馬淵優佳が超保守的な自分に後悔 「これでいいや」を払拭し「ちゃんと攻めた」過去を明かす

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2025年05月18日 07:30  webスポルティーバ

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馬淵優佳 インタビュー後編

インタビュー前編「馬淵優佳が新たなスタートに立つ」はこちら>>

 4月から滋賀・立命館ダイビングクラブの選手クラスで指導者として再スタートを切った馬淵優佳。インタビュー後編では自身の過去を振り返りながら、子育ての難しさなどについても聞いてみた。

【平日4時間、土日8時間】

――馬淵さんはお父さん(馬淵崇英氏)が飛込のコーチとして日本のトップ選手を指導し、ご自身も3歳から水泳をやり始めています。自分の家が他とは違うと感じたのはいつ頃でしたか。

 小学校4年生くらいですかね。本格的にトップを目指すチームで練習し始めてから、飛込一色の生活になったので、特殊な家庭なのかなと思いました。

――他の子と同じように自分も遊びたいなと思ったことはありましたか。

 毎日思っていました。毎日夕方5時から9時まで練習していましたので、今思うと、宿題をいつしていたんだろうなと。それでもみんな練習をやっていました。今自分が子供ふたりを育てていて、習い事や子育てのことを知ったときに、あらためて自分の子供のときはすごい環境にいたんだなと思います。だいたい習い事って週2とかじゃないですか。それを平日4時間、土曜日・日曜日は8時間くらい練習をしていて、大人になった今は、そんな体力絶対ないですから。指導者になって、どうすれば効率よく練習をこなせるかが課題ですね。

――当時は他にどんなことをやりたかったですか。

 プールの隣にテニスコートがあって、やっている人たちがみんなすごく楽しそうなんですよ。それをいいなと思いながら見ていました。あとはダンスもやりたかったですし、遊びたかったし、そういう思いはずっとありましたね。めちゃくちゃうらやましかったです。

――それで中学3年のときに飛込を辞めるとお父さんに伝えたんですね。

 聞き入れてもらえませんでしたね。なんで他のことをやらせてくれないんだろうと。今では親なりの信念があったと思っています。私も子供が生まれて、子育てしていますが、両親は「ひとつのことをやり抜きなさい」と私の子供に伝えています。この教育方針が私の小さい頃からあったのかなと思います。今振り返ってみると、飛込を続けてきてよかったなと思っています。

【過去の自分に後悔】

――ご自身の教育方針はありますか。

 私もその両親の影響を受けていて、何か得意なことを見つけてほしいし、いっぱい挑戦してほしいなと思っています。今は習い事で水泳、体操、英語をやっていて、これらを楽しんでやっていますが、そこから好きなものを見つけて、極めてくれたらうれしいですね。

 ただそうはいっても、なかなか難しいと思うんですよ。子育てって本当に難しくて、子育ての理想はあるんですけど、理想に向けてどうやって教育をしていくのか。好きなものを見つけてほしいという気持ちはあるんですが、好きなことを見つけるために、自分が何をするべきなのか、どういう環境を与えるべきなのかというのが難しいです。

 言うのは簡単なんですけど、子供が興味がありそうだなと思ったことに対して、掘り下げて経験させるかどうかは、親次第だと思うんですよ。子供の性格を考えてアンテナを張って、興味を持ったことに対してより深くやらせてみる。それはもう親の力量ですよね。

――子供が言うことを聞いてくれないというような悩みもあるんでしょうか。

 言うことは素直に聞いてくれるので、逆に心配になりますね。いい子すぎて子育てはすごく楽なんですが、ハングリー精神というか、もう少し自分を主張してもいいのかなと思います。心が優しくて、周りの様子を伺ったりしているけど、そういった面も娘の長所のひとつだと思います。

――自分に似ているのでしょうか。

 自分に似てます(笑) なかなか親に自分の意見を言えなかったですし。

――馬淵さん自身はどんな選手だったんでしょうか。

 えー、どうだったかな。飛込選手としてはすごく攻めない、めちゃくちゃ保守的な選手でした。石橋を叩いて叩いてちょっと揺れたらやめちゃうタイプでしたね。自分の持ち味はノースプラッシュだったんですが、そのノースプラッシュを見せなければ点数が伸びないと思ったので、攻める技をしていませんでした。いかに自分の持ち味のノースプラッシュを見せられるかに重点をおいて技を飛んでいたので、周りの選手よりは難易度は落ちていました。

 それが戦略のひとつではありましたが、確かに最初はできないかもしれないけど、やっていたら難易度の高い技でもノースプラッシュができるようになるじゃないですか。ただ技を習得するには失敗しながら成長していくので、トライアンドエラーをする期間が必要です。それには何年もかかることがあります。私はその期間を持てずにずっと自信のある技を使い続けていました。

 2回目に現役に復帰したときには、難しい技にも全部挑戦していたので、それでできるようになりました。1回目の競技人生では攻めなかった自分にどこかで後悔があったんですよ。これでいいやと。ノースプラッシュで入れるし、いきなり高得点は出なくても、5本着々と少しずつ積み重ねられる戦法のほうがいいだろうと。そこに後悔があって、2回目のときにはちゃんと攻めようと思いました。

【飛込の魅力を発信】

――2度の競技人生が選手としての幅を広げたんですね。今後は飛込を広める活動もされていくということですが、具体的にはどんな活動をしていく予定ですか。

 SNSのアカウントを作って飛込の魅力やチームの魅力を発信しています。それは自分で投稿していますので、ぜひ多くの人に見てほしいですね。

 あとは大会も開催したいなと思っています。飛込は本格的にやり込んでいかないとなかなか試合に出場できなくて、難しい技で飛ばなくてはいけない。週1回習っているような子供たちだと、そのハードルがすごく高くて全然試合に出場できないんです。目標を持って技に挑戦してほしいと思うので、そういう目標を立てられる場を作りたいなと思っています。

 今はとりあえず自分のチームの子供たちが出場できるような大会を考えていますが、そのなかでダイビングショーをやったりしたいです。それから飛込のルールや見方についてあまり認知されていないので、それをどうやって伝えて楽しんでもらおうかと考えています。

――飛込には難易度表がありますが、すごく細かいですよね。

 数字を見るだけで嫌になりますよね(笑)。その表を理解できて見方がわかると面白さがわかるので、その見方も伝えたいですね。技だけ見ても、それがどの程度の難易度なのかわからないと面白くないと思うんですよ。

――今後も飛込の魅力の発信、指導者としての活動、子育て、テレビやメディアへの出演など多忙な日々が続きますね。

 忙しくはありますが、毎日やりがいを感じています。自分のこれまで経験したことをどう子供たちに伝えていくか、日々勉強しています。今後も楽しみながら頑張っていきたいと思います。

【Profile】
馬淵優佳(まぶち・ゆか)
1995年2月5日生まれ、兵庫県出身。3歳から水泳を始め、小学時代から飛込に励む。2009年に東アジア大会3メートル飛板飛込で銅メダルを獲得。2011年に世界選手権代表選考会の3メートル飛板飛込で優勝をし、世界選手権に初出場。2017年、22歳で引退した。2018年に第1子、2020年に第2子を出産し、2021年、26歳の時に競技復帰を決断。2022年8月、日本選手権の1メートル飛板飛込で優勝、3メートル飛板飛込で4位、3メートルシンクロ飛板飛込で2位となる。2023年4月の翼ジャパンダイビングカップ兼国際大会派遣選手選考会の3メートルシンクロ飛板飛込で優勝。2024年2月に現役引退を発表した。現在は指導者の傍らテレビでのコメンテーター、飛込の解説などを行なう。
「滋賀・立命館ダイビングクラブ」instagram

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