ダウン症書家、カフェ店員に=「地域に元気と幸せ届ける」―金澤翔子さん・東京

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2025年03月21日 07:31  時事通信社

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カフェ「アトリエ翔子喫茶」で働く金澤翔子さん=2月28日、東京都大田区
 21番目の染色体が3本あることから、国連は3月21日を「世界ダウン症の日」と定める。ダウン症の書家として知られる金澤翔子さん(39)は昨年12月、「地域の人々に元気と幸せを届けたい」との思いから、地元の東京都大田区のカフェで働き始めた。カフェ開業を発案した母泰子さん(81)は「翔子がこの町で生きていく場所になれば」と願う。

 翔子さんは5歳の時、泰子さんが開く書道教室で初めて筆を持った。「翔子は書がうまいよ。20歳になったら個展でみんなに見てもらおう」。2000年に心臓発作で亡くなった父裕さん=当時(52)=の言葉が翔子さんの道を開いた。

 05年に初の個展を東京・銀座で開催。メディアで大きく取り上げられ、周囲から「うちでもやりましょう」と声が掛かった。国内外で開かれた個展は500回近くに上る。作品はNHK大河ドラマの題字にも使用され、揮毫(きごう)のイベントも続いた。

 ただ、連日続くイベントへの出演は、心身の負担にもなった。泰子さんは「翔子は良い子だから『書道が嫌だ』と言ったことはないが、ストレスからよく爪をかみ、極端に短くなっていた。苦しみもあったのかもしれない」と振り返る。

 泰子さんは、人助けが好きな翔子さんには接客業が合うと考えていた。仕事が落ち着いたことなどから23年秋ごろ、書道教室や翔子さんの作品の画廊などが入る建物の1階にカフェを開くことを発案。昨年12月には「アトリエ翔子喫茶」がオープンした。店内にも作品が飾られ、多くの地元民が訪れる憩いの場になっている。

 イベントがなければウエートレスとして週6日働く翔子さん。「地域の人は優しく、仕事は楽しい。(母との)夢がかないました」と笑顔を見せる。両手にはピンク色のネイルがきらめく。

 泰子さんは「翔子は私以外に身寄りがいない。残して死ぬのは心配だったが、今ではこの町に託そうという思いになった」と話す。ダウン症の子を持つ保護者に対しては「できないと思い込まずに何事もやらせてみてほしい」と力を込めた。 

撮影に応じる金澤翔子さん(右)と母泰子さん=2月28日、東京都大田区
撮影に応じる金澤翔子さん(右)と母泰子さん=2月28日、東京都大田区

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  • ハンディがあっても、真剣に取り組むからこそ幸せにつながる。
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