広瀬すず、白のノースリーブドレスで10年ぶりにカンヌ降臨「今回は思う存分楽しみながら浸りたい」

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2025年05月16日 14:10  クランクイン!

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映画『遠い山なみの光』第78回カンヌ国際映画祭フォトコール・公式上映・囲み取材・レッドカーペットの様子 (C)Kazuko Wakayama
 映画『遠い山なみの光』が、5月13日(現地時間)から開催されている第78回カンヌ国際映画祭「ある視点」部門に正式出品され、主演の広瀬すず、石川慶監督、原作者でありエグゼクティブ・プロデューサーのカズオ・イシグロ、吉田羊、カミラ・アイコ、松下洸平、三浦友和の7名がカンヌ入り。大勢の記者に囲まれたフォトコール、公式上映、そして囲み取材と華々しいレッドカーペットに参加した。

【写真】広瀬すず、ルイ・ヴィトンのドレス姿が美しすぎる!

 先駆けて行われたフォトコールでは、ルイ・ヴィトンの白いノースリーブのドレスに身を包んだ広瀬、赤白の「寿ぎ」着物スタイルの吉田、アルマーニのタキシード姿の松下と、HUGO BOSSのタキシードを着こなす三浦らキャスト陣に加え、プラダのフォーマルスーツに身を包んだ石川監督、そしてノーベル文学賞受賞作家のイシグロらが登場した。

 「ヒロセ! ヒロセ!」「スズー!」というコールや、視線を求める呼びかけも飛び交って、世界中のカメラマンが広瀬の視線を取り合う場面も。広瀬は手を振ったり、満面の笑顔で大勢のマスコミ陣の呼びかけに応えていた。

 日本を象徴するような赤と白の着物でポーズを取る吉田にも会場は大盛り上がり。登場時にカメラマンたちに一礼する姿が印象的だった三浦は、逆にカメラマンたちを動画撮影するなどして会場を沸かせていた。1ショット撮影のラストを飾った松下も「マツシタ!」の呼びかけに手を振って撮影に応じ、撮影の最後には大きな拍手が起こった。

 また、石川とイシグロの2ショット撮影では、イシグロが石川の背中に手を添えるなど、リラックスした雰囲気のなかで撮影が行われた。

 主演の広瀬は、2015年に参加した是枝裕和監督作『海街diary』以来10年ぶり2度⽬、吉田、松下、三浦は初めてのカンヌ国際映画祭への参加となる。本作の原作者であり、エグゼクティブ・プロデューサーも務めるイシグロは、1994年にクリント・イーストウッドやカトリーヌ・ドヌーヴらと共にコンペティション部⾨の審査員を務めたが、出品者としての参加は今回が初。ヴェネチア国際映画祭などで高い評価を受ける石川監督もカンヌへは初の参加となり、1950年代の長崎と1980年代のイギリスで生きる女性たちを描いた本作のキャスト・スタッフが満を持して映画の聖地であるフランス・カンヌの地を踏んだ。

 公式上映の会場であるTHEATRE DEBUSSY(ドビュッシー劇場)の会場内に監督やキャストたちが入ると、満席の客席からは溢れんばかりの拍手が。上映前の舞台挨拶では、温かな歓迎を受けて感動の面持ちの一同を代表し、石川監督が「ボンジュール! こんにちは。今日は本当にこの映画をずっと支えていただいたカズオ・イシグロさん、それから本当にずっと映画で戦ってくれたスタッフ・キャストの皆さんと、そして朝からこの会場に駆けつけていただいた皆さんと、この特別な瞬間を共有できることをとても嬉しく思っています。今日は自分も一観客に戻って映画を楽しみたいと思います」と挨拶をし、観客を含めた本作に関わる全ての人たちへ感謝を伝えた。

 その後、司会を務めていたカンヌ国際映画祭総代表のティエリー・フレモーが、予定になかったイシグロにマイクを向けスピーチをリクエスト。イシグロは「これは台本に書かれていなかったよ!」と笑いを誘いつつも、「この映画は私が25歳の時に書いた本がベースになっています。ひどい本なんです(笑)。私が書いた初めての本でして。でもひどい本から素晴らしい映画になるという長い長い歴史が映画にはあります。石川監督が本作の映画化の企画をくださったときに、素晴らしいアイディアだと思いました。美しい映画が生まれる可能性に満ちていた。そして、僕のその直感は正しかったんです。だから、今僕は次のひどい本を書こうと思ってます。どうもありがとう!」と、ウィットに富んだスピーチを披露した。ノーベル文学賞受賞作家の知的さとチャーミングさが入り混じる舞台挨拶に、上映前のボルテージは最高潮まで上がり、スクリーンに本編が流れ始めた。

 上映終了後には作品を観た観客たちから5分にわたるスタンディングオベーションが起こった。エンドロールが始まった瞬間になりだした拍手は、場内の明かりが明転すると同時に観客総立ちの大きな拍手へ。圧倒的な高揚感に包まれたキャスト、石川、イシグロは満場の観客を見回し、改めて上映の余韻を噛み締めるように熱い抱擁を交わしたり、堅い握手を交わしながら、初の世界への披露となるこのワールドプレミア上映の熱気を全身に浴びていた。

 そして、夕暮れに包まれたリュミエール劇場前のレッドカーペットに、『遠い山なみの光』のキャスト・スタッフ一同が登場した。昼間のフォトコールから装いを新たに、広瀬はゴールドの大きなタフタが片袖についた黒のルイ・ヴィトンのドレスを身にまとい、吉田は「映画が世界に羽ばたいていくように」との願いを込めて選んだ、鶴が大きく羽を広げた姿が印象的なアンティークの着物を凛と着こなした。

 カミラは、すらりとした高身長を活かしたタキシード風のパンツスーツ姿が目を引き、松下はアルマーニのタキシードに身を包んで登場。三浦はHUGO BOSSのタキシードを粋に着こなし、イシグロは英国紳士らしいオーソドックスな黒のタキシードで登場した。石川監督はプラダのタキシードでフォーマルな装いを見せた。

 13日に行われたオープニングイベントでは、今年のカンヌ国際映画祭の審査員長を務める名優ジュリエット・ビノシュをはじめ、名誉パルム・ドールを授与されたロバート・デ・ニーロ、さらにはレオナルド・ディカプリオやクエンティン・タランティーノといった世界的映画人たちが歩いたばかりの、カンヌの象徴とも言えるレッドカーペット。

 そこに現れた『遠い山なみの光』の面々は、世界各国から集まった一般客やマスコミからの声援に、一つひとつ丁寧に応えるように手を振り、笑顔を見せながら、レッドカーペットを満喫した。新人俳優として16歳で初めてカンヌの地を踏んでから10年。着実にキャリアを重ね、今や主演俳優として2度目のカンヌに舞い降りた広瀬も、満面の笑みを浮かべながら中央に立ち、圧倒的な存在感を放っていた。

 映画『遠い山なみの光』は、9月5日公開。

※囲み取材の全文は以下の通り。

<囲み取材全文>


──今のお気持ちを一言ずつ教えてください。

監督:昨日深夜に上映チェックをやっていたのでふらふらの状態で来ていて、どちらかと言うと終わった後の皆さんの顔を見たらすごい感動してしまって泣きそうになりました。チームが今回たくさんいたので、みんなでこの瞬間をシェアできたのは本当に良かったなと思います。ありがとうございます。

三浦:スタンディングオベーションって映画で初めて経験したので、やはり感動しますね。それがお決まりの、ということではなく、心からと感じたので本当に、やっぱり感動しました。

松下:心からの拍手をいただけた時に、すごくグッとくるものがありましたし、皆さんと一つのものを作り上げて、それがこういった形で世界中の人に観てもらえるというのがこんなに名誉なことはないなと思って本当に極まりそうになって本当に涙が出そうになりました。

広瀬:すごく特別な空間の中で映画が届いたんだなというのをすごく実感できる瞬間だったなと、いまだにやっぱり景色が焼きつくような、そんな空間でした。

吉田:皆様の感動が伝わってきました。皆さんの反応が気になって、お客様の反応を一緒にこう目の端にとらえながら観ていたのですが、本当に皆さまぐっと物語の世界に入ってくださって、それをスタンディングオベーションという形で示してくださって本当に感謝だなと思いましたし、この映画に携わった全てのスタッフ・キャストの想いが報われた瞬間だなと感じました。

カミラ:私にとって初プレミアで、とても圧倒されましたが何よりもこの素晴らしい役者さん全員と共演できて本当に私は幸運だったなと感じ、このストーリーの一員として携わることができて本当に光栄です。

イシグロ:素晴らしい映画で役者の皆様のパフォーマンスが本当に最高だと思いました。あちらに私の妻がいるんですけれど、私がこの小説を書いた45年前からずっと付き合っていて、この小説を書いたのが本当に狭い部屋だったんですけれど、当時この小説がこんなに素敵な映画になって、カンヌ国際映画祭でプレミアをして、こんなに温かく歓迎されるとは全然思わなかったので素晴らしかったです。

──広瀬さんは10年ぶり、他の皆さんは初めてのカンヌへの参加だと思いますが、参加した感想を教えてください。

監督:今回、日本の方も多くいらっしゃって、昨日是枝監督ともご飯を食べたりして、是枝監督はカンヌはすごく怖いところだと仰ってましたけど(笑)、すごく温かく映画を迎えていただいて、(今日で)肩の荷も降りたのでこれからもう少し楽しみたいなと思います。 

三浦:正直、1日がこんなに長いと思いませんでした(笑)。ひとつひとつの時間が全部決まってると初めて知りましたし、『世界の果てまでイッテQ!』で出川さんのパパラッチのコーナーがあって、「カンヌってこんな感じなんだ」って思ってあのコーナーでしか知らなかったもので(笑)、実際来てみたら忙しいのと、実際に来られたんだっていう嬉しさと両方あります。

松下:本当に連日すごい数の来場者の方がいて、圧倒されっぱなしです。あとすごく天気がいいですね。「カンヌが例年より涼しいので上着を持ってきてください」と言われたのですが、全然要らなかった。連日天気もいいし、気持ちのいい気候の中で映画の世界に迷い込んだ気持ちになるような景色もいっぱいあるので、”ザ・おのぼりさん”みたいにずっときょろきょろしながら歩いています。

広瀬:(前回参加した)当時は全然何もこの世界のことも映画のことも知らないまま、ただついてきちゃった、みたいなテンションですごくラッキーな感覚でいたので、やっぱりあの時のことってすごかったんだなって思いながらこの10年過ごしてきたからこそ、改めて今来てみて、色々感じること思うことがありました。街ごと映画を盛り上げるというこの空気感はやっぱりなかなか経験できない、カンヌならではの世界だなと思います。前は手触りがないまま帰ってしまったような感覚なので、今回は思う存分楽しみながら浸りたいなと思います。

吉田:本当に街のいたるところに映画館があって、そこで入場を待つ人々の行列があって、皆さん一様に高揚した雰囲気で映画の開場を今か今かと待っている様が、街全体が映画愛に溢れて、街をちょっと歩いただけでも世界中の映画ファンが集まっている場所だと実感しました。実は私2020年の1月、コロナの直前に旅番組の取材でカンヌに来ていて、その時に4代でカメラマンをやっている有名なジルさんという方に連れてきていただいて「ここがレッドカーペットだよ、歩いてみな」と言われたんですけど、「本番に取っておきます」と歩かなかったんです。なので、今回その夢が叶ったので本当に感無量です。

カミラ:カンヌに来られるなんて夢みたいです。実は5年前に、2025年までにカンヌにぜひ行きたいですという手紙を書いたんです。それで今年ちょうど来れているのでとても不思議なのですが、昨日着いたばかりで街を歩いていたらトム・クルーズを見かけた気がして、本当かな?というのはいま議論したんですけど(笑)、本当じゃなかったと思います(笑)。皆さんがおっしゃっているようにとてもタイトなスケジュールで何が何だか分からなくて本当に言われた通り動いているだけなんですけど、とても楽しいです。

イシグロ:私は実は31年前に一度来たことがあります。その時は審査員として2週間滞在していました。カンヌの街と映画祭が本当に変わったなというのが面白いです。当時はトム・クルーズとかクリント・イーストウッドとかが普通に街を歩いていたかもしれません。恐らく今ほどセキュリティが厳しくなかったんでしょうね。映画祭自体が大きくなって良くなっているのですが、変わらないのは映画というものの重要さ。全ての中心に映画があるということです。色んなジャンルの世界中からの映画が集まっていまして、ベルリン国際映画祭と一緒にカンヌも、映画の世界にとっては本当に不可欠な存在だなと改めて思いました。

──監督に質問です。映画の中のテーマとして、女性の自立や連帯があったと思います。特にグリーナムの場面など、映画で新しく取り入れたり、結構意識されていたのかなという印象をうけました。男性として生きてきた中で、このようなテーマに取り組むにあたり気を付けたことや意識したことがあれば教えてください。

監督:そのあたりはどちらかというと「結果的にそういう形になった」という感じです。反核というテーマもあって、多様性や移民といったテーマもあって、女性の権利というテーマもあって。でもそれは全部原作の中に入っていて。それはカズオ・イシグロさんとプロット段階でディスカッションしていた時に、この小説を書き終えた次の年に”グリーナムコモン”という女性たちの運動があって、そういうのを取り込んでみてはどうだろう、という話が本当に自然に生まれてきて。だから特にこれを気をつけた、というよりは、自然にこういう形になっていった、という感じですね。

──45年前に本を出版した時の達成感やそういったお気持ちと、本日映画の上映が終わった時の達成感はどのように違ったでしょうか。

イシグロ:この本を書き終わった段階ではまず、出版されるとは思いもしませんでした。当時25歳で、誰がこの本を読むかもわからなくて。

広瀬:25歳!

松下、吉田:凄いですね!

イシグロ:今日舞台挨拶でも話しましたが、あまり良いものが書けたとは思いませんでした。しかし、今日はその時とは全く違っていて、この映画は本当に素敵な映画だと確信しています。この映画をこれから世界中の人が観てくれて、小説にあった弱いところ、足りていないところを石川監督やそのチームが直してくれている、と感じています。初期の段階からチームとディスカッションを重ねて、この映画が(作品の)新しいバージョンでもあるし、進化したバージョンでもあると思います。プロット的にはとても近いですけれど、役者の皆さんのおかげ、パフォーマンスのおかげで、それぞれのキャラクターがより深くなっていて、今日観て改めて実感しました。役者の皆さんたちはきっと私よりもずっとこのキャラクターたちのことに詳しいだろうと思います。

──三浦さんにお聞きします。このキャストの中で一番戦争というものに近い年代かと思います。戦後80年経った今、こういった戦争の傷跡を描く作品に出られること、映画が制作されることをどう受け止められているか?

三浦:戦後を描いていますから。1952年は僕が生まれた年なので、父親の世代があの年よりもうちょっと若いのかな。だけど、戦後を今回描いたときに感じたのは、ものすごく社会が変化しているなかで、女性たちが強いんですよね。もちろん全員じゃなかったにしても平均的に女性のほうがやっぱり強くて、男は取り残されていますね。自分がやってきたこと、普段から軍国主義の教育をしてきた方の役ですからそれに対しての負い目ももちろんあって、でもどこかで自分は少しは正しかったんだ、という想いも7年経ってあるし、だから戦争映画を描く、反核、反戦もあるんですけれど、こういう形の描き方もやっぱり素晴らしいと思います。

──イシグロさん、石川監督へ質問です。2人のディスカッションで脚本を完成させる際、かなり細かいディスカッションをしたと思うのですが、例えば最初長崎の部分から始めるとか、原作と色々変えている部分があった。イシグロさんは映画用の脚本にするときどんな点が一番大事で、どんな点に気を遣われましたか? 石川監督へ、原作はちょっとトリッキーなところもあるが、後になってわかることとか、そういうことを映像としても描かなければいけない、というときにどんなことを一番大事にされましたか?

イシグロ:脚本を書くことには関わっていませんが、話し合いはたくさんしました。慶さんを信頼しているので途中から引いて任せることにした。それは大事なことかと思います。

 結果、映画が小説のストーリーにとても忠実であることに驚きました。にも関わらず、これは慶さんの映画でした。私は脚本を書いていないので慶さんのほうが詳しいと思いますが、おそらく1つ映画化するうえで難しかったのは小説は一人称で書いていて悦子の頭の中の思い出とか考えていることを描写しているのですが、それを変えて映画では(娘の)ニキの視点からその話を追っていくというのが1つの重要な慶さんの決断だったと思います。小説ではニキが来ていることは書いているけれどニキに話しているのではなく、悦子が頭の中で考えているんです。映画ではニキが1つの悦子が考えていることの窓口になっている。小説の信頼できない語り手がニキと悦子のこの複雑な関係で反映されて、最初はニキが母に色々質問をするけど答えてくれないけど途中から、答えてはくれるけど本当かわからないような答えをされる。これは本当に慶さんのいい手段だったと思います。

監督:カズオさんには本当に色々助けていただいて、というのもあったんですけれど今回映像化するにあたってすごく思ったのは、わからないものをわかったつもりで画にしないでいきたいということ。それは信頼できない語り手というギミックでもあったんですけど、それよりもやっぱり記憶や歴史って、自分の祖母から戦争の話とかを聞いて、でも、そんなに細かくは聞いてないけれどなんか自分の中ですごく大きな手触りとして残っていて、そういうものの方が事実の羅列よりもやっぱり大事なんだろうなと、そういう話なんだというのはすごく思ったところがあって。それで言うと、このすごくセリフが長かったりするところも、もうむしろフラッシュバックとかを入れるというよりも、むしろ観てる人たちの頭の中でどういう映像が立ち上がってくるかという、その辺りはすごく忍耐強く、カズオ・イシグロさんの小説の魅力は自分はそういうところだなと思っていたので、敢えてわかったつもりで具体にしないというのはすごく気をつけて作ったつもりです。

──広瀬さんと吉田さんは悦子という同一の役を演じられていますが、改めてカンヌという大舞台でお互いのお芝居をご覧になってどう感じられたか、そして悦子という役をどう解釈されたかを教えてください。

広瀬:私は、ある意味凄く素直に台本に沿って演じた感覚でした。先に私たち長崎パートの撮影が進んでいて、それが終わってから1ヵ月後とかにイギリスパートの撮影だったのですが、羊さんが現場に見に来てくださったりして。私は終わってから完成版を観るまでは、どんなシーンになっているのかという情報がむしろゼロだったので映画を観て不思議な感覚になりました。

吉田:作品を観たのは今日が2回目なんですけれどやっぱり1回目とはちょっと印象が変わって、やっと客観的に冷静に観られたところがあったんですね。

 すずさんが仰ったみたいに、長崎の撮影をしてる時に、何かすずちゃんのお芝居からヒントをもらえないか、何か共通するクセみたいなものを盗めないか、という、邪な気持ちで見学に行ったんです。その後、長崎で撮った映像もイギリスに行った時にずっと追って見させていただいていたんですね。

 でもやっぱり全部断片的なので、それがどう繋がるかわからない状態で、結局自分はイギリスで今目の前にいるニキとお芝居をすることでしか悦子はつくれないということに気づいて。とにかく現場でもニキとのお仕事に集中して作らせていただいて。それで完成したものを観たら、長崎編の皆さんがすごく生き生きとして生命力に溢れていて、そして希望があって。その中で特に、やっぱりすずさんが演じる悦子が、先進的で多彩で。

 やっぱりこの時代にバイオリンが弾けて英語が喋れる、そしてイギリス人ジャーナリストについて、イギリスに行ってしまうっていう感覚ってすごく最先端ですよね。その彼女の自分の人生に対して前向きな姿勢ですとか、精神性みたいなものが本当に場面から溢れていて。で、クライマックスで佐知子と悦子が2人で、女性は変わらなくちゃいけない、と言うシーンで、今日も涙が出てしまって。本当にこの悦子の姿に私も励まされましたし、この映画を観ると、自分らしく生きたいと思う女性たちが多く励まされていくんだろうなという風に思いました。

──今回、原爆の影響、その影を落としてる戦後間もない長崎を描くにあたって、工夫したことや、イシグロさんの出身地でもある長崎を、そして戦後間もない長崎を描くにあたって工夫したことやどのような思い入れがあったのか教えてください。

監督:そうですね。長崎は本当に何回も行かせてもらって、できれば長崎でも撮りたいなと思っていたのですが、やっぱりすごく変わってしまっていて。実際問題、CGでも本当に9割ぐらい書き換えないといけない感じになってしまったので。長崎に実際に行ってみると、あの地形は本当にアップダウンがあって、ちょっとリスボンを思わせるような”港町”という感じの。その中で、あ、この地域に原爆が落ちたんだ、と、1つ1つ本当に手に取れるような城山という場所もあって、カズオ・イシグロさんのお生まれになったところとかも歩かせてもらって。

 先ほどカズオさんのイメージの中の長崎と言いながらも、本当に手触りとして、ここをイメージされて書かれていたというのが実際歩いてみると凄くわかって、その辺はとても大事にしながら。戦後の長崎というと焼け野原があって、もう原爆直後の、というイメージ、これまでの映画でもそういうのはすごくあったと思うんですけど、実際歩いてみて、調べてみると、1952年の長崎って凄く復興しているし、駅の周りに洋裁店とかも沢山あって、キャバレーがいっぱいできてみんな音楽を楽しんでいて。そういう時代だったんだなと思うと、もちろん原爆というのがそこにはあるけれども、やはりそこに生きている、生き生きとした人を描きたいなって。このキャストの方々に集まってもらって、やはり長崎パートが、人がちゃんと生きてるっていうのはすごく誇りに思うし、やはりそれが今回凄く大事な要素だったかなと思っています。
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