「水戸黄門」飛猿の野村将希が55周年記念イベント「100歳まで、こんな感じで」生涯肉体派宣言

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2025年06月22日 16:30  日刊スポーツ

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55周年記念イベント「野村将希 55th 永遠のストーリー」で「一度だけなら」を熱唱する野村将希

俳優で歌手の野村将希(72)が22日、ザ・プリンス パークタワー東京で55周年記念イベント「野村将希 55th 永遠のストーリー」を開いた。ファンクラブと昔からのファンの、合わせて150人を前に、1970年(昭45)6月5日にデビューした際のデビュー曲「一度だけなら」(RCAレコード)など、アンコールを含め7曲を熱唱し、55年を振り返った芝居を披露した。


野村は、囲み取材で「55年です。55年を迎えました!!」と両手のひらを広げ、指で5の字を作った。錦野旦(76)とはデビュー同期で「ありがとうございます。ちょっと、こっ恥ずかしい思いもありましたけど、錦野さんと『よく55年まで来たなぁ』と」と、錦野と交わした言葉を明かした。デビュー当時を振り返り「一応、アイドルだったんです。錦野さんと競っていたんで。男性アイドルは我々でした」と胸を張った。


1968年(昭43)11月に創業した所属事務所サンミュージックを、タレント第1号で最高顧問を務める森田健作(75)とともにけん引してきた。「当時を振り返ると、うちが小さい事務所から一丸となって頑張って、ここまで来た歴史がある。先輩の森田健作と2人で話すと、感無量」と語った。


デビュー曲「一度だけなら」で、70年に第12回日本レコード大賞新人賞、第1回日本歌謡大賞放送音楽新人賞、第3回日本有線大賞新人賞、新宿音楽祭金賞などを受賞。同年の第21回NHK紅白歌合戦に初出場を果たした。「タレントさんがあって、売れて、という会社。売れないと、飛んでも(つぶれても)おかしくない。僕があの時、ヒットしなかっら大変だった」と振り返った。そして「先代の相澤秀禎社長が持っていた。厳しい時に、松田聖子がバーッと売れたり」と続けた。


転機は、79年7月から2年半、米国に留学したことだった。「無口でトークもできない自分が危機感を感じ、米国に留学したのが1つの転機。仕事が減ってきた時、自分を変えようかなと思ったら、相澤社長が『ミュージカルを勉強してこい』と。勉強をさせてもらって役に立った」と振り返り、先代に感謝した。


そして、1987年(昭62)8月からTBS系「水戸黄門」に、柘植の飛猿(つげのとびざる)役で出演。11年12月19日に放送の「水戸黄門 最終回スペシャル」、15年6月29日に放送の「水戸黄門 スペシャル」まで出演と、俳優として当たり役をつかんだ。「どこに行っても、飛猿と言われた。やってて良かった。自分の分身」と感謝した。 現在は、アサヒ緑健「緑効青汁」のCMに出演し、同世代のシニア層にアピールする一方、老人ホームへの慰問も行っているという。「老人ホームに慰問に行くと、座っている人が立ったり。やって良かったなと思う。元気だとアピールすることで、皆さんの目標になる70、80代になりたい。できたら、100歳くらいまで、こんな感じでいきたい。どこまでいけるか…楽しみにしてください」と“生涯肉体派”を宣言した。


今年11月で73歳になるとは思えない、ステージ衣装が弾けんばかりの、鋼の肉体は健在だ。肉体を生かし、新たな企画、作品を立ち上げることはないのか? と聞かれると「やりたいことは、結構ある。思ってもオファーがないとダメ。でも…話でもしてみますかね。皆さん、あおってください。体も、ちょっと緩んできていますが、今のひと言で、これだな! と思った。また、トレーニングします」と、俳優業への思いに火が付いた様子だった。【村上幸将】

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