「震災の日に生まれた自分の誕生日は、多くの人が亡くなった悲しい日だと最初は思っていました。でも、今は周りの人への感謝を知る貴重な日。僕にしかできないことがあると思っています」
そう語るのは、1995年1月17日の阪神・淡路大震災の当日、神戸市兵庫区で生まれた中村翼さん(29)。
中村さんの母は、あの日、自宅で激震に襲われた。父親がとっさにおなかにいる中村さんを守った。凍える寒さのなか、身を寄せた小学校で破水。大渋滞の末にたどり着いた病院は電気も水道もガスも止まっており、中村さんは懐中電灯の明かりに照らされて、午後6時21分に生まれてきた。
そんな地震発生から中村さんの誕生までの12時間を描いた絵本『ぼくのたんじょうび』が昨年12月17日に出版。文章は中村さんが考え、挿絵は神戸市の絵画教室「アトリエ太陽の子」に通う幼稚園児から高校生まで219人が携わった――。震災を経験していない世代が作り出した絵本だ。
画家で「アトリエ太陽の子」を主宰する中嶋洋子さんが語る。「生徒には“あの震災にあっていたならば”と想像して絵にする『命の授業』をしています。絵本で命の尊さを学んでほしいです」
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■肩の力を抜いた災害への備えは日常に溶け込んで
6千434人の命を一気に奪い去った阪神・淡路大震災から、まもなく30年になる。
あの未曽有の震災で、書籍の下敷きになり仮死状態に陥るも、心肺蘇生により九死に一生を得た、神戸市在住の料理研究家・坂本佳奈さんが語る。
「阪神高速道路が横倒しになった東灘区で被災し、ライフラインが寸断されました。電気は7日で復旧したものの、水道とガスが戻るまでは3カ月以上かかりました。そのときに乾物を使った料理や季節の保存食が役立ちました。あれがあれば助かった、これがあれば楽だった、と伝えるのが生き残った者の義務だと思っています」
料理研究家だった母・廣子さんと共著で『台所防災術』(農文協)を出版。台所から防災をテーマに、大人から子どもに、災害時の対処法やレシピを伝えている坂本さんがこう続ける。
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「防災意識といっても、いつ来るかわからないことに心配し続けても体にも悪いし、人間は2〜3年で“もういいかな”と緊張が緩んでしまうもの。 生活をすべてガチガチの防災仕様にするのではなく災害の備えは日常に溶け込んでいることが理想。神戸の人たちは、そんな肩の力を抜いた備えをしている人が多い気がします」
神戸市民の防災意識の高さについて、昨年4月に神戸市が行った『ネットモニターアンケート調査結果』をみると「食料や飲料水の備蓄をしている」と答えた人は73.6%にのぼった。
この防災意識の高さについて、神戸学院大学社会防災学科の舩木伸江教授(防災教育)に聞いてみた。
「神戸市では、毎年1月17日前後だけでなく、折に触れて幼稚園や保育園の未就学児から高校生にいたるまで防災教育が続けられています。とくに未就学児への防災教育では、絵本を使ったりクイズ形式にしたりと楽しみながら防災の大切さを学べるのが特徴的。防災教育の効果は即効性のあるものではなく、もしかしたら大人になって気づくことかもしれません。それでも地道に防災教育をしていくことが重要。さらに防災教育は、お互いが困っているときに助け合える、人の痛みがわかるなど、そんな気持ちを育むことにもつながるのです」
実は、舩木教授は、前出の中村翼さんの大学時代の恩師であり、絵本の制作を発案している。
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本誌記者は、中村さんが神戸学院大学で防災教育について学んでいた20歳のときに取材している。当時は“震災ベイビー”として特別扱いされることが重荷になっていることも語っていた。その後、防災学を学んだり、東日本大震災の被災地を訪れたりしたことがきっかけとなり、震災を伝えていくことの大切さに気づいたという。
最後に中村さんが語る。
「震災を知らない世代にバトンパスのように語り継いでいきたい」
多くの命が失われた震災から30年――。新たな“語り部”たちが動きだしている。
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