2代目バチェラーを射止めた女性は“三足のわらじ”になっていた フォロワー9万人超えインスタ削除の真相も告白「3年間鬱状態の時期も」【バチェラー連載Vol.9】

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2025年07月07日 18:00  ORICON NEWS

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倉田茉美 (C)ORICON NewS inc.
 Prime Videoの恋愛リアリティ番組『バチェラー・ジャパン』のシーズン2に参加した倉田茉美。2代目バチェラーを射止め、パートナーとして選ばれたことでも知られている倉田は、放送当時、視聴者から“憧れの存在”としても注目を集めた。そんな倉田は現在、画家・イラストレーターとして活躍する一方、会員制バーのオーナーとしても働いている。

【写真】圧巻の世界観…倉田茉美の作品

 『バチェラー・ジャパン』シリーズ参加者の「今」について追求する本連載の第9弾となる今回は、倉田の上京してから今に至るまでの話や、現在の恋愛事情について話を聞いた。

■バーは“やっと形になり始めた” 会員制にした理由も

――今のお仕事は?

メインはお仕事を受注して描くイラストレーターと、自分で企画して個展を開催する画家としての活動を7年ほどやっています。それに加えて去年から、共同経営という形で会員制バーのオーナーを任されているのと、昼は家で広告関連のアルバイトをしています。

――アルバイトもしているんですね!

愛猫の身体の都合で広い家に引っ越しちゃったので、とにかく家賃を稼ごうって(笑)。そもそも私、あまり絵で稼ごうとは思っていないんです。もちろんお金になったらうれしいけど、好きだから続けたいという気持ちが大きいから他のことでお金を稼いでいるんだと思います。覚悟がないと言われたら、本当にそうなんですけど、絵をやりたいからこそ、別の働き口で稼いでいるんです。

――バーを始めたきっかけは?

昔、京都のお茶屋さんで働いていたり、東京に出てきてからもホステスをやったりしていたので、接客のノウハウがあって。「ここでお店をやりたい」っていう共同経営者の方から「いろいろ教えてほしい」と言われ、協力しているうちに、よかったら一緒にやらないかと声をかけてもらいました。実は最初は断ったんですけどね。

――なぜ断ったのでしょう?

自信がなかったんですよ。34歳になる歳だったんですけど、自分の中ではホステスとかも向いているとは思えなかったし。それにバーって、オーナーがお店の顔になる部分があるじゃないですか。だからやるからには続けたいと思った時に、自分に務まるかどうか、人徳なんかあるのか?体力が続くかどうかなど、複雑に考えちゃったんですよね。

――いざやってみて、どうでしたか?

オープンして1年が経って、やっと今形になり始めた気がしますね。最初はファンの方もいらしていたんですけど、お茶1杯でずっといらっしゃる方とかもいて、なんだか自分で自分の価値を下げている気がして今は禁止にしちゃったんです。もちろんファンの方は大事なんですけど、個展とかに来ていただきたいとなると、そうやっていつでも会える自分でいることって、アイドルでもないし、キャバクラでもないから違うなと思ったんですよね。そこらへんをコントロールするのには苦労しました。でも、ありがたいことに『バチェラー・ジャパン』に出た後に上京してきて、すごくタフネスさが増していったこと、はっきりと意見が言えるようになったこともあって、そこまで困ったことはないかもしれません。

■鬱から抜け出せられなかった3年間

――タフさが増したと感じるのはなぜ?

実は、結構東京に来てから苦労したんですよね。30歳の時に出てきたんですけど、今まで住んでいた世界とは何もかもが違って。簡単に言うと、心根が汚い人もいっぱいいますし、同じ年代の同じ女性でも全然価値観が違って、自分が搾取される側だなと思ったというか…。すごく自分が萎縮しちゃった時期があったんです。恥ずかしながら3年ほど、鬱っぽくなっていた時期もありましたしね。その頃の記憶がプツプツ切れてるのですが(笑)。でも、今は自分がちゃんと選ぶ側にならなきゃダメだなって思って、自分の意思で立てるようになりました。

――メンタルが沈んでしまったのは、なにか原因があったのでしょうか?

これ、といった原因があったというよりは、恋愛、人間関係、家族、環境が変わったこと全部に感じていた違和感が積み重なった結果かなと思っています。舞台に挑戦したこともあったんですけど、その舞台が終わった後に一気にぐわっと来て。今思うと『バチェラー・ジャパン』に出て以降、勢いを落とさずに進んでいたことも原因になっている気がするんです。できることはなんでもしよう、って。全力だったからこそ、突然糸が切れたような状態になって。黒髪のおかっぱヘアーをしていたりして、ファンの人たちの中には気づいていた方もいるかもしれないですけど、なかなか鬱から復活することができませんでした。

――いつ頃、抜け出した感覚がありましたか?

それこそ去年ぐらいだと思います。それまでは迷走しちゃったり、しんどいことが連鎖して負のループにいました。SNSに関しては、みんなが求める“まみちゃん”でいることを意識しすぎて勝手に疲れちゃったことも。ただ、インフルエンサーになる為にバチェラーに出たわけではないし、人に尊敬されたいとか憧れられたいとかもなくて…。ただ第一に、絵描きとして、そして、普通の1人間として、愛猫撫でながら、必死に働いてでも暮らしてる方が、わたしは超幸せだなって。9万人ぐらいフォロワーがいたインスタグラムを消したのはその頃です。

――消した直後はどんな気持ちでしたか?

すがすがしかったですね。私は昔から過去にはとらわれないと決めていて、The Stone Rosesの歌詞である「The past wa s yours But the future's mine」という歌詞をモットーにしているんです。日本語にすると「過去は君にくれてやるが、未来はわたしのものだ。」と言う意味。過去には敬礼して手放していく、常に今が一番幸せだと思える生き方がしたいんです。自分が選んだ全てを正解に持っていく生き方というか。例えこのインタビュー時期が鬱状態の私だったとしてもです(笑)。今生きている自分やみんなが、いつだって最高傑作なんです。大切な人にもそう思ってほしい。生きていることに誇りを持って、何があろうと惨めさなんて感じなくていいと。自分の何かを通して伝えるクリエイティブや生き方をしたいと思っています。

――今の倉田さんにとって、東京はどんな街ですか?

人に嫌なことをされた分くらい、人に良くしてもらったので、大好きな街です。『バチェラー・ジャパン』で出会ったスタッフさんもだし、たくさん恋もしましたし。京都で体験できなかったようなことやものにもたくさん出会えましたからね。また、どこか別の場所に住みたくなったら分かりませんけど、ネガティブな理由でこの街を去ることはないと思います。

■ストレートすぎる恋に「ゆっくりいこう」と言われたことも

――恋はたくさんしたんですね。

はい、忘れられないような恋もしましたし、今もチラチラ恋してます。

――番組参加時から、恋愛観に変化はありましたか?

正直、大きな部分は全然変わってないですね。あの時言った「誰かに嫌われないと、誰かに愛されない」とかは今も思っていますし、本当に『バチェラー・ジャパン』に出ていた時はありのままの自分だったなと思っています。全然経験もない中で、ちょっと良いこと言わなきゃなと思っちゃって、その意味をちゃんと分かりきっていなかったのに「愛は許すこと」と言ったこともありましたけどね(笑)。ま、許すことに変わりはないんですけど(笑)!でも「めっちゃ結婚したい!」という気持ちは年齢とともになくなっている気がします。結婚じゃなくても、いつかパートナーがいてくれたらいいなとは思っていますけど。

――では、自分のペースで恋をしている感じなんですね。

そうですね。いいなと思う人がいたら。ただ、年々ストレートさが増していて、どんどんいこうとしちゃっているみたいで、いいなと思った人に「デートしましょう!気になります!」と言ったら「いや、もうちょっとゆっくりいこうよ」と言われたこともあって。まだまだ恋のしがいがありますね(笑)。でも選ばれる側ではなくて選ぶ側、“バチェロレッテ”として生きている今がすごく心地良いですね。もはや、バチェロレッテとして生きてますわ(笑)!

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  • 今どきわらじなんか履かんて。見たことない。
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