金子侑司は自身の引退試合で若手選手に感謝 粋な計らいに「涙をこらえるのに必死だった」

0

2025年06月18日 07:30  webスポルティーバ

  • チェックする
  • つぶやく
  • 日記を書く

webスポルティーバ

写真

金子侑司インタビュー(後編)

 西武一筋12年──スピードと華麗さを兼ね備えたプレーでファンを魅了した金子侑司氏。引退試合の感動秘話、背番号に込めた想い、そして"チャラさ"の奥に秘めた野球への情熱、そしてこれからについて余すところなく語ってくれた。

【夢だったライオンズの背番号7】

── 金子さんは入団時の背番号「2」から、2018年に「8」になり、2020年からは「7」を背負いました。背番号7は、石毛宏典さんや松井稼頭央さんなど、西武の"スピードスター"の系譜です。

金子 プロ入り時は2番でしたが、外野手に転向して2番はなんかイメージが違うかな......と。それで変更を希望したら、8番が空いていました。それで西武に戻ってきた憧れの松井さんが2018年限りで現役を引退したので、2020年から背負わせてもらいました。「西武ライオンズの背番号7」という、子どもの頃からのひとつの夢が実現しました。

── 金子さんの座右の銘である「華麗奔放」は、どういうところからきているのですか?

金子 けっこう、そのままの意味です(笑)。自由にプレーしながらも華麗でありたいなと。僕のなかでは、泥臭いプレーやふつうのプレーでも、ファンのみなさんには華やかなでカッコいいイメージを抱いてもらえたらうれしいなと思っていました。

── 秋山翔吾選手(現・広島)が金子さんについて「チャラチャラとギラギラを兼備している」と言っていましたが、ルックスがよく、野球に関して貪欲な金子さんをうまく表現しているなと思いました。

金子 やはりプロ野球選手なので、ファンの方が見ていて「カッコいいな」「ああいうふうになりたいな」と思われるのがモチベーションでしたし、力になりました。

── 金子さんの現役時代、監督は渡辺久信さん、伊原春樹さん、田辺徳雄さん、辻発彦さん、松井稼頭央さん、そして再び渡辺さんでしたが、それぞれどんな影響を受けましたか。

金子 渡辺監督は、プロ入りしてすぐ開幕スタメンで使っていただきました。伊原監督は途中交代になったので、接したのは3カ月ぐらいと短かったですね。田辺監督は、僕が初めて盗塁王を獲った時の監督です。辻監督のもとでリーグ連覇を経験しています。(松井)稼頭央監督は憧れの方でした。それぞれ思い出深いです。

【涙をこらえるのに必死だった】

── あらためて引退を決意したのは?

金子 いろいろ考えましたが、結論としてはチームが新旧交代の過渡期で、自分が翌年スタメンのなかにいることを想像できなかったということでしょうか。

── 金子さんの引退試合で、8回裏に一死満塁から9番の元山飛優選手が全球見逃して三振に倒れます。ゲッツーの可能性がある場面で、元山選手がわざと三振して金子さんに回しました。

金子 ネクストサークルで待っている時に、元山と目が合いました。その時に「振らないで、自分に打席を回そうとしてくれているんだ」と思って......胸が熱くなりました。野球人生をかけている若手にとって、1打席はものすごく大事なんです。そんななか僕のために1球も振らずに三振してくれて、素直にうれしくて、泣きそうなるのを必死にこらえていました。

── 若手選手から慕われていたのですね。ふだん、若手選手にはどんなアドバイスをしていたのですか。

金子 なんでしょうね......。ただ、僕は下の子たちが好きで、純粋にかわいかったです。悩んでいることがあったら、一緒にお酒でも飲みながら話を聞くし、若い子たちの心の拠り所になれたらいいなという感覚はありました。基本、誘われたら断らないタイプでしたので(笑)。

── その現役最後の打席では、「ネコ・ゲン」コンビの源田壮亮選手が何か話しかけていましたね。

金子 何か声をかけてくれたのですが、もう涙をこらえるのに精一杯で覚えていません。その前に珍しく本塁打を打って、引退試合の僕よりも目立っていましたが......(笑)。

── スタンドでは、男性ファンも男泣きしていました。

金子 球団が引退試合を開催してくれて、ファンのみなさんもチケットを買ってくれて完売になりました。ほんとに選手冥利に尽きると言いますか、ありがたいことです。プロ野球人生のなかでも一番思い出に残る試合でした。

【第二の人生は?】

── プロで一番印象に残っているプレーは何ですか。

金子 2024年9月15日の引退試合で、ロッテの先頭打者・荻野貴司選手の打球がいきなりライナーで飛んできたこと。そして8回には藤岡裕大選手がレフト線にライナーを放ち、帽子を飛ばしてスライディングキャッチしたプレーは思い出深いです。決して難しいプレーではなかったのですが、一番大きな歓声をいただいた気がします。

── 帽子を飛ばして髪をなびかせるのが、金子選手のトレードマークでした。わざと大きめの帽子を被っていたとか?

金子 ジャストサイズのものを被っているんですけど、落ちちゃうんですよね。でも引退試合の時は、0.5インチだけサイズを上げました。それこそ、最後はしっかり帽子を飛ばさないといけないなと......(笑)。

── プロ野球人生でやり残したことはないですか?

金子 ないです! やりたかったのは引退試合で、逆転満塁サヨナラ本塁打を打つことでしたが、7対1で勝っていたのでそれは叶いませんでした。

── 最後に対戦した左腕投手が制球を乱して3ボールとなり、押し出し四球になりそうでした。

金子 次も、その次もボール気味の球だったのですが、せっかくみんながつないでくれて最後の打席に立つことができたので、無理やり振りにいきました。ファウルフライもキャッチャーの佐藤都志也選手がうまくやってくれました。それで7球目、最後はショートライナーでしたがいい当たりでした。

── 引退後、セカンドキャリアのひとつとして、小・中学生の野球指導、またジュエリーブランドも立ち上げたのですね。

金子 僕自身、スイッチヒッターで内野も外野もやっていたので、バッティング、内外野の守備、盗塁技術を中心に教えています。とにかく「野球ってカッコいいな」と思ってもらえるように、指導できたらいいなと考えています。ジュエリーブランドに関しては、盗塁する時の"挑戦する"意識ではないですが、一歩踏み出そうと。第二の人生、頑張っていきます。


金子侑司(かねこ・ゆうじ)/1990年4月24日生まれ、京都府出身。小学生時代にラグビーと並行して野球を始め、中学時代は硬式野球クラブチームの京都嵐山ボーイズに所属し、両打ちに挑戦。立命館宇治高に進学後は遊撃手として高校2年春からレギュラーとなり、高校通算20本塁打。立命大でも1年春からリーグ戦に出場し、3年時に大学日本代表に選出された。2012年ドラフト3位で西武に入団。1年目から開幕スタメンを果たし、初打席初安打を記録。16年、19年に盗塁王のタイトルを獲得。24年シーズンを最後に現役引退。引退後は野球解説者をはじめ、野球教室のコーチを務めるなど精力的に活動し、25年にはジュエリーブランド「KANOA jewelry」を立ち上げ、経営に携わっている

    ニュース設定