【バスケ】宮崎早織が来季限りで現役引退「今は大好きに戻っています」東京五輪銀の恩師へ思い

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2025年05月15日 17:00  日刊スポーツ

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25〜26年シーズン限りでの現役引退を表明した宮崎早織(撮影・松本航)

バスケットボール女子日本代表として21年東京五輪(オリンピック)銀メダル、24年パリ五輪も主力として活躍した宮崎早織(29=ENEOS)が15日、25〜26年シーズン限りでの現役引退を表明した。


都内で記者会見に臨み「『(28年五輪の)ロスはちょっと目指せないかな』というのが正直な気持ち。何かが嫌になったとかではなく、自分に体力があって、元気がある時に、潔く辞めたいと思った。ファンの皆さんのことを一番に考えた時に、どう伝えたら恩返しができるか。早めに伝えて、1年間、みなさんと一緒にいい思い出ができたらと思いました」と決断への経緯を明かした。


埼玉県出身で、14年にENEOSに入団。主将を務めるなど、チームの顔として活躍してきた。ここ数年は「パリまで頑張る」と24年夏に照準を定めていたが、以降は「目標が出てこなかった。『次のステップにいくべきかな』と思いました。自分の人生を設計していく中で『ここがベストなんじゃないかな』と感じました」と心理的な面での難しさを感じていたという。


日本代表としては東京五輪で銀メダル。輝かしい成績を納めた一員となったが、当時のトム・ホーバス監督(58)には厳しい指導を受けることが多かった。成長を促してくれた師に対し「『東京五輪では怒られすぎて嫌いでしたが、今は大好きに戻っています』と伝えたいです」と笑わせた。


現在は芸能事務所GATEに所属しており、現役引退後にはバスケットボールとの関わりを維持しつつ、テレビでの活動も視野に入れているという。笑顔と涙を見せた記者会見では「優勝してやめたい思いは強いです」と意気込み、最後にファンへと思いを伝えた。


「この1年を通して、ファンの人たちには、たくさん恩返しと感謝をしていきたいです。SNSでも、たくさんメッセージをもらいます。私は全部返していなくて、見るだけになっています。本当に毎日『中学校に行きたくないけど、頑張っています』『今、病気で苦しんでいます』とか、そういうメッセージは全て見させてもらっている、というのは伝えたいです。そういう人たちの力に、少しでもなれたらいい。変わらずに笑って、楽しんでいる姿を、1年間通して、見ていただけたらうれしいです」


限られた時間をかみしめて、前に進む。【松本航】


◆宮崎早織(みやざき・さおり)1995年(平7)8月27日、埼玉県生まれ。父は野球、母はハンドボール経験者で5人きょうだいの次女として生まれる。姉優子もバスケ選手、兄泰右はプロサッカー選手、妹安奈はボートレーサーとして活躍するスポーツ一家。聖カタリナ学園2年時に全国高校総体準優勝。14年にENEOS入団。21年東京五輪で銀メダルを獲得。同年アジア杯で優勝し大会ベスト5に輝く。24年パリ五輪代表。コート上のニックネームは、どんな時にも揺らがないことから「ユラ」。1月には同じENEOSの野球部に在籍していた榎本和輝さんとの結婚も発表。167センチ、56キロ。

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