高橋克実さんとともに弁護士の杉田兄弟役を演じた田口浩正さん。個性派俳優として活躍する一方で、今年に入り小浦一優さん(芋洗坂係長)とのお笑いコンビ「テンション」の活動を30年ぶりに再開し、話題となった。
2025年1月には東京、2月には2人の地元福岡での新作ライブ「テンションライブ VOL.7 ワルアガキ」を開催することも決定している。
前編では、コンビ結成の経緯、1990年前後のネタ番組やダウンタウンが東京に進出した影響など、主に活動休止前のエピソードについて語ってもらった。
後編では、活動休止に至った理由、「R-1ぐらんぷり2008」で準優勝した芋洗坂係長にまつわる話、自身のターニングポイント、改めて「小浦さんはどんな存在か」など、“表現者・田口浩正”の核心に迫る――。
◆活動休止は「今思えば僕が若かった」
――1989年にコンビを結成して約4年で活動を休止。この話はどちらから切り出したんですか?
田口浩正さん(以下、田口):僕からです。もともと僕には「喜劇役者をやりたい」って原点があったし、「映画を撮りたい」って気持ちもあって。その後、実際にテレビドラマとか映画を撮ることができたので、一応素直に自分がやりたいと思ったことはやらせていただけたんですよね。
とはいえ、今思えば僕が若かったんだと思います。自分の中で何かが旬になると、「そっちに力を注がないとダメ」となって「ちょっと休もうぜ」って言っちゃうタイプだったんです。それに、芝居の方向に舵を切りながらテンションのライブを年1回やれるかと言われたら、「それはちょっとキツいぞ」と思ってたというか。
――小浦さんはそれをすぐに受け入れたんですか?
田口:受け入れましたね。俺の歩み方を見ていて、何となく空気を感じとったんだと思います。当時の本当の気持ちは俺も聞けないから、今回のライブでVTRを流そうと思って、「どう思ってたか撮っといて」ってスタッフに伝えたんですよ。相方は芋洗坂係長で出てくるまでに何年も掛かってるし、僕も空白の何年間の思いを知りたかったので。
「『偉そうに役者面しやがって』と思ってた」とかボロカスに言ってくれたら助かるなと思いつつ、やっぱちょっと気になるから、「あいつ、どんな感じだった?」って周りに探りを入れてみたんです。そしたら、「ぜんぜん納得してた」みたいなことを言ってたらしくて(笑)。「その映像、ライブで使えないじゃん」と思いましたけど。
◆R-1準優勝を見て「うわー、きたよ」
――小浦さんがピンネタを作り始めたのは、「R-1ぐらんぷり2008」の数年前からですか?
田口:そうですね。たぶん、舞台の中で「ピン芸人ならこういうことがやれる」みたいなことを何本か試してたんじゃないですか。もうその当時は、カッコいい時代から打って変わって太ってたんですよ。だから、俺のことを「最強のライバルだ」って言いいながらやってました。人生って面白いですよね。
芋洗坂係長としてR-1決勝に出る前日、俺に電話が掛かってくるんですよ。「決勝まで残ってる」って言うから、「すげぇじゃん! お前、絶対やらかしてこいよ。絶対大丈夫だから」って伝えて。そしたら、準優勝したんですよ。あのときは嬉しかったですね、放送を見ながら「うわー、きたよ」って。
――「やっと」という感じでしょうか。
田口:小浦は自分で劇団を作ったりとか頑張ってる時期があったんです。しかも、メインの劇団員が2人とかだし、2つの劇団をやったので大変だったと思います。
芝居って時間と労力が掛かるうえに、本当にお金にならないんですよ。その期間も観客として観に行ったりはしてたんですけど、なかなかうまくいかないのはわかるし。そんな中、芋洗坂係長でバーンといったので本当に感慨深かったです。
さまぁ〜ずとかもそうだけど、本当に苦楽をともにした同志がグーッと売れていく姿って何度も見てきたから。同期でも後輩でも、才能のある人たちを見ると「今は売れてなくても、この人は絶対大丈夫だ」っていうのが僕にはわかる。だから、ずっと相方に対する心配はなかったですね。
◆地元の博多を一回振り返ってみてもいいのかな
――これまでに田口さん自身のターニングポイントはありましたか?
田口:バラエティーって私生活を切り売りする部分もあるじゃないですか。だから、「なるべく役者は出ないほうがいい」と思って、番宣以外はほぼバラエティーに出ないって時期がずっと続いてたんです。けど、43歳ぐらいのときに「自分のことを表現してもいいのかな」と感じ始めてシフトチェンジしたんですよね。
例えば自分のライブで、テレビでは絶対言わないような家族のこととかを表現してみたりとか。その文脈があったから、「30年ぶりにテンションでネタをやってみよう」ってことにもなったんです。まだこれからいろんな表現をしていくと思うけど、60歳を前に自分の足跡みたいなものをアウトプットする年齢にきてる気はしますね。
――ちなみに、43歳のときに何かきっかけがあったんですか?
田口:厄年になって、自分自身があんまりいい方向に行ってないなって気がしたんです。「何かやらなきゃ」と考えたときに、「若い頃はガツガツ東京で生きてきたけど、地元の博多を一回振り返ってみてもいいのかな」っていう気持ちにすごくなって。
とにかく僕と何かしらの関係がある福岡出身の仲間たちと地元で何かやろうと。僕はすぐ先輩風吹かせるので、いろんなところで「じゃ手伝いーね」とか言いながら協力者を募って、博多弁の歌を歌う『8343(やさしさ)』ってバンドを作ったりしたんですよね。
いまだにそのバンドは続いてるし、今後もやれる時期にポツンポツンとやっていきたいなと思ってます。
◆“ただドラマをやる人”で終わっちゃう
――俳優の田口さんだけを知っている方たちにも、「『8343』を観にきてほしい」みたいな思いはありますか?
田口:もちろん。舞台とかドラマを観てくれる人たちっていうのは、その作品のキャラクターで僕を知ってくれているわけじゃないですか。ただ、それは人が書いたセリフであって僕が発してる言葉ではないから、テンションでも何でも、どこかのタイミングで興味を持ってもらって相乗効果で知ってもらうのが一番嬉しいです。
だけど、一本道ではないから、いまいち浸透しにくかったりしますよね。山の頂上を目指すなら一本で行ったほうがいいけど、僕のやり方は何本もクネクネと回り道しながらでなかなか上がっていかない。ただ、そういうのも全部含めて僕なんですよね。やっとこの歳になって「このままでいいじゃん」って思えるようになりました。
だって、ドラマを見てる人たちは僕が嫌な役をやったら、ずーっと僕のことを「嫌なやつ」って思ったりするんですよ? 昔だと、「振られ役」「デブキャラ」「汗かいてる」みたいなイメージのまま。僕20年前ぐらいからずーっと体重は落としてるのに、いまだに「やせましたね」とかって言われるし(笑)。だから、シンプルに“普通の人間”になりたいんですよ。
――地元・福岡に目を向けるようになったのも、そういうところが大きそうですね。
田口:若い頃は、「博多弁しゃべれるよ」みたいなことをちょっとでも自慢したくなかったんですよ。まったくイメージがないまま博多弁をポンっとネイティブにしゃべって、「うわ、博多の人だ!」って思われたほうが役者としては得じゃないですか。
でも、初めて『8343』のライブをやったときに、「ここであと何本やれるんだろう」と思って。仮に2年に1回の活動で70歳前までやると考えたら、あと十数本しか自分の表現できる回数が残ってないんですよね。
友だちも徐々に亡くなっていくし、俺が地元の仲間たちに恩返しできるとしたら、みんなを集めてお祭りみたいなものを開催することぐらいかなと。それをやらなかったら、“ただドラマをやる人”で終わっちゃうと思ったんです。僕自身、年齢的にも「軽く背中をポンっと押してくれるだけでやるよ」って心境になってるし、そうありたい。
だから、集まったときの打ち上げって僕にとっては非常に大事なんです。みんなで一つになって何かやった後に、「楽しかった」「面白かった」と確かめ合うことが生きてることを実感する瞬間だったりするので。
◆ずっとやり続けてる人たちとは違う相方
――30年ぶりに活動再開するコンビって珍しいと思うんですが、改めて田口さんにとって小浦さんはどんな存在ですか?
田口:ずーっと相方ですね。ただ、休止してた期間があるから、向こうは向こうのやり方があっての今だろうし、僕もお笑いをやってた頃とは違う考え方になってるから、「ずっと一緒にいたら2人の関係性がどうなってたか」はわかりません。
あと、こっちが「これは面白いだろう」って言うことに対するリアクションとか乗り方が、ずっとやり続けてる人たちとはちょっと違うのかな。今回のライブで、それがいい化学反応になって面白くなってくれたらと思いますけどね。
小浦は「あの体形で踊れる」ってことで、ミュージカルとかですごい活躍してて。僕がいま一人でバラエティーに出てるのも、あいつがずっと『ビリー・エリオット〜リトル・ダンサー〜』(※現在は終演)って舞台に出ててコンビで稼働できないからなんですよ。
――60歳を前に、それぞれに充実した日々を送っているのはすごいですね。
田口:充実してるかどうかはわからないですよ。お互いにいろんなことに挑戦しながら、いろんな仕事の仕方をしながら、僕自身は今回のテンションの単独ライブで「本当にお客さんが笑ってくれるのか」っていうチャレンジが始まったばかりなので。
そのために今、「どう面白くするか」っていうのを考えてます。お客さんが笑ってくれて、終演後にスタッフたちと酒を飲んだときに「面白かったね」って声を聞いてから、ようやく充実するんだと思います。
<取材・文/鈴木旭 撮影/鈴木大喜>
【鈴木旭】
フリーランスの編集/ライター。元バンドマン、放送作家くずれ。エンタメ全般が好き。特にお笑い芸人をリスペクトしている。著書に『志村けん論』(朝日新聞出版)がある。個人サイト「不滅のライティング・ブルース」