田中圭と永野芽郁も…?不倫カップルはなぜ「恥ずかしい証拠」を残したくなるのか。快楽物質にまみれた幸せ脳がもたらす結末

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2025年04月24日 12:30  女子SPA!

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画像:PR TIMESより
<亀山早苗の恋愛時評>

 次々と報道される有名人の結婚・離婚、そして不倫。その背景にある心理や世相とは? 4月24日発売の『週刊文春』で報じられた永野芽郁と田中圭の二股不倫疑惑を、夫婦関係を長年取材し『夫の不倫がどうしても許せない女たち』(朝日新聞出版)など著書多数の亀山早苗さんが読み解きます。(以下、亀山さんの寄稿)

◆好感度が上がってしまいそうな田中圭、たくましい永野芽郁

 またまた飛び出た「文春砲」。今回は気鋭の女優・永野芽郁(25歳)と、好感度の高い演技派俳優・田中圭(40歳)の不倫疑惑である。もちろん、両者ともに不倫関係は否定している。田中に至っては、苦しいながらもなかなか興味深い回答文を寄せていて読み応えがあった。なにやら非常に人間臭くて、個人的には好感度が上がってしまいそうである。

 永野芽郁は、韓国の俳優との二股愛も同時に報じられているが、もしもそれが本当なら、それはそれでたくましい。「自分は独身で相手は既婚、黙って我慢して待つ女」ではないからだ。

 不倫を責めることができるのは、当事者のパートナーだけ。ふたりとも乗りに乗っている役者なのだからCMはともかく、本業だけは奪われないことを祈りたい。

◆大人のちょっと恥ずかしい写真、なぜ撮るのだろうか

 とはいえ……ふたりで手を繋いでのツーショットや、ハロウィンにちなんでかぼちゃのシールを頬に貼って顔を寄せ合っている写真など、独身同士のカップルでさえ、大人だったらちょっと恥ずかしくなるような写真は、どこからどう流れて公表されてしまったのだろう。いや、それ以前に「不倫」だとしたら、そんな写真をなぜ撮るのだろうか。

 思い起こされるのが、斉藤由貴と医師とのダブル不倫。『FLASH』(2017年9月12日発売)が掲載した、医師がおそらく斉藤のものであろう女性ものの下着を頭にかぶっている写真だ。約8年も前の話だが、当時ふたりとも50代で、医師は斉藤のファンだったことから「50代で恋したら、あんなマヌケなこともしちゃうよね」と一部では共感を得てもいた。恋は人を子どもにするのだ。あれから紆余曲折を経て、今年、斉藤由貴は離婚。相手の医師も離婚しているため、晴れて独身同士となっている。

「50代」という「最後の恋となりそうな」関係だからこそ、そしてダブル不倫という緊迫した関係だったからこそ、「人が見たらおマヌケな写真」を撮ってしまうこともあるのだろうが、そうでなくても不倫カップルが証拠を残すことは増えている。広末涼子と鳥羽周作シェフのダブル不倫もそうだろう。ヒロスエが彼に宛てた手紙が流出してしまい、話題になった。

◆「不倫カップルは写真を撮れない」ルールを壊滅させたモノは

 そもそも人に知られたら、一般的には「ヤバい」関係なのだ。一般人であっても、ツーショット写真をパートナーに見られたとか、人混みにふたりで出かけてバレたというケースは枚挙に暇がない。有名人ならなおのこと。もちろん、そんなことは当事者たちもわかりきっているはずだ。それなのに有名人も一般人も、安易にツーショット写真を撮ったり手紙を渡したり、人混みに出かけて行ったりするのはなぜなのだろう。

 いくつか理由はありそうだ。ひとつはスマホで写真を撮ることがあまりにも日常的な習慣になっていること。飲食店に入れば料理を撮る、誰かと一緒にいても撮る、息をするかのように写真を撮る人が増えているのは事実である。相手が不倫関係であろうがなかろうが、「写真を一緒に撮る」ことへのハードルは信じられないほど低い。

 かつては「不倫関係だったら、一緒に写真は撮ってはいけない」のは、当然のことだった。だがスマホがそのルールを壊滅させた。

◆情熱が理性を吹っ飛ばし、遊園地で熱く見つめ合ってしまう

「言い訳のつかない場所に一緒に出かけてはいけない」のも不倫の恋のルールだった。たとえば職場が同じなら、飲食店に一緒にいても言い訳はできる。ただし、顔を寄せ合ったりテーブルの下で手をつないだりするのは御法度だ。あくまでも同僚や上司と部下のような距離感で話しながら食事をしているだけなら、誰かに見られたとしても言い訳はできる。

 本来は、たとえばホテルの部屋への出入りを見られたところで、「何もしていない」という言い訳もできるのだが、それは“世間”が認めない。つまり誤解されるような行動を取ってはいけないわけだ。そんな「固いルール」も、今は通用しない。不倫カップルも、一緒に遊園地に行って乗り物に乗って熱く見つめ合ってしまうし、ときには旅行にさえ出かけていく。

 帽子とマスクとサングラスをしていれば、自分たちだけは見つからないと思っているのだろうか。いや、それ以上に、情熱が理性を吹っ飛ばしてしまうのだろう。

 たとえば仲のいいグループ10人ほどで飲んでいるとする。だが、その中にいれば、「あれ、このふたり、雰囲気がおかしいな」と思うこともあるだろう。そういう「人の勘」は当たっていることが多い。ふたりの表情、ふとしたときに見交わす目と目から、周囲には恋の熱情がダダ漏れなのだ。気づかれていることに気づいていないのは、だいたい当事者だけである。

◆不倫の恋は「恋」としての密度が高く、恋は無条件に楽しい

 そして人は「ふたりだけの秘密」が好きだ。不倫は、すでにふたりだけの共犯関係である。世間を欺き、社会性という「正しいもの」に背を向けて背徳感に酔う。禁断の蜜は甘い。何重にもロックをかけたアプリでのメッセージの熱いやりとり、「相手をこれほど好きな自分」にも酔うことができる。

 既婚者は、家族への罪悪感がさらに恋を燃え上がらせ、片方が独身の場合は「好きになった人に家庭があって苦しいけれど、この苦しさも恋する証拠」と納得しながら恋愛道をまっすぐに走っていける。

 結婚と恋は異なる。結婚は社会的であり、恋はもともと独善的なものなのだ。だからこそ、不倫の恋は「恋」として密度が高い。誰かを裏切ろうと思っているわけではない、好きになったから一直線なだけなのだ。

 なぜなら、恋は無条件に楽しいから。アドレナリンもオキシトシンも出まくって、脳内は快楽物質にまみれていく。かつて「恋のワクワク感は何ものにも代えがたい」と言った中年男性がいた。「何を見ても色がきれいなんだよね」とニヤついた男性もいる。恋の力は、生きるエネルギー源となりうるのだ。若干の障がいがあればなおのこと、エネルギーは高まるばかり。

◆「理想の恋」に突っ走った先に待っている「現実」

 だがその結果、バレたときは周りに委ねるしかなくなる。不倫の恋は社会性がないので、社会からは受けいれてもらえない。既婚者の場合はパートナーの決断ひとつとなるし、独身者も周囲からの誹りは免れない。それが「理想の恋」に突っ走ったあげくの「現実」である。だが、そこで終わりにならないのが人生の興味深いところだ。

 さまざまな選択と決断の果て、ふたりの関係が継続することもあれば、しばらくたって再会することもあるだろう。恋愛関係は終わっても人間関係は続くこともありうる。いずれにしても当事者の人生が、正直に行動した結果ゆえの「恋」のために周りから潰されることのない世の中であってほしい。

<文/亀山早苗>

【亀山早苗】
フリーライター。著書に『くまモン力ー人を惹きつける愛と魅力の秘密』がある。男女関係、特に不倫について20年以上取材を続け、『不倫の恋で苦しむ男たち』『夫の不倫で苦しむ妻たち』『人はなぜ不倫をするのか』『復讐手帖─愛が狂気に変わるとき─』など著書多数。Twitter:@viofatalevio

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