ガンバ大阪・名和田我空、スカウトが認める天賦の才「ゴールを決める星のもとに生まれた選手」

0

2025年02月14日 07:40  webスポルティーバ

  • チェックする
  • つぶやく
  • 日記を書く

webスポルティーバ

写真

ガンバ大阪
名和田我空インタビュー(後編)

前編◆名和田我空「違いを出せるところで勝負していきたい」>>

 ガンバ大阪の名和田我空が今の彼に通じるプレースタイルを確立したのは、神村学園・中等部時代だ。その頃にはすでに定まっていた「プロサッカー選手になる」という目標から逆算し、生まれ育った宮崎を離れる決断をした。

「プロサッカー選手になろうと思うなら、中学から強いチームとか、厳しい環境があるチームに行くしかない、と。サッカーがうまくなるためにとか、プロに近づくためにということを考えるなら、子どもながらにその環境の選び方はすごく大事だと思っていました。

 当時はまだ本当に子どもで、今ほどいろんなことを計画的に考えていたわけではなかったですけど(笑)、漠然でも日本一とか、プロになることを描くなら、今のうちに親元を離れて自立する覚悟が必要なんじゃないか、ということは頭にありました。Jクラブのアカデミーに行くことも考えないではなかったし、実際に話もいただきましたが、そのJクラブには中学生から入れる寮がなかったのと、高校サッカー選手権に出たいという思いもあって、神村学園を選びました」

 そのなかでは、成長期に差し掛かるにつれて周りとの体格差を自覚することが増え、それが"自分が活きるプレー"を考えることにもつながっていったという。

「特に中学2年生くらいから一気に体が大きくなる選手もいたのに対し、自分はなかなか大きくならなかったので。じゃあ、この体格でどういうプレーで勝負できるのかを考えたら"技術"だなと。その時点である程度、足元(の技術)には自信があったし、実際にペナルティエリアに入っていった時の質の部分では勝負できるなって手応えがあったので、そこをより磨いていけば活躍できるんじゃないかと考えるようになりました」

 特に中学3年生時に、何度か"飛び級"で神村学園・高等部の一員として試合を戦った経験もプレースタイルの確立に大きく影響したという。

「高校(の試合)ではサイドハーフとかトップ下など、結構いろんなポジションでプレーしたんですけど、当然ながら対峙する相手は中学生年代より強いし、デカいじゃないですか? そうした相手を前にした時に、頭を使ってプレーしたり、相手を見て判断することを覚えたというか。サイドハーフなら、相手のサイドバックが困るようなポジション取りをすれば抜けられるんだとか、相手の特徴に応じて自分のプレーを変えられるようになれば勝負できると肌身で感じたことで、自分のプレースタイルが明確になり、これで勝負しようと思えるようになった。

 かつ、世界のサッカーを見ていても、センターフォワードはデカいし、サイドやウイングの選手は速いけど、僕はそこまで身体能力は高くはないので。より頭を使うとか、判断のスピード、正確性を上げることを心掛けるようにもなりました」

 そんな彼の中学時代のプレーを記憶に留めていた人物がいる。名和田の獲得に尽力した、ガンバのフットボール本部強化部・スカウト担当の青木良太氏だ。

 当時、神村学園高でプレーしていた福田師王(ボルシアMG)の視察に訪れた際、偶然、途中から出てきた名和田のプレーを見て、光るものを感じたという。

「当時は、サイドハーフやトップ下で出たり、2トップの一角を担ったりしていましたけど、体は小さいのにプレーの質を活かして数多くのチャンスを作り出していましたから。第一印象は『(宇佐美)貴史に似ているな』でした。狭いスペースでもシュートまで持っていく力もあったし、大事なところで点を決められる勝負強さもありました」(青木スカウト)

 さらに高校生になると、思考や判断の質にもより磨きがかかり、よりピッチでの存在感を際立たせていったという。それが、今回のオファーにも繋がった。

「(名和田)我空は考えてプレーしている分、判断を間違えることが少ないし、試合のなかでおそらくは自分が仮定したことを遂行できている確率も高い。たとえば、大抵の人は、シュートを打つまでの過程はイメージできても、どこにシュートを打つのかまでイメージできる選手はほぼいないんです。でも、彼はフィニッシュまでをトータルして表現できる。それは、洗練されたスキルとシュートを打つ技術、イメージがあるからだと思います。

 加えて、単なるシュートスキルではない能力というか......なんか決めるよね、大事な時に決めるよね、的な天賦の才というか、"ゴールを決められる星のもとに生まれた選手"であることも魅力なのかな、と。フリーキックの質も高いですしね。

 そういう意味では、J1リーグを見渡しても、シュートスキルはトップレベルにあると思っています。ただ、本人も自覚しているとおり、足が速いわけではないからこそ、プロの世界で数字を残していくには、嫌なところに顔を出す回数やフィジカル面はまだまだ鍛えていかなきゃいけない。そこはこれからですね」(青木スカウト)

 背番号は「38」に決まった。ガンバではかつて、堂安律(SCフライブルク)や中村敬斗(スタッド・ランス)が背負った番号だ。

「正直、そこまで番号にこだわりはないですけど、いざ番号を決める時に、神村学園高のエース番号で、僕も背負った14もいいかなとか、10番も好きだなとは考えたんです。でも、10番は(倉田)秋くんの番号だし、14番は(東京ヴェルディに移籍した福田)湧矢くんから(山田)康太くんへって流れがあったので。それなら、小学1年生の時からつけてきた42もいいかなと思ったんですけど、最終的には偉大な先輩たちがつけた38になりました」

 ちなみに、名前が挙がった倉田には小学生の時に、宮崎キャンプでサインをもらったという思い出も。その事実を最近、ふと思い出したらしく「それがガンバへの加入の決め手になった......と言えば美しいけど、そうじゃない」と笑った。

「ガンバが宮崎キャンプに来ているって聞いて、友だちと練習を見にいったんです。ガンバが三冠に輝いた年なので2014年です。ヤットさん(遠藤保仁コーチ)やパトリック(ツエーゲン金沢)、今野さん(泰幸/南葛SC)らがいたなかで、貴史くんと秋くんにサインをもらいました!

 ちょうど先日、地元に帰った時に、当時一緒にキャンプを見に行った友だちに会って、その話になって。『だからガンバを選んだのかと思った』って言われたんですけど、全然関係ない、と(笑)。ただ、何かの見えない縁では繋がっていたのかもしれない。サインをもらった選手と一緒にプレーをしているのもなんか、不思議な感じがします」

 遠い未来には"世界"や"ワールドカップ"も描いているが、目下の目標は、1日も早く公式戦の舞台に立つことと、勝利の"ガンバクラップ"をすること。そのために「どこまでも成長し続けたい」と力を込める。

 そういえば、前述の青木スカウトに名和田の人となりについて尋ねた際、「物怖じしないし、サッカーに向き合うメンタリティもすごくいい」という言葉とともに「実は意外と面白い」と聞いていたことを思い出し、取材の最後に初めての"関西"には馴染めそうかと尋ねたら、なるほど、と思う返事が返ってきた。

「関西のノリは好きなんですけど、生まれて一度も『ホンマ?』って言ったことがなかったし、『〜やで』も初めて生で聞いて、ちょっと感動しています(笑)。ま、僕もめっちゃ訛っているとは思いますけど」

 肝が据わった堂々たるプレーぶりとは対照的な、素顔が少し覗いた。

(おわり)

名和田我空(なわた・がく)
2006年7月29日生まれ。宮崎県出身。2025年、神村学園高から鳴り物入りでガンバ大阪に入団。プロ1年目からの活躍が期待される。世代別代表でも力を発揮。U−17日本代表では、2023年U−17アジアカップでの優勝に貢献。U−17W杯にも出場した。

    ランキングスポーツ

    前日のランキングへ

    ニュース設定