『成層圏の墓標』上田早夕里 光文社 上田早夕里といえば、SF読者には日本SF大賞を受賞した『華竜の宮』を含む、変容した未来を舞台に繰りひろげられる本格海洋SF《オーシャンクロニクル》シリーズでお馴染みだろう。それ以外にも、怪奇小説《妖怪探偵・百目》シリーズ、法師陰陽師が活躍する《播磨国妖綺譚》シリーズ、科学と戦争を題材にした《戦時上海》三部作、パティシエを主人公とする《洋菓子》シリーズなど、多彩なジャンルでハイレベルの作品を発表している。本書はジャンルSFというよりも、より広義の奇想小説と呼んだほうがピッタリくる、十篇を収録した短篇集。
「化石屋の少女と夜の影」は、貧しいが向学心に富んだ化石掘りの少女、紗奈が、浜辺で出逢った不思議な女に、異形生物の図譜を見せられる。大正期あるいは昭和初期を思わせる時代(別な時間線ではあるが)の雰囲気が、謎めいた物語としっくりマッチしている。
「封じられた明日」は、魔物が支配する洋館に退魔師が挑む。部屋に置かれた濁った鏡には、不確定の未来が映しだされるというが......。こちらは太平洋戦争前の時代風景の作品。
「車夫と三匹の妖狐」は、高祖父から伝わる話を、語り手が現代に伝えるというスタイルで語られる。高祖父は明治期に銀座で人力車を牽いており、あるときからふたり連れの娘の送り迎えをするようになった。その娘たちが乗ると車が妙に軽く、なんだか気味が悪い。とくに詮索はしなかった高祖父だが、送り迎えを繰りかえすうちに、徐々に恐ろしいものにかかわってしまったと気づくことになる。雰囲気があって、少しユーモラスな怪奇小説。
「ヒトに潜むもの」は、五感すべてが再現できる仮想空間が普及した時代が舞台だ。その世界において、〈標的〉を狩らねばという激しい衝動に駆られている男がいる。初期の平井和正を思わせるサスペンス作品。
「成層圏の墓標」では、雨が夜にしか降らなくなった都市で、雨坊と呼ばれる未確認生物が出没する。科学的な説明はつくものの、たちこめる空気は妖怪物語もしくは不条理小説だ。どことなく諸星大二郎を思わせる。
「ゾンビはなぜ笑う」は、ゾンビ禍の日常を描く。物語中ではゾンビではなく違種と呼ばれている。違種に咬まれることで発症し、咬まれた人間は一度死んでから違種となり、腐敗臭を発しながら彷徨する。違種は爆発的に増えるわけではないが、完全に駆逐もできていないのが現状だ。そんな状況のなか、駅に設置されたピアノを弾いている違種がいて......という一風変わったシチュエーションで物語が進行する。
以上の六篇は、井上雅彦編のアンソロジー・シリーズ《異形コレクション》が初出だ。
「龍たちの裔、星を呑む」は、中国の「春節SF祭り(科幻春晩)」で発表された作品。龍というのは、次元を自由に往き来できる宇宙生命だ。そのうちの老いた個体が太古の地球に棲みついた。その末裔である新しい世代の龍たちは、人間とのかかわりのなかで多くの伝説を生みだしていく。説話的な味わいのあるスケールの大きな宇宙小説。
「地球をめぐる祖母の回想、あるいは遺言」は、日本SF作家クラブ編のアンソロジー『地球へのSF』に寄稿された作品。同アンソロジーを本欄で取りあげた際(https://www.webdoku.jp/newshz/maki/2024/06/04/115000.html)、この作品にも言及している。祖母はかつて地球の管理社会から逃れ、火星へとやってきた。その彼女がいま火星で生まれた孫娘と会話しており、そのやりとりを通して、ディストピア的背景がしだいに浮き彫りになっていく。きわめて現代的な作品だが、自由の希求というテーマ、火星へと逃れた人びとという設定から、レイ・ブラッドベリ『火星年代記』を連想した。
書き下ろしが二篇。
「天窓」は、トワイライトゾーン風の宇宙SF。地球上のおよそ五十箇所で、ドーム状の網に都市が覆われるという異変が発生した。網は十五分で消えたが、都市からは少数の人間が行方不明になり、上空に『時空の窓』とも言うべき存在が確認される。その窓の向こう側から声が聞こえてくる......。
もうひとつの書き下ろし作品「南洋の河太郎」は、1940年、海洋生物を研究する青年、鈴木秀和がパラオにある日本の研究所に赴任する。彼が出逢ったのは、研究所の仲間、沖縄出身の労働者シゲさん、現地の少年ウーゴ、そして海に棲む人型の生物。秀和は子どものころ、故郷の川で溺れかけたときに助けてくれ、その後、姿を消した河童を思いだした。シゲさんも「ああいうものなら、沖縄にもおります」と言う。秀和と研究所の同僚は、この未知の生物とより近くで接触し、その存在を学術的に同定したいと思う。そんな彼にウーゴは言う。「あいつらに会いたければ、お兄さんたちも、あいつらと友だちになってほしい」。秀和は人間味がある善意の研究家だが、やがて太平洋戦争がはじまり、純粋に研究をつづけられなくなっていく。ほの暗いクライマックスを経たのちの、抒情的な余韻が素晴らしい。
(牧眞司)
『成層圏の墓標』
著者:上田早夕里
出版社:光文社
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