古舘伊知郎、本気で“しゃべり死に”考える トーキングブルースで「時代の闘魂ビンタやります」

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2025年07月06日 08:00  日刊スポーツ

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日刊スポーツ

9年ぶりの撮影だったが、前回とトークの切れとスピードは全く変わらぬ古舘伊知郎(撮影・中島郁夫)

“しゃべり屋”古舘伊知郎(70)が、12月7日の東京・EXシアター六本木から全国5カ所で「古舘伊知郎トーキングブルース 2025」を開催する。来年1月に福岡、2月に名古屋、3月に大阪、横浜と“しゃべりの巡礼”に出る。テーマは「2025(ニセンニジュウゴ)」。2025年の1年間で、何を見て、何に怒り、何に笑ったのかを2時間半、ノンストップでしゃべりまくる。古希になった古舘に、ここまでの半年、そして残り半年について聞いてみた。【小谷野俊哉】


★今年あったこと


今年のトーキングブルースのテーマは「2025」。


「今年のテーマは、今年あったこと。スタンダップ的なものに戻ろうとしています。テーマをいろいろと掲げてやってきたけれど、原点に戻ろうということで、今年あったこと、人を喜ばせたニュース、人を怒り狂わせたニュースを切り刻んでいきます」


25年も半分が過ぎた。昨年末からフジテレビの騒動が世間の話題となった。


「先月25日のフジ・メディア・ホールディングスの株主総会を見て、フジテレビ問題はテレビが大きく転換していく1つの端緒だと思いました。素晴らしいなと思っているのは、経営陣は社長の清水(賢治)さん以外は全部刷新したけど、清水さんが残り、新たなフジテレビの人が経営陣、取締役に入っている。やっぱりね、テレビはテレビで、テレビのノウハウを知ってる人がやる、と。全てを変える革命もあるけど、ここは革新ぐらいにとどめたなと」


テレビ局は総務省から免許をもらう認定放送業者。


「旧態依然とした、既得権で守られてっていう時代じゃない。テレビのドラマを、そのままサブスクで出していく可能性もありうる。テレビ局の編成で決められた時間帯に縛られて見る時代じゃない。放送と配信の融合と言われて久しいけれど、配信そのものでもない。放送という概念も変わる、中間域みたいなところでテレビを新しくしていくきっかけじゃないかと思う」


★“謝罪の先出し”


フジテレビは、10時間半に及ぶ会見で徹底的に糾弾された。国分太一(50)のコンプライアンス違反問題で先月20日に会見した、日本テレビの福田博之社長(63)は「プライバシーの保護」を理由に具体的な内容を明かさなかった。


「会見をやってズタボロになるというのは、みそぎとまでは言わないけれど、始まりでもあるんです。フジテレビも、あれは夜中までやるということに意義があったんです。失敗を失敗と見ない方がいい。会見はリスクが高すぎるからやらないという考えもある。日テレの社長は、ものすごく早めに謝罪し続ける会見をした。何にも言わないで、ただ謝り倒すというね。これを僕は“謝罪の先出し”と呼んでるんですけども、この空疎さを売りにする時代に突入したと思う」


70歳、古希になった。


「若い頃は、想像だにしなかった。『若く見える』って言われるけど、70歳の人はさすがに老人じゃないですか。“絶対年齢”に支配されて束縛されたら、老化が早まるからよくないと思います。だから意識しない。ところが70歳はね、自律神経が乱れて気圧の変化でふらついたり、立ちくらみが起きる。それが自然の摂理。どんどん老化現象が始まってます。だから意外に早いかもしれません。死んじゃったらこっちのもん、もう恐怖もないですから」


立教大の先輩の長嶋茂雄さんが、6月3日に89歳で亡くなった。


「僕は週に1回、母校の立教大学で客員教授をやっています。亡くなった6月3日は大雨の日。ザーザー降りの中、池袋の立教のキャンパスを歩いていって、鈴懸の径(すずかけのみち)っていう並木道の真ん中に長嶋さんが顕彰されているモニュメントがあるんです。そこに傘を差して授業の前に手を合わせに行った。本当に昭和のアイドル、立教のアイコン、ありがとうございました、長嶋茂雄さんって。長嶋さんの終焉(しゅうえん)は寂しかった。と同時に、やっぱり昭和はぐっと遠くなったというか、完全に昭和の終焉を感じさせましたね」


★松本遠巻き応援


今年の後半はダウンタウン松本人志(61)の復活が待たれている。


「ダウンタウンにあまり期待すると、過剰期待になって面白くないというリバウンドが起きる。だから期待も何にもしないので、遠巻きに応援したいと思います。彼がやったことが事実ならば、やっぱりひどい。しかしながら刑法上の法律論じゃなくて、罪を犯した人間は復活しちゃいけないんですかと。地上波も面白くないダメダメの中で、吉本という大きいところと、まっちゃんというドでかい玉がくっついて『ダウンタウンチャンネル』ができ上がる。それは頑張ってもらいたいなと思います」


2時間半ノンストップでしゃべりまくるトーキングブルース。今回は25年に起きたことを俎上(そじょう)に上げていく。


「とにかく本当の切り口でね。きれいごとでごまかして、何がウェルビーイングだと、レジリエンスだと、メディアリテラシーだと。いろいろな言葉で言うじゃないですか。今は型を作っています。今のネタは12月には古くなっちゃう。賞味期限切れになっちゃうから、それを土壇場で2カ月前ぐらいから差し替えなきゃいけない」


22年に79歳で亡くなったプロレスラー、アントニオ猪木さんは闘魂ビンタで相対する人に気合を入れた。


「今年のトーキングブルースは『時代の闘魂ビンタをやります』ということです。2025年は時代の闘魂ビンタを108やります。スタンダップ形式で、上っ面の正論、正義、原理主義に時代の闘魂ビンタを食らわしていきます」


★1人SMショー


フリーアナウンサー、司会者、コメンテーター、いろいろな肩書があった。


「トーキングブルースをやっていると、自分は“しゃべり屋”だって言える。できればトーキングブルースで、しゃべりながら死んでいくっていう“しゃべり死に”を本気で考えている。2時間以上も水を一滴も飲まないで、あんなハイテンポでよくしゃべれますね、素晴らしいですねって言ってもらえます。だけど中身のことは、全く言ってもらえないんです。この悔しさが僕を支えてくれる。今年は途中で水を飲まなきゃいけないかもしれない。自分に一番負担がかかるのはトーキングブルース。脳も過緊張になりますし、オーバーヒートして、耳から煙が出てくるんじゃないかと思う。ただ、そういうのはいいんじゃないかなと。1人SMショーですよね」


▼「古舘伊知郎トーキングブルース『2025』」


25年12月7日 東京・EXシアター六本木


26年1月18日 福岡・Zepp福岡


26年2月12日 愛知・Zepp名古屋


26年3月7日 大阪・Zeppなんば


26年3月20日 神奈川・Zepp横浜


2日からチケット発売開始。


▼テレビ朝日同期入社のフリーアナウンサー南美希子(69)


私たちの時、1977年(昭52)はモスクワ五輪に向けてアナウンサーが9人も採用されました。私は聖心女子大3年の時に入社試験を受けて合格。そのまま短大卒の扱いで入社したので、同期より1学年下でした。


イッちゃん(古舘)とは、同期で一番仲がよかったんです。ちょうど77年4月に社名が「NET」から「テレビ朝日」に変わる時で、ペアを組んで横浜の馬車道から中継をやりました。


入社したばっかりのイッちゃんは、今では考えられませんがすごくおとなしい青年でした。まだスマホなんてない時代で、用事があって自宅に電話したらお母さまが出て、しゃべりが達者な方でした。若くして亡くなられたお姉さまも、しゃべりが達者な方で、古舘家では伊知郎君はおとなしくしてたみたいです(笑い)。


それでも、アントニオ猪木さんに憧れた“プロレス命”の人ですから、入社してすぐに頭角を現しました。舟橋慶一さんというプロレス実況の先輩アナウンサーのかばん持ちをしながら、修行を積んでいました。東京の滝野川の自宅から六本木のテレビ朝日まで電車に乗って通勤する間に、目に映るもの全てを実況していました。


“プロレス実況の古舘”として売れっ子になったイッちゃんが、プロレス巡業の出張先から同期の結婚式に駆けつけたことがありました。今と違って、休日はATMも稼働していない時代でお財布に3000円しか入っていなくて、それを祝儀袋に入れる時間もなく裸のまま、そっと他の祝儀袋に紛れ込ませようとして祝儀泥棒に間違われたこともありました(笑い)。同期は基本割り勘でしたが、イッちゃんは売れっ子だったので2人でご飯に行くといつもごちそうしてくれました。


私は芸能番組志望で、すぐにビートたけしさんや山城新伍さんと一緒の番組に出られるようになりました。イッちゃんは実況で顔は出ないから「ネエさんが、うらやましいな」って、今から思うとうそみたい。2人で会社の屋上に行って「ゆくゆくはフリーになれたらいいね。テレビやラジオで活躍したいね」と夢を語り合いました。


当時は民放からフリーになって売れたのは徳光和夫さんくらいでした。ラジオの文化放送からフリーになった土居まさるさん、落合恵子さん、みのもんたさんが売れていましたが、我々の間でフリーになるということは結婚式場の司会者になるということでした。独立して失敗したら、2人でうどん屋さんをやろうと、なぜか約束していました。


イッちゃんは84年6月で退社。1年ちょっとたって、私もフリーになりました。イッちゃんが司会する「クイズ日本人の質問」「クイズ赤恥青恥」「おしゃれカンケイ」に呼んでくれました。本番中は「古舘さん」と呼んでましたが、収録が終われば「元気?」「すごいね」とざっくばらんに話していました。「夜のヒットスタジオ」や「報道ステーション」の頃は、街を歩いていても、イッちゃんはすぐに人に取り囲まれていました。


今年春にアナウンサーの同期会をやったんですが、イッちゃんは5時間くらいしゃべりまくりでした。そして2次会は、すてきなお店に連れて行ってくれました。仲間は本当にいいですね。立場が違っても、ずっと「イッちゃん」「ミキちゃん」の関係で、すぐにタイムカプセルに乗って昔に戻れる。一生の宝ですね。


◆古舘伊知郎(ふるたち・いちろう)


1954年(昭29)12月7日、東京都生まれ。立大卒業後の77年にテレビ朝日入社。同8月からプロレス中継を担当。84年6月退社。フリーとなり「古舘プロジェクト」設立。85〜90年にフジテレビ系「夜のヒットスタジオDELUXE、SUPER」司会。89〜94年フジテレビ系「F1グランプリ」実況中継。94〜96年NHK「紅白歌合戦」司会。94〜05年日本テレビ系「おしゃれカンケイ」司会。04〜16年「報道ステーション」キャスター。現在、TBS系「ゴゴスマ」水曜日コメンテーターなど。血液型AB。

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