IT訴訟事例を例にとり、システム開発にまつわるトラブルの予防策と対処法を解説する本連載。今回は、プログラムの使用権と利用許諾を巡る問題を考えてみたい。
システム開発を依頼したユーザー企業と開発を請け負ったITベンダーの間で契約関係が明確でなかったために、紛争が生じた事例だ。端的に言えば、「明示的な契約がなくともプログラムの使用許諾があると見なされるのか」という点が争われた。
契約書の不存在や曖昧さはITの現場ではよくあることだ。特に中小規模の案件では、見積書や発注書のやりとりだけで開発が進むこともある。しかし、こうした不明確さが後々のトラブルの火種となるのだ――。
●契約のない開発でプログラムの使用許諾は成立するか
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まずは概要をご覧いただこう。
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東京地方裁判所 令和6年判決より
ユーザー企業は業務に使用するソフトウェアの導入を検討しており、ITベンダーに依頼してプログラムを作成させた。ITベンダーは作成したプログラムをユーザー企業の端末にインストールし、ユーザー企業は使用を開始した。
当初、両者の間で明確な契約書は交わされていなかったが、特に問題は生じていなかった。しかしプログラムに不具合が見つかり、それを巡って対立が深まった。
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ITベンダーは代金を請求したが、ユーザー企業は不具合を理由に支払いを拒否した。それに対抗する形で、ITベンダーは使用権侵害を主張するようになった。
ITベンダーは、ユーザー企業がライセンス契約を締結していないにもかかわらずプログラムを商用利用していたと主張し、ユーザー企業はITベンダーからの使用許諾に基づいて正当に使用していたと反論した。
出典 出典:IP Force 知財判決速報/裁判例集
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本件の最大の特徴は、「ITベンダーとユーザー企業の間で明確な書面契約が交わされていなかった」点だ。この状況下で、プログラムの使用許諾が認められるのだろうか。
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ITの現場では、このような契約関係の曖昧さはよく見られる。中小企業のオーダーメイドシステムでは特に顕著だ。「○○のような機能が欲しい」といった口頭での要望伝達、簡単な見積書のやりとり、そして開発、稼働という流れも多く見られる。
細かい条件は担当者間の信頼関係で進められることも多いし、「まずは使ってみて、その後調整する」というアプローチもよくあることだ。基本機能を実装したβ版をユーザー企業の端末にインストールし、実際の業務で使いながら改良点を見つけていく――そんな開発プロセスもある。
こうしたケースでは、開発作業はもちろん、ライセンスに関する契約書の作成も後回しになる場合もある。その結果、プログラムの「使用権」を巡る紛争が発生する可能性もある。
本来ソフトウェア開発では、開発契約やライセンス契約を締結し、使用権の帰属や利用条件を明確にする。発注書や契約書には「納品物の著作権はITベンダーに帰属する」「ユーザーには使用権を許諾する」「改変、複製は禁止する」といった条項が明記される。しかし本件では、そうした明確な取り決めがないまま開発が進められた。
結果として、ITベンダーは「契約がないからプログラムを使う権利はない」と主張し、ユーザー企業は「依頼して作ってもらったものだから当然使用の許可はあった」と反論する事態に発展した。
この対立を裁判所はどう判断したのだろうか。判決文の続きを見てみよう。
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東京地方裁判所 令和6年判決より(つづき)抜粋
ITベンダーとユーザー企業は、本件プログラムの制作に関する合意をしており、ITベンダーは、当該合意に基づき、ユーザー企業に対し本件プログラムの使用につき黙示の許諾を与えていたものと認めるのが相当である。
(中略)
ITベンダーがユーザー企業から本件プログラムの制作を依頼され、現にこれを作成してユーザー企業の端末に自らインストールまでしている事情を踏まえると、上記に関わる合意をしていたものと認めるのが相当である。
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裁判所はプログラムの使用について“黙示の”許諾があったと判断し、ITベンダーには不利な判断が下された。
●開発からインストールまでの作業が使用を許諾する行為に
「ユーザー企業からの制作依頼」「それに応じたプログラム作成」「ユーザー企業の端末へのインストール」という一連の流れ全体が、使用許諾の意思表示として裁判所に判断されたようだ。
考えてみれば、プログラムはユーザーが使用することを前提に作られるものだから、ITベンダーが実質的に使用権を許諾していたはずだとの判断は当然のことともいえる。
ただ、結果的に書面による契約書がないまま両者の関係が破綻した時点で、ユーザー企業のそれまでのプログラム利用は著作権(使用権)の侵害だったのではないかとするITベンダーの主張もそれなりの理由はあるように思えたが、裁判所はその間も実質的には使用許諾があったと判断したのだ。
この判決は、作成したプログラムをユーザー企業のサーバなどにインストールすると、それがすなわち使用権を許諾したと見なされる可能性があることを示唆している。むろんケース・バイ・ケースではあろうが、契約がなくても許諾が黙示的に認められることが、本判決で明らかになった。
●契約書不存在のリスクはITベンダーとユーザー双方に
通常、ユーザーは結果的にプログラムを使うので大きな問題とはならないかもしれない。しかしこのケースのように、何らかの形でITベンダーとユーザーが対立したとき、ITベンダーはユーザーのプログラム使用を止められないことになる。
きちんと開発費用をもらっているならよいが、近年よく行われるPoW(Proof of Work:実証実験)やプロトタイプ開発などのような、仕様検討のために安価に、もしくは無償で「一時的に」使ってもらうはずだったプログラムをユーザーが使い続けるという危険もある。
そうなると、正式な契約書を交わすことが重要になってくる。たとえ無償で一時的に使わせるだけであったとしても、期限や使用目的、使用条件、権利関係を明確にした契約が、やはり必要である。契約書を取り交わす作業は、それなりに費用も労力も必要ではあるが、それを行わないリスクが顕在化してしまったのがこの裁判だ。
一方、ユーザー企業側も契約書がない状況では注意が必要だ。
確かに今回の判決では、ITベンダーがインストールしたプログラムの「黙示の許諾」が認められた。しかし、その使用権の範囲は必ずしも明確ではない。インストールされたプログラムを使えるというだけで、それ以外の権利(改変権、複製権、第三者提供権など)が自動的に与えられるわけではない。
プログラムのバージョンアップや保守も不明確だ。ITベンダーには継続的な保守義務があるのか、バグ修正は無償なのか、追加機能の開発には別途料金が発生するのか、こうした点は契約書がなければ争いの種になる。
さらに、ビジネス環境の変化に伴うシステムの拡張や変更についても問題が生じ得る。例えば、初期に想定していなかった利用者数の増加や新しい業務への適用、クラウド環境への移行などを行う場合、それが当初の「黙示の許諾」の範囲内かどうかは不明確だ。
特に今回のケースでは、プログラムの不具合を巡るトラブルが紛争の引き金になっている。不具合が見つかった場合の対応方法やITベンダーの責任範囲が契約書で明確になっていれば、こうした紛争は避けられた可能性が高い。
ユーザー企業としては、プログラムの利用を安定的に継続するためにも、使用権の範囲や保守条件、不具合対応などを含めた契約書を交わしておくことが重要だ。
今後、使用権に関する契約書は、AI導入を検討するためのPoC(Proof of Concept:概念実証)、実証実験が必要なプロジェクトが増えるとともにその重要性を増してくるように思う。
●細川義洋
ITプロセスコンサルタント。元・政府CIO補佐官、東京地方裁判所民事調停委員・IT専門委員、東京高等裁判所IT専門委員NECソフト(現NECソリューションイノベータ)にて金融機関の勘定系システム開発など多くのITプロジェクトに携わる。その後、日本アイ・ビー・エムにて、システム開発・運用の品質向上を中心に、多くのITベンダーと発注者企業に対するプロセス改善とプロジェクトマネジメントのコンサルティング業務を担当。独立後は、プロセス改善やIT紛争の防止に向けたコンサルティングを行う一方、ITトラブルが法的紛争となった事件の和解調停や裁判の補助を担当する。これまでかかわったプロジェクトは70以上。調停委員時代、トラブルを裁判に発展させず解決に導いた確率は9割を超える。システム開発に潜む地雷を知り尽くした「トラブル解決請負人」。2016年より政府CIO補佐官に抜てきされ、政府系機関システムのアドバイザー業務に携わった
個人サイト:CNI IT アドバイザリ
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