
蘭子って名前、いいよね。河合優実で蘭子、すごくいいよ。そうか、蘭子は豪ちゃんが好きなのか、いいじゃん、よくお似合いだと思う。なんかイジメっ子の横恋慕が入りそうだけど、たぶん蘭子が物心ついたころには、豪ちゃんはあの石屋で働いてたんだもんな。いいところも悪いところも、お互い全部知り尽くしていることだろう。豪ちゃん、足は遅いみたいだけどがんばってほしい。そして食パンの角には気を付けてほしい。
というくらいしか、ときめきポイントがございませんでした今朝のNHK朝の連続テレビ小説『あんぱん』、なんかパン食い競争くらいしか描かれてませんけど、そもそもこのパン食い競争の開催自体も、ルールも、全然腑に落ちてませんのよ。繰り返しますけど、中尉おまえ誰なんだ。そしてどういう意図でパン食い競争を開催させたのだ。朝田への露骨な利益誘導だが問題にならんのか。
第12回、振り返りましょう。
「世界を感じてみとうなったがじゃ」
大筋としては「おなごがパン食い競争に出るのはあり得ない時代に、この子は出た。そして勝った」というお話。まあ幼少期に永瀬っちが毎日お弁当をぐちゃぐちゃにしながらラントレを欠かさずやってましたので、のぶちゃん(今田美桜)の足が速いことは飲み込むとしても、なんか全然応援できなかったなぁ。手に汗握らない。カラッカラ。ひび割れそう。
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時代として、女性がこういうのに参加するのが禁忌だったことは理解するけど、のぶちゃんという子に抑圧されてきた歴史が全然ないのよね。
中尉はまだしも釜じい(吉田鋼太郎)までが「出る」と言い出したのぶちゃんに面食らっているわけですが、言いそうじゃん、この子。言いそうだけど女学校で「おなごの在り方」を叩き込まれて、それに従わざるを得ないという日常を送ってきたけど、大好きなあんぱんと大好きなかけっこの悪魔合体である「パン食い競争」にいてもたってもいられなくなったならわかるし、実際、物語の意図としてはそういうことなんだろうけど、「あったり前じゃろが!」と怒鳴りつけている釜じいは、結太郎(加瀬亮)が死んでからの10年近く、のぶちゃんの何を見てきたのだろう。
でもまぁ、アナクロなじじいってそういうもんだよな、そういう時代だもんなって飲み込もうと思ってたら、今度は「ラジオが欲しい」「ラジオを通して世界を感じたい」とかプログレッシブなことを言いだすもんだから、人格が崩壊しちゃうというか、耄碌してんのかという話になる。
こういうことをやると、人物が愛嬌を失うんです。口汚いじじいから愛嬌を奪ったら、もう愛せる要素が何もないのよ。釜じいがラジオを欲しがってることを、のぶが競争へ乱入していく動機のひとつとしたかったなら、じじいがそれを欲しがる理由はもっと愛らしくて世俗的なものであっていいと思うんだよな。「呉服屋で聞いたラジオから聞こえてきた女性の声が艶めかしかった」とか、そんなんでいい。変にキレイな理由を付けようとしたことで、逆に釜じいというキャラクターが魅力を失っている。
お祭りへの「参加してる感」
前作『おむすび』の数少ない好きなシーンとして糸島のパラパラフェスがあったんですけど、あのフェスって、自分も客席に座ってたらこんな感じで盛り上がっちゃってたんだろうなという「参加してる感」があったんですよね。天才小学生歌姫が出てきて、マツケン&ピーターのへたくそなマジックショーがあって、ハギャレンが出てくる。その異物感が徐々にグルーブを生んでいく。つい「書道王子は来てんのかな?」って思っちゃうくらいに臨場感があった。
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今回のお祭りには、そういう臨場感はありませんでした。まず催しとして「お祭り」なのか「パン食い競争大会」なのかよくわからないし、賞品のラジオをゲットできる条件もわからない。200個じゃ足りないくらいのあんぱんが用意されて、少年の部、青年の部と分かれていて、のぶちゃんが乱入して優勝したのは青年の部の最終組だという。明日以降、勝ち上がりによる最終決戦があるのかもしれないし、最終組の1位であるのぶがそのままラジオゲットなのかもしれない。
のぶが下駄を脱ぎ捨てて駆け出す、次々に男たちを追い抜いていく、その描写に興奮を覚えたいわけですが、それ以前に「これ勝ったらラジオ? まだ?」という疑問のほうが大きくなっちゃう。
ドラマとしては「参加した」こと自体にカタルシスを生みたかった、それだけですごいことなんだ、と言いたいのかもしれないけど、それこそドラマだし予告も見てるから、のぶが参加することをこっちは知ってるんだもん。「参加したかどうか」じゃなく「勝つかどうか」「どう勝つのか」という前提で見てしまうし、その勝負論を楽しむためには明確なルールと目標が必要だったと思います。手に汗握れなかったのは、そういうところ。あと、のぶがパンに飛びついたときのスローモーションの意味もわからん。何あれ。
のぶのモチベ問題
シーソーのシーンで、のぶの「おなごはつまらん」発言があって、それを受けて祭りの当日、嵩(北村匠海)は「腹が痛い」という方便(だよね)を使ってのぶの競争への参加を促すわけですが、この嵩の「タスキを渡す行為」が最終的なトリガーなわけですよね。のぶの「競争に出たい」というパンパンに張り詰めた願いが、このタスキによって弾けた、と言いたいのはわかる。
それにしちゃ、のぶの競争へのモチベーションがあんまりパンパンに張り詰めてないんです。これは、「釜じいがラジオを欲しがっていたから」とか「出たくても出られない女の子がいたから」とか、そのモチベーションが分散してしまっていたからだと思うんです。
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のぶが競争に出たいのは、端的に言えば「それが私だから」ということだと思うんだけど、だとすれば例えば50個の補充のパンを取りに行ったときに、パンに食いつく動作のシミュレーションをしているとか、アキレス腱を伸ばしているとか、そういう「自分のために出たいんだ」という表現がほしかったと感じました。動機が「誰かのため」になってしまうとエモが薄まるんだよな。そういや「人助けはなんちゃらの呪い」とか言ってた人がいましたね知らんけど。
そういうわけで、とりあえず2回終わったところでこのパートにはあんまり乗れてません。大丈夫、まだあわてるような時間じゃない。
(文=どらまっ子AKIちゃん)