【フィギュア】浅田真央さん「愛を忘れないように」コーチの夢は34年ソルトレークシティー五輪

0

2025年06月13日 05:02  日刊スポーツ

  • チェックする
  • つぶやく
  • 日記を書く

日刊スポーツ

「木下MAOアカデミー」設立発表会に登壇し、記者の質問に答える浅田真央さん(撮影・鈴木みどり)

フィギュアスケート女子で10年バンクーバー五輪銀メダルの浅田真央さん(34)がコーチ業を本格始動する。12日、都内で記者会見。8月1日に東京で「木下MAOアカデミー」が開校し、ディレクターに就任する。


世界一のスケーター育成を目指し、照準は9年後の34年ソルトレークシティー五輪。日本の男女シングル五輪メダリストで初の本格的なコーチとなる。17年春までの競技生活、以降のプロスケーター活動に続き、東京・立川市の「MAO RINK TACHIKAWA TACHIHI」を拠点に第3章が始まる。


  ◇  ◇  ◇  


希望に満ちた、晴れやかな表情だった。白のパンツスーツに身を包み、浅田さんは壇上で「私は指導者として新たな1歩を踏み出します」と所信表明した。5歳でスケートを始めてから、まもなく30年。競技引退から8年がたった。現役時代の恩師の顔を思い浮かべ「皆さん、とっても愛のあるコーチ。私もその愛を忘れないように指導していきたいです」とほほ笑んだ。


掲げた夢は大きい。かねてスケート界を支えてきた木下グループと手を組み、この日に生徒募集が始まった。対象は4月1日時点の5〜9歳で、選考を経て10人程度が集う。直接指導はもちろん、バレエ、ダンス、新体操などを融合させ、現役時代に「あったらいいな」と考えた環境を整えた。望むのは手塩にかける教え子の中長期的な成長だ。


「本当に地道に1歩1歩、自分も成長したい。夢としては世界に羽ばたくスケーターを育てることです。木下(直哉)代表が『次の次の次(34年)の五輪を目指してほしい』と強く背中を押してくださった。夢は大きく、目標に向かって進んでいきたいと思います」


五輪は初出場の10年バンクーバー大会で銀メダル。14年ソチ大会はショートプログラム(SP)16位ながら、語り継がれる涙のフリーで6位まで順位を上げた。男女シングルのメダリストで初めてとなる本格的な競技者育成。時に喜び、時に苦しんだ経験があるからこそ「『スケートが好き』という気持ちがなければ、努力もできない。どんなことがあっても、好きという気持ちだけはなくさないように、指導をしていきたいと思います」とこだわる。


当面は将来的なアカデミー進級を視野に入れた「木下MAOクラブ」を含めた指導に専念する。9月で35歳。世界中で愛され、尊敬される「MAO」の思いを次世代に託す。【松本航】


○…浅田さんが突然の名言で会場を笑いの渦に包んだ。今後の活動について「木下MAOアカデミーとクラブの指導に全力で集中する形で進みたい」と明言。プロスケーターとしては一段落なのかを問われ「ハーフ、ハーフです。久しぶりに言ってみたかったので」と笑わせた。今後のアイスショーの予定もないといい、まずは指導に専念する。14年ソチ五輪から帰国直後の日本外国特派員協会での会見で、進退の確率を問われ「今のところハーフ、ハーフぐらいです」と答えた名言が思わぬ形で復活した。


◆浅田真央(あさだ・まお)1990年(平2)9月25日、名古屋市生まれ。小学5年生で全種類の3回転ジャンプ、6年生でトリプルアクセル(3回転半)を跳んだ。15歳の05年グランプリ(GP)ファイナル初出場優勝。06年トリノ五輪は年齢制限で出場できなかったが、10年バンクーバー五輪で銀メダル。14年ソチ五輪6位。世界選手権は08、10、14年に優勝、全日本選手権は6度制した。1年間の休養を経て15年5月に現役続行を表明。17年4月に現役引退。プロスケーターに転向後は、アイスショーで全国各地を巡った。

    ランキングスポーツ

    前日のランキングへ

    ニュース設定