
3月末、マグニチュード7.7の大地震に見舞われたミャンマーでは、今も数多くの歴史的建造物が崩壊したまま手つかずになっている。
今回、軍事政権の戒厳下にある同国の被災エリアに潜入したある人物の協力により、現地の写真を入手した。生々しい被害の様子についてお伝えしたい。
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3月28日に起きたミャンマー中部のザガイン管区を震源とする地震は大きな被害を生んだ。軍事政権の発表では、5月4日の時点で、死者は3785人、負傷者は5105人、行方不明者は92人に上っている。
ただ、この数値に軍事政権の統治が及ばないエリアの犠牲者は含まれておらず、実際の死者数はさらに1000人以上増えるのではないかともいわれている。
家が倒壊した人々は路上や避難所でのテント生活を強いられている。ミャンマーは4年前のクーデター以来、内戦状態に陥り、国内避難民は300万人を超えるといわれていた。そこを襲った地震は、人々の生活基盤を根こそぎ奪ってしまった。
この地震は震源地周辺に点在する遺跡にも甚大な被害を与えた。被災地一帯は、インワ、ザガイン、マンダレーとかつて王都として栄えたエリアと重なり、数々の歴史的な仏教遺跡を直撃したのだ。
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ミャンマーの新年に当たる「ティンジャン休暇」を利用して、現地での救援に向かったMさんは、参道入り口が完全に倒壊したマハムニパゴダを前に、ぼうぜんと立ち尽くしてしまったという。
「言葉が出ないというより、これからどうやって生きていったらいいんだろうって思いました。あのパゴダ(仏塔)がこんなことに......。ため息ばかり出ます」
地震発生から3週間が過ぎていたが、倒壊した遺跡の多くは、がれきの撤去も始まっていなかった。それどころか、がれきの下から遺体が発見されるような状態だった。
Mさんは、地元民を装いマンダレーやインワだけでなくザガイン管区に点在する遺跡にも潜入した。ザガイン管区は軍事政権とそれに抵抗する民主派の武装組織PDF(国民防衛軍)との凄惨な戦闘が続く一帯だ。地震直後にも国軍は空爆を行なっている。国軍のチェックは厳しく、援助物資が届かない場所も多い。
しかし今回はティンジャン休暇のためか、国軍の監視も手薄で、うまくチェックポイントをすり抜けることができた。
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ザガイン管区の遺跡の被害も甚大だった。かつて手を合わせた仏像は、ドスンと落ちた天井の下敷きになり、頭部がなかった。
遺跡の再建には、クーデターから続くミャンマー国内の内戦が重い足かせになる。
遺跡の修復を担うミャンマー文化省考古・国立博物館局(DoA)の活動も停滞している。ユネスコも手出しがしにくい状態だという。ミャンマーの遺跡に詳しい東京文化財研究所副所長の友田正彦氏はこう話す。
「今回被災した寺院などは、文化遺産のうちでも現在も信仰の場などとして使われている、いわゆるリビングヘリテージが多い。国民にとっては、宗教的な心のよりどころであり、それを失ってしまったことによる喪失感は相当なものだと思います。
ただ、苦しいときだからこそ、民間レベルでも寄進が集まり、意外に早く修復されていくことも考えられます」
ミャンマーは間もなく雨期を迎える。被災者の救援や生活支援、そして遺跡の修復......。どれも青写真が描けない状況が続いている。
文/下川裕治