
【両者の明暗を分けたディフェンス】
現地時間5月4日、井上尚弥がラモン・カルデナスを8回TKOで下し、WBA/WBC/IBF/WBOスーパーバンタム級タイトルを防衛した3日後、世界ヘビー級王座に2度就いたティム・ウィザスプーン(1984年WBC/1986年WBA)に感想を訊いた。
「試合開始のゴングが鳴ってから、両選手ともに予想以上のアグレッシブさで前に出た。やっぱり、イノウエのほうがすべての面で上だったな。技術も、見せ方も、リングの使い方も。世界タイトルマッチ25戦目というだけあって、さすがにチャンピオンのボクシングをしていた。
カルデナスも強かったねぇ。いいレフトフックを持っていた。だからこそ、イノウエからダウンを奪えたんだよ。第2ラウンド終盤の一発は、渾身の力をこめて振るったパンチがモンスターを捉えた。『おぉ、長く目にしていなかった、本格派の重いフックだ!』って、画面を見ながら叫んだぜ。
でも、その後、同じパンチに頼りすぎた。レフトフック一本槍になってしまった。一方のイノウエは、『もう、絶対にあれは喰わない』という戦いをした。再びもらったら、危ないからな。よく見ていたし、反応した。カルデナスが大きく振るパンチの軌跡、タイミングが読めたんだろう。スマートな男だよ。
ただ、挑戦者の気持ちもわかるんだ。イノウエという絶対的な王者に対して、得意のパンチが当たった。難攻不落とされ、圧倒的不利と囁かれながらも倒せた! そりゃあ精神的に楽になるし、自信がみなぎって勢いづくさ。『仕留めてやるぞ!!』と3ラウンドも前進した。でも、ペースを握らせなかったのが、イノウエの実力だ。
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正直、今回イノウエが倒れたことには驚いたね。1年前の東京ドームでもダウンしたが、カルデナスのほうがルイス・ネリより実力派だと俺は見る。それを理解したイノウエは、ダウン以降ガードを高くしてディフェンスの意識を高めたよな。もちろん攻めていたが、防御も忘れなかった。
いいか、何度でも言うが、ボクサーにとって大事なのはディフェンスだ。絶対に打たせちゃダメなんだ。イノウエとカルデナスは攻撃力に差があったが、それ以上に防御のレベルも違った」
ティム・ウィザスプーンは井上尚弥ほどの名声も、富も得ていない。最盛期と呼べた時期にプロモーターのドン・キングに搾取されまくり、闘うことへのモチベーションを失ってしまったからだ。
WBCタイトルは初防衛戦で、WBAのベルトは2人目のチャレンジャーに奪われている。キングを相手取って法廷闘争を行い、100万ドル近い和解金を得るが、すぐに蕩尽。4人の子供たちを守るためにと、45歳までリングに上がった。ラストマッチの半年前にはIBFで9位にランクされている。
ウィザスプーンがボクサーとして長くリングに上がれたのは、打たせないボクシングを身上としていたからだ。
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「現役時代にどんなに客を沸かせたって、パンチをもらいすぎたファイターのその後は哀しいよ。まともにしゃべれなくなったり、歩けなくなったり、失禁が止まらないなど、苦しむ姿を数えきれないほど目にしてきた。
ディフェンスは磨くだけ磨くべきだ。理想は一発のパンチももらわないこと。そんなことはまず無理だけれど、目指さなきゃ技術は向上しない。
カルデナスは、イノウエのパンチをたくさん喰ってしまった。彼はレフトフックをもう一発お見舞いすることばかりを考えていた。ロープを背負ってしまったら、抜け出す策を考えなければ。まぁ、モンスターのプレッシャーに、成す術を失ってしまったんだが。接近戦で右ストレートや右フックを当てても、やっぱり左フックで勝負したい、という狙いがありありと伝わった。もう少し、工夫が欲しかったよ」
【井上に「衰えは感じない」】
WBA1位の挑戦者が、Uber、Lyft、DoorDashといったドライバーで生計を立て、この日に結びつけたことは、元世界ヘビー級チャンピオンの耳にも入っていた。
「苦労して磨き上げたレフトフックだからこそ、イノウエを倒すことができたと俺は見る。ハートのある選手だし、"強さ"を持ち合わせているから、もっと伸びるさ。努力して、努力して、モンスター戦を迎えたことを理解した。決して、負けるために連れてこられた選手じゃない。カルデナスは、きちんと経験を積めば、いつか世界王座に就けると思うぜ。彼の敗因は、大舞台に上がるのが初めてだったこと、イノウエとは経験値が違ったことだ」
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そして、井上尚弥の衰微を指摘する声を、ウィザスプーンは否定した。
「2、3ラウンドと、チャレンジャーのチャンスだと感じるような場面もあった。でも、ラウンドが進むにつれて、そんな俺の感情は消えた。とにかくイノウエが、カルデナスを追い詰めていった。何度もロープを背負わせ、動きを止め、リングをコントロールするようになったよな。ダウン後に焦らずに立て直すなんて、衰えていたらできっこない。トップレベルだからこそ成せるんだ。32歳だが、年齢的な衰えも俺は感じない。
イノウエはいつも勝つ。それに慣れている部分があるかもしれない。新たな刺激が必要かもな。テストみたいなさ。トップに君臨しているモンスターだからこそ、本能を目覚めさせてくれる相手が必須なんじゃないか。それによって、さらに持っているものを引き出せるかもしれない」
その対戦相手として、思い浮かべる選手は? と質すと、ウィザスプーンはニヤリとして言った。
「それは、お前のほうがよくわかっているだろう」
あなたの口から聞きたいです、と告げると彼は応じた。
「ジュント・ナカタニに決まっているじゃないか。イノウエvs.カルデナス戦後の記者会見でだって、いつになるかと聞いたアメリカ人記者がいたんだろう。複数階級を制している全勝のチャンピオン同士。しかも、互いに日本人で1クラスしか違わないなら、誰だって興味が沸くさ。ボブ・アラムにしてみたら、アジア・マーケットでこれ以上のビジネスチャンスはない。
しかも、マイク・タイソンがジェイムス・"バスター"・ダグラスに敗れた、ボクシング史に残る会場(東京ドーム)だろう。あの時、ウチの兄貴はタイソンのスパーリングパートナーとして、トーキョーに同行していたんだぜ。俺だって、ぜひ見たい試合だよ」
【井上vs中谷、実現したら何が勝敗を分ける】
予想を訊ねると、最重量級の王座を2度獲得した67歳は語った。
「試合当日、ディフェンス力の高い方が勝つ。これから一年間、どういうトレーニングをして、いかにボクサーとしての自分を築くか、それに尽きる。イノウエはパワーがある。今回のカルデナス戦を見ればわかるように、プレッシャーのかけ方もうまい。
一方のジュントは背が高く、リーチもある。そしてパンチもある。なんといっても伸び盛りだ。まさに、『Sky is the limit(可能性は無限にある)』という言葉が相応しい。
一番肝心なのは、ゴングが鳴った時の精神状態だな。言うまでもなく、こなした世界タイトルマッチの数はイノウエが優っている。ジュントは来月が10回目だったよな? それは、ジュントが5歳若いのだから仕方ない。俺がラリー・ホームズの持つWBCタイトルに挑んだ時って、メンタルがすごく充実していた。『8歳上の盤石王者を食ってやるぞ』と思っていたよ。当時、俺は15戦全勝11KO。ホームズは42戦全勝30KO。確か、15度目の防衛戦の相手が俺だった。"勝ち慣れ"したホームズには、隙があったように思う。1―2の判定で負けたけれどね......」
いまだに、あなたの勝ちを唱える人が多いじゃないですか、と告げると、ウィザスプーンは笑った。
「今さら、そんなことはどうだっていい。心身ともに、いかに己を研ぎ澄ましてリングに上がるかだ。ジュントにとっては、とてつもないチャンスだろう。サウスポーというアドバンテージもある。実に心が踊るよ。間違いなく、歴史に残るファイトになるさ」
頂上決戦は、日本のみならず世界中で注目されている。