父と母……親を思い浮かべるときに、どのような気持ちになるかは人それぞれである。大半の人は“大切な存在”なのではないだろうか。たとえどんなに親に苦しめられても、人生を壊されても親は親。介護になっても、可能な限り協力したいと思う人が多いだろう。
それを大きく飛び越え、「親の介護ですか……ボッコボコにしてもいいならいいですよ」と話す、29歳のまなみさん。
穏やかに、気さくにインタビューにこたえてくれた彼女をそこまで言わしめる両親。一体何をされたのだろうか。
前回に引き続き、毒親被害を受けた彼女のインタビューをお届けする。
◆理不尽に怒鳴りつける父親
まなみさんは「まず、両親とは話が通じません」と話す。特に、家の中で父は絶対的な権力があり、どれだけ理屈がおかしくても、どれだけ矛盾をしていても、自分の気分を損なえば子どもをサンドバッグにしていたという。
「物心ついてから家を出る18歳までよくあった話です。外食に行く際、父に『何が食べたいか?』と聞かれます。父には自分の答えてほしい答えがあるんですよ。そんなときに私が、父の思うことと違うことを言ったら、そこから怒り始めるんです。『はぁ?なんでそんなしょうもないこと言うんや。お前にそんな権利があるなんて、勘違いすんじゃねえよ!』といった言葉が、だんだんヒートアップして、顔につばがかかるくらいの近さで怒鳴られて。それどころか翌日から無視されて、父は母に『あいつにメシやんなよ』と指示し、母親はそれに従います」
食べたいものを言わないのも、「そんなことも言えないのか」と怒りにつながる。かといって控えめに「なんでもいいよ。お父さんの好きなものが食べたい」と言っても、「なんでもいいとは何様や」と始まる。まなみさんに逃げ道はない。
◆決まった就職先に対して、両親がまさかの行動に…
約10年前、まだ高校生だった頃、大学進学を希望した彼女は両親に反対され「高校を卒業したら働け」と言われていた。しかし、就職活動において両親はまったくの無関心。仕方なく高校の就職斡旋の求人から自分で見つけた会社に応募し続け、とあるバス会社から内定をもらうことになった。就職を機に、とにかく家を出ることさえ出来ればよかったのだが……。
「寮付きの仕事で内定をもえました。主にバスガイドの仕事だったのですが、これが両親をはじめ、親戚一同から猛反対を受けたんです。とんでもない偏見なのですが『バスガイドなんていう仕事は、ふしだらな女がする仕事や!』とか言って……。そして、両親は校長先生や担任の先生、就職関係者を集めて話しに行って、内定を取り消されてしまいました。両親は自分たちのプライドのために、私を公務員や銀行員など他人にマウントをとれる職業に就かせたかったみたいです」
◆人生で初めて親に怒りをぶつけた結果…
一度、こんな騒ぎを起こし内定を取り消したが最後、高校の就職斡旋の制度は利用できなかった。1人でハローワークに行ったり、企業へ直接応募したりしても「なぜ高校の制度を使わないのか」と不審がられ、門前払いに……。働き口を見つけられないまま、卒業式の日が前日に迫り、このままニートになってしまう彼女は、怒りをぶつけたという。
「私はもう限界だったんです。『お前らが内定取り消したからやん!毎日毎日会社まわって、面接受けに行ってたんだよ!どうしてくれんねん!』と喚きに喚いて、目が開けられないほど大泣きしながら初めて両親に歯向かいました。積もりに積もった怒りと悔しさと悲しさで、文字通り必死の訴えをしたんです。しかし両親はまったく聞く耳を持たなかったですね」
◆卒業式の欠席を知った父親からの暴行
泣き腫らした目は、冷やしたら次の日に腫れが引くレベルではなく、本当にひどい顔だったため、翌日の卒業式を休むことにしたという。すると、卒業式の欠席を母の告げ口で知った父は、怒り心頭で仕事を放り出して帰宅。まなみさんは父親に頭を踏みつけられながら、これ以上ないほどの怒声を浴びせられていたという。
「お前ごときの欠陥ゴミくずが俺をなめてんのか? お前の意志でお前の勝手で、お前のような低脳が学校を休めるなんて抜かしんじゃねぇぞ? おい、わかってんのかよ!」
父親が怒鳴る度に踏みつけられた頭が、床に打ち付けられる。数時間に及んだ怒声と暴力に頭がおかしくなりそうになって、泣き叫びながら謝っていたという。
「もうとにかく怒鳴るのをやめてほしくて、ヒートアップしたら殺されてもおかしくないとも思いました。自分が何一つ悪くなくても『ごめんなさい、ほんまごめんなさい』と謝るしかなかったんです」
◆両親から離れたあとの後遺症
「このときのことは、あんまり記憶にありません……」と話すまなみさん。その後、なんとか就職先を見つけ、家を出ることができたそうだ。
「その後、自力で就職先を探して内定をもらって家を出ましたが、親から離れても平和になんか暮らせません。カウンセリングに行ったときに診断されたのは、鬱病と強迫性障害と不安障害でした。父に似た背格好の人がいたら呼吸困難になったり、誰かとすれちがったときにその人が笑っていたら“自分が笑われたのかな”と思ったり……。そういうこともあって、人が怖くて人混みはもちろん、ちょっと空いた本屋さんなんかでも急に呼吸が苦しくなることがあります。出歩くのは早朝か夜中しか考えられません」
◆両親は出産時に「女は介護に使える」と発言
両親とは今は絶縁状態だという。どうやら出産時に男の子が欲しかった両親は、彼女が生まれて「女は介護には使えるんやから一人くらいいてもええやん」という発言をしたようだ。
「今でも親は私に介護を当たり前のように期待しているでしょうね。私だってこれまでされてきたことの倍返しができるなら、やりますけど。でも、今は自分ひとりではなく、迷惑をかけたくない大切な人がいるのでやりません。あの人たちがのうのうと生きているのが今でも本当に死にたくなるほど悔しくて、何かきっかけさえあれば、いつでもその気持ちに戻ってしまう自分が正直怖いです」
◆誰も手を差し伸べてくれなかった18年間
両親、祖父母、母の姉、校長先生、担任の先生、友人の親、近所の人。このインタビューの中で、話に出てきた大人は多くいた。しかし、誰一人彼女がどれだけ窮地に追い込まれていても手を差し伸べる人間はいなかった。彼女は何度理不尽な目に遭っても独りで生きるしかなかったのだ。
18年間の非道な虐待は、親から離れて10年以上経った今でも癒えることはなく、彼らの存在に未だ脅かされている。綺麗ごとではとても片付かない、正直な気持ちを語ってくれた彼女に、どうか1日でも多く穏やかな日々が訪れてほしいと願わずにはいられない。
丁寧で真面目で穏やかな彼女とのやりとりは、多くのものを踏みにじられてきた彼女の強さの表れであると感じた。
取材・文/なっちゃの
【なっちゃの】
会社員兼ライター、30代ワーママ。世の中で起きる人の痛みを書きたく、毒親などインタビュー記事を執筆。