倉田真由美、亡き夫との結婚は「宝くじに当たったようなもの」がん闘病中の森永卓郎に助言送る

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2025年01月11日 18:00  週刊女性PRIME

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倉田真由美さん 撮影/北村史成

 人気漫画『だめんず・うぉ〜か〜』の作者として知られる漫画家・倉田真由美さん(53)。X上では政治からワクチン問題まで忌憚(きたん)ない意見を書き込み、論客としてニュースに取り上げられることも多い。

最愛の夫と死別してからまもなく1年

 その倉田さんが最愛の夫・叶井(かない)俊太郎さんを膵臓(すいぞう)がんで亡くしてから間もなく1年がたつ。叶井さんは大ヒット映画『アメリ』を買いつけた映画プロデューサーだった。

 一方、プライベートは、自己破産、離婚3回、600人もの女性遍歴があることが有名で、“究極のだめんず”として名を馳(は)せた男性だ。周囲の心配をよそに2009年に結婚した二人だが、長女も誕生し、おしどり夫婦として幸せな日々を過ごしていた。

 しかし、2022年、叶井さんは余命宣告を受け、2024年、56歳という若さで帰らぬ人になってしまった。

 倉田さんは今も悲しみの淵にいる。つらい心境にありながらも、余命宣告後の叶井さんとの日々について、メディアで語ってきたのは、叶井さんを忘れたくないという思いがあるからだろう。

 今回のインタビューも時折、涙を流しながら話してくれたが、叶井さんが元気だったころの思い出話になると倉田さんの顔がうれしそうに輝く。夫を深く愛していたことが伝わってきて、切なくなる瞬間だった。

 振り返ると倉田さんのこれまでの人生は波瀾(はらん)万丈だ。名門の一橋大学を出ているにもかかわらず、就職氷河期で就職できなかった世代でもある。

 漫画『だめんず・うぉ〜か〜』でブレイクする29歳まではバイト生活で、前夫との結婚・離婚を経て、30代はシングルマザーとして奮闘した。そして今回の、叶井さんとの死別。そんな倉田さんの生きざまを振り返る。

山一證券の最終面接で落ちバイトをしながら漫画を描く

 倉田さんは福岡県で生まれ、銀行員の父と専業主婦の母という家庭で育った。小さいころから漫画が好きだったが、今の作風であるギャグ漫画ではなく、『なかよし』や『りぼん』といった少女漫画を愛読していたという。

 中学時代はガリ勉で、進学校の県立福岡高校に進学。恋愛にはまったく興味がなく、少女漫画を描いては出版社に応募する日々を送っていた。大学進学で東京の大学を志望したのも「漫画を出している出版社がある東京に憧れたから」という理由だ。

親からは地元の九州大学より上の国立大学なら認めると言われて。そこで東京工業大学と一橋大学を受験し、受かった一橋大学商学部に進学したんです」と倉田さんは話す。

 実は受験の前日、せっかく上京するのだからと作品を持って出版社に売り込みに回ったというから驚きだ。そんなにも「漫画家になりたい!」という情熱を持っていたにもかかわらず、大学に入った途端、倉田さんは漫画を描くことをやめてしまう。

マネージャーとして入部したサッカー部の主将に恋をしてしまったんです。中高時代にまったく恋愛をしてこなかったので、恋愛に夢中になってしまって。同じゼミに当時からプロの漫画家だった黒田硫黄さんがいて、画力の差に愕然(がくぜん)としたことも漫画家になることを断念した理由のひとつでしたね

 こうして恋愛にハマっていった倉田さんだが、少女漫画の世界の恋愛を現実に当てはめてしまい、うまくいかなかったという。

付き合ってもいないのに肉じゃがを作って持って行ったり(笑)。そりゃあ“重い女”として嫌われますよ

 21歳のときに初めて彼氏ができたが、そこから“だめんず”を渡り歩く歴史が始まった。「中国マフィアに狙われているからお金を貸してほしい」とウソをつく男や、別れ際に家具をすべて持ち去る男など、のちの代表作『だめんず・うぉ〜か〜』のもととなる恋愛体験が続いた。

 大学卒業後は就職するつもりだったが、就職氷河期に当たり、優秀な一橋大学の学生でも就職に苦労した時代だ。「漫画家になれないなら、編集者になろう」と考えた倉田さんは出版社を片っ端から受けたが採用してもらえず、唯一、最終面接まで残ったのが山一證券だった。

面接では『東洋経済や日経新聞を読んでます』と、すぐバレそうなウソを並べましたが、経済の基本的なことを質問されてもわかっていなくて失敗しました。このときにちゃんと面接対策をして採用されていたら、漫画家にはならず、違う人生を送っていたと思います

 就活に失敗したことで、一度は諦めた「漫画家になる」という夢に再度挑戦することを決めた倉田さん。画力がないことを自覚していたので、少女漫画ではなくギャグ漫画でいこうと戦略を立て、バイトをしながら漫画を描く生活を送った。そして23歳のとき、「講談社ヤングマガジンギャグ大賞」で大賞を受賞し、漫画家デビューを果たす。

これでもう安泰だと思っていたら甘かったですね。ヤングマガジンでは連載をもらえず、相変わらずバイトをしないと食べていけませんでした。雀荘(じゃんそう)の店員や塾の講師、食品モニターなどをしながら描いているうちに、ポツポツと漫画の仕事が入ってきて。29歳のときに描いた『だめんず・うぉ〜か〜』でようやく注目されるようになりました

『だめんず・うぉ〜か〜』でブレイク。結婚・離婚でシングルマザーに

だめんず・うぉ〜か〜』は、ダメな男性(メンズ)=だめんずばかりを好きになってしまう、見る目のない女性の体験談を漫画化した作品だ。登場する男性は、浮気、借金、浪費、虚言、DV、モラハラ、マルチ商法といった問題を抱え、そんな男性を選んでしまう女性の生態も描かれている。

 週刊誌『SPA!』(扶桑社)で13年にわたって連載が続き、テレビドラマ化、アニメ化、映画化もされた。

「だめんず」という言葉が一般化し、「くらたま」として倉田さんも一躍有名になるが、ヒットの前後で結婚・離婚を経験している。

結婚相手は編集者で、付き合っているときは話が合って楽しかったのですが、結婚するとケンカばかり。息子も生まれましたが、一緒にいることに耐えられなくなって1年半で離婚しました。

 離婚後は子どもを連れて福岡の実家に戻り、月に数日は東京に出稼ぎに出るという生活。漫画がヒットしたおかげでお金の心配はなかったのが幸いでした

 シングルマザーとして仕事と子育てに奮闘していた倉田さんだが、36歳のときに運命の相手と出会った。友人の小説家・中村うさぎさんから「くらたまが好きそうな男性がいる」と紹介されたのが映画プロデューサーの叶井俊太郎さんだったのだ。中村さんによると、倉田さんのタイプの男性は「ちょいワル系」だそうだ。

彼とは会ったときから話が尽きず、とにかく楽しかったんです。彼は映画『アメリ』を買いつけたことで有名ですが、本来はホラーコメディーが好きで、邦画では『いかレスラー』や『日本以外全部沈没』などを手がけてきた人です。私と映画や漫画の好みが細部まで同じで、そんな相手に会ったのは初めてでした。

 好きなものが似ていると、考え方も近いので、普段からそれほどモメることもないんです。自然とお付き合いが始まりました

叶井俊太郎さんと再婚し最高のパートナーを得る

 一方で、叶井さんはバツ3で、業界でも有名なモテ男だった。おしゃれでセンスのいいファッションでキメているが、借金まみれ。はたから見れば典型的なだめんずだったが、「私にとってはだめんずではなかった」と倉田さんは言う。

パートナーに求める基準は人によって違いますよね。私の場合、暴力を振るう人や束縛する人が最もありえなかったんです。浮気が絶対許せないという人にとって彼はNGでしょうが、私は一緒にいて楽しければいいという感じで。実際は浮気していたかもしれませんが、彼のスマホをチェックしたことはないですし、浮気を見つけたことはなかったです。

 私も働いて、贅沢(ぜいたく)をするタイプではなかったので、彼がお金を持っていないことも気になりませんでした

 交際から程なくして倉田さんは妊娠。もともと2人目の子どもが欲しかったので、出産することに迷いはなかったという。入籍へのこだわりはなかったが、叶井さんのほうが結婚を望んだ。

彼は記念日やクリスマスなど、意外にもセレモニーを大事にするタイプ。生まれてくる子どもと自分の名字が違うのを嫌がり、妊娠8か月のときに入籍しました

 叶井さんは今回が結婚4回目ということもあり、倉田さんの両親は再婚に大反対だった。これまで両親と顔を合わせたのは、叶井さんが結婚の挨拶に来たときだけだったという。

私の娘が夫みたいな男性を連れてきたら、やっぱり反対しますよ。だから両親が心配するのは理解できるんです。でも私にとって夫と出会えたことは、宝くじの大当たりを引いたくらい幸運なことだったので、両親の反対も気になりませんでした。

 夫は世間的には破天荒に見えますが、仕事の締め切りは守るし、生活リズムもきちんとしていました。私のほうがだらしないくらいで、生活を共にするにはとても暮らしやすい相手だったんです

 叶井さんは家事や子育ても積極的に行い、「ママが二人」という状態だったと倉田さんは振り返る。

保護者会とか子どもの学校行事はすべて彼が参加し、ママ友もいっぱいいました。『緑のおばさん』当番も必ず夫は参加して、道に立っていましたね。子煩悩で、もし離婚することになったら、親権は彼が持つほうがいいと思ったくらいです。

 モテ男で男っぽいイメージを持っている人も多いかもしれませんが、中身はおばさんみたいな人ですよ。うちに送られてきた女性誌をいつも熱心に読んでいましたし(笑)

 子どもが生まれてからはセックスレスになったが、それも問題とは思わなかったという。

夫とは同性の友達みたいな関係で、お互いの裸を見ても風景を見ているような感じ。セックスしたいとは思わなくなりましたが、大好きだったことは変わりません

 金銭感覚は大きく異なっていた二人だが、倉田さんの寛容さでこちらもケンカにはならなかった。

彼はファッションへのこだわりが強くて、びっくりするような価格のスニーカーやTシャツを平気で買うんです。そんなことが許される家計ではないので、さすがにどうかと思っていましたが、『とにかくいい服を着たい人なんだからしょうがない』と途中から諦めました。私は洋服を気にするタイプではなく、メルカリやしまむらで購入し、ちょっといいものはユニクロという状態。

 夫がこんな感じでしたし、子どももいますから、自分がしっかり働かねばという意識はありましたが、苦になったことはありません

夫が膵臓がんで余命1年、高額の自由診療も試す

 幸せだった結婚生活に暗雲が垂れ込めたのは、2022年5月のことだった。

彼はそれまで持病もなく元気でしたが、あるとき肌がどんどん黄色くなっていって、おかしいなと思いました。受診をすすめたところ、最初の病院の診断は胃炎。

 でも胃炎で肌は黄色くならないと思って、別の病院を受診してもらい、胆石や肝炎が疑われました。国立病院で精密検査をすることになり、そこで膵臓に4センチを超える大きさのがんが見つかったんです

 医師からは「悪ければ半年、長くて1年の命です」と告げられた。泣きじゃくる倉田さんとは対照的に、叶井さんは冷静だったという。

抗がん剤が効いたら手術できる可能性が出てくるかもしれないと言われましたが、それでも5年生存率は2割でした。彼は確率の低い延命治療を拒否し、余命を受け入れ、死ぬまで仕事をする生き方を選んだんです

 このときのやりとりは、叶井さんの最後の著書『エンドロール!』(サイゾー)のあとがきに記されている。

「悲しくないの?」
「悲しくないよ。人間いつか死ぬんだし」
「心残りないの?」
「ないよ。まあ、読んでる漫画の続き読めないのと来年以降の映画観れないのだけ残念だけど、キリないからな」

 それでも倉田さんは諦めきれず、自由診療の高額な免疫療法を調べて、試してもらうことにした。

夫は告げられた余命よりも9か月長く生きることができましたが、免疫療法のおかげかどうかはわかりません。当時は少しでも長く生きられるならと必死でしたが、高額ですし、ほかの人にはおすすめできないですね

 叶井さんは、毎日会社に通って、元気なときと変わらず仕事をしていたが、次第に食べられなくなり、体重は20キロも減った。それでも亡くなる前日まで普通に暮らすことができたという。

いつものようにおしゃべりして、ごはんを食べて、シャワーを浴びてテレビを見ていたのですが、夜の10時ぐらいになって『先生を呼んで』と言われたんです。血圧が低くなっていて、意識もなくなりました。来てくれた医師からは『夜明けまで持つのは難しいと思います』と言われましたが、朝はちゃんと目を覚まして『俺、昨日ヤバかったよね』と言ったんです。

 でも、それから意識が朦朧(もうろう)として、呼吸が弱まってきて、『父ちゃん息して!』と声をかけたのが最後になりました。夫が寝たきりになったのはこの日だけ。夫の希望どおり自宅で看取(みと)ることができたのはよかったです

 叶井さんが亡くなる前に倉田さんへの遺言はあったのだろうか。

まったくありません(笑)。そういうことをする人ではないんです。あれだけ子煩悩で生きていたのに、娘にも『楽しく生きろ』と伝えただけでした。自分の思うままに、楽しく、やりたいことだけをやってきた夫は、幸せな人生だったと思います

 亡くなってからも叶井さんらしいエピソードがたくさんあるが、遺産の話もそのひとつだ。

預金通帳の残高は亡くなった月に振り込まれた給料の20万円ちょっとだけ。それ以前のお金は一銭も残っていませんでした(笑)。その20万円も翌月のいろんな請求で消えましたし、治療費も葬儀代も私が出しています。普通の人は妻や娘のためにお金を残そうと思うはずですが、遺産がゼロというのも彼らしいですよね

 今も亡き夫のブログやフェイスブックを読み、思い出を振り返ることが多いという。

ふっと流れてくる失恋ソングが、どれも夫とのことを歌っているように聞こえてしまって、涙が止まらなくなるんです。夫が亡くなって1年がたとうとするのに、こんなに泣いてばかりいるなんて、私はなんだか大きく変わってしまったなと思います。でも娘は夫に似て、メソメソすることはないのでそこに救われていますね

 倉田さんは叶井さんが余命宣告されてからのエピソードを漫画にし、Amazonで無料公開している。

彼の考え方、好きなこと、嫌いなこと、大切にしていたものを伝えたい、彼の素晴らしさを知ってほしい、彼のことを忘れてほしくないという思いがあって、泣きながら描いています。思い出すとそばに夫がいないことがつらくなるのですが、私にしか残せない夫のことを伝えておきたいんです

余命宣告された森永卓郎さんへアドバイス

 実は倉田さんの周りには、叶井さんだけでなく、もう一人、膵臓がんで余命宣告された人がいた。経済アナリストの森永卓郎さんだ。二人はラジオ番組で共演したことをきっかけに意気投合し、森永さんは、倉田さんに全幅の信頼を置いているという。

くらたまさんは主張が明確で、誰にも忖度(そんたく)しません。だから番組を降ろされてしまうのですが、そういうところが私とよく似ているんです。業界の人と食事に行くことはまずないのですが、くらたまさんとは一度、食事もご一緒しました」と森永さんは語る。

 森永さんといえば2023年12月に膵臓がんステージ4と判明し、余命4か月の宣告を受けたことを公表している。

公表してから私のところに治療のアドバイスが2000件以上も来ましたが、どの人も『これをすれば治ります』と言うんです。くらたまさんからは、叶井さんがやっていた免疫療法を聞きましたが、『効くかどうかはわからないよ』と。でもそういうところが信頼でき、その免疫療法を私も受けることにしました

 森永さんは余命宣告から丸1年たった現在も元気に過ごしており、倉田さんも「森永さんは死なないんじゃないかな」と話す。

以前、文化放送のイベントで私とくらたまさんとで『もりたま学園』という漫才ユニットを組んで、漫才を披露したことがあります。今度はM―1に出ようという話になったので、年末のM―1にくらたまさんと出ることを今の目標にしています

 YouTube番組「政経プラットフォーム」を主宰し、森永さん、倉田さんとともに配信を行っているITビジネスアナリストの深田萌絵さんも、倉田さんに絶大な信頼を寄せている一人だ。深田さんと倉田さんの親交は、深田さんがタレント時代、自身のだめんずエピソードを倉田さんに披露したのがきっかけだった。

「私の父はとんでもなくテキトーな人だったのですが、くらたまさんと共演させていただいたラジオ番組の後に父の話をしたところ面白がってくれ、『だめんず・うぉ〜か〜』に取り上げてくださったんです。

 父が個性的すぎたので、どんな男性に出会ってもいい人に見え、私は数々の悪い男性に引っかかってきました。まさに『だめんず・うぉ〜か〜』で(笑)。離婚もしましたが、私が恋愛から何から気兼ねなく相談ができて、ズバッと本音でアドバイスしてくれるのはくらたまさんだけです」と深田さんは話す。

 叶井さんとの結婚を聞いたときは、倉田さんの「ダメな人を愛する力」を改めて認識したが、深田さんはそこに救われてきたという。

父は周りからろくでなしと言われてきましたが、倉田さんは『お父さん面白いね。もっと話を聞かせて』と言ってくれました。そのとき、こんな父でも役に立つことがあったんだとうれしくなったんです。

 ダメな男性って、通り一遍の普通の男性より味わい深いものがあり、そこに魅力があったりするんです。ただし、だめんずに引っかかってもいいのは、お金で苦労しない、経済的に自立している女性だけですよ

 叶井さんが亡くなった後、倉田さんに自身のYouTubeの番組への出演を依頼したが、最初は断られた。

ちょうど新しい番組を立ち上げたとき、叶井さんの遺言が『くらたまに仕事をよろしく』だったことを知りました。番組で誰にも忖度せずに本質をズバッと言えるのは、くらたまさんしかいないと思ったんです。ただ一度目は『収録中に涙が止まらなくなるかもしれない』と断られました。

 1か月後に再度ご依頼しましたが、そのときもダメだったんです。3回目は『森永さんと一緒にがん闘病の話をしてもらえませんか』と依頼すると、『森永さんに会いたい』ということでOKのお返事をいただけました

 ただ、収録の際は、倉田さんが森永さんを見て叶井さんを思い出し、やはり涙が止まらなくなっていたという。

「2回、3回と収録を続けるうちにくらたまさんの表情も明るくなっていき、森永さんもお元気なので安心しました。くらたまさんは知的で本質を突きます。普通の人は言語化できない部分を表現していける方で尊敬しています」

 また、深田さんには、倉田さんから聞いた忘れられない言葉がある。

『女性としての人生を本当に楽しんだ。満喫した』っておっしゃったとき、わが身を振り返り、ショックを受けました。私は仕事第一で女性らしさを捨ててきたところがあります。くらたまさんは言論で闘いながらも、女性らしさを捨てず、情が深く、愛に生きているところが素敵です。

 倉田さんからは『その殺伐(さつばつ)とした生活をいつまで続けるつもりなの?』と指摘されました。叶井さんが亡くなっておつらいでしょうが、そんなに愛せる人と出会えたくらたまさんがうらやましいですし、私ももう一度、恋愛をしたくなりました

小料理屋の女将や田舎暮らしも視野に

 叶井さんが亡くなった際、倉田さんは「いい思い出しかありません。最高の父ちゃんでした」とコメントを出した。そんな倉田さんがまた新たな相手とともに人生を歩む可能性はあるのだろうか。

そこに希望は持っていません。夫との相性があまりにもよすぎたので、ケンカしないですむ男性を探すのは難しいと思うんです。私は妹と仲良しなので、新たなパートナーを探すより、老後は妹と一緒に住むほうが楽しいかもと思ったりします

 仕事では漫画家以外の生き方にも興味を持つようになった。

さりげなくお茶漬けを出したりするような小料理屋の女将(おかみ)とか、飲食店をやってみたいという気持ちがあります。もうひとつやってみたいのが、田舎で畑を持って、地鶏とかを飼う生活。

 地鶏の卵でこだわりプリンを作って販売するのも面白そう。もちろん漫画は描きますが、やってみたいことを人生でやり尽くしてから死にたいですよね

 幸せな結婚生活を送った倉田さんには、恋愛や結婚の相談が多く寄せられるが、数多くのだめんずを見てきただけあって、安易に結婚や再婚をすすめたりしないのはさすがだ。

私が夫に出会えたのは、宝くじに当たったようなものだと思っています。なかなか結婚で1等のくじには当たらないですし、私も最初の結婚は、衝突ばかりで失敗しています。

 周りを見ていても、これまでの結婚生活に我慢を重ねてきて、夫が亡くなってのびのびしている人のほうが多いくらいですよね。合わない人と結婚して我慢しながら生きるくらいなら、絶対ひとりのほうが幸せですよ

 最愛の人を亡くした喪失感に打ちのめされながらも、鋭い弁舌は衰えていない。一方で小料理屋の女将や田舎暮らしの未来も模索している。悲しみから立ち直ったとき、倉田さんがどこに向かって歩いていくのかまったく予測ができず、やはり目が離せない面白い人なのだ。

取材・文/垣内 栄

かきうち・さかえ IT企業、編集プロダクション、出版社勤務を経て、 '02年よりフリーライター・編集者として活動。女性誌、経済誌、企業誌、書籍、WEBと幅広い媒体で、企画・編集・取材・執筆を担当している。

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