挿絵/小指―[すこしドラマになってくれ〜いつだってアウェイな東京の歩き方]―
ただ東京で生まれたというだけで何かを期待されるか、どこかを軽蔑されてきた気がする――そんな小説家カツセマサヒコが“アウェイな東京”に馴染むべくさまざまな店を訪ねては狼狽える冒険エッセイ。今回訪れたのは、東の歌舞伎町とも言われる繁華街・錦糸町。飲食店が立ち並び、夜のお店も多いディープな街だ。
そんな地に人生で初めて降り立った著者が向かったのは町中華の『桂林』。いったいどんなお店なのか? 願いは今日も「すこしドラマになってくれ」。
◆美味しかったはずなのに【錦糸町駅・桂林(中華店)】vol.5
東京都墨田区の南側に、錦糸町という街がある。
大学に通っていた頃、仲の良い友人が「俺たち、錦糸町のラブホ全制覇を目指してるんだよ」と、隣に座る彼女を抱き寄せながら言った。彼女もまんざらでもない顔をしていて、二人の脳は性欲に溶かされてしまったんだと思った。
それをきっかけに「錦糸町はラブホテルの巣窟」と頭に刷り込まれた。あれから約18年。すっかり令和である。
4月、午後2時。人生で初めて、錦糸町駅に降り立った。
グーグルマップに指示されるまま北口を出て、少し歩く。錦糸公園という大きな区立公園に入ると、ベビーカーを押す若い夫婦やテニスコートに入っていく老人たちなどが目に入る。ラブなホテル街とは到底思えない穏やかな景色が、まったり広がっている。
ウィキペディアで雑に調べると、同じ錦糸町でも、反対側の南口は、ラブホ街やキャバクラ街、性風俗街、場外馬券場などが集まる「東京23区東部最大の歓楽街」らしい。
駅の出口によって空気がガラリと変わる街を、いくつか知っている。治安等の課題はあるのだろうけれど、街がそこに生きているような気がして、なんだか面白いよなといつも思う。
さらに5分ほど足を進める。交差点に面した飲食店に、10人近くの列を目撃する。
看板を見れば、「桂林」とある。今回の目的地としている、老舗の町中華店である。
心音が大きくなった気がした。それが興奮よりも緊張によるものだと、すぐにわかった。私は、一人で行列に並ぶのが大嫌いだった。列に並んでいる自分を俯瞰で捉えたとき、いかにも有象無象の一つになった気がして、恥ずかしくて耐えられなくなる。
列に並ぶ人たちは、皆一様に、常連客のような空気を醸している。これもまた、嫌いなポイントである。
「キミ、桂林初めてなの? ふぅん。ま、せいぜい楽しんで」
余裕たっぷりに馬鹿にされている気がする。どの世界も、オタクがジャンルを殺す。
列はするりと進み、私も混雑した店内に入る。4人掛けテーブルが5つほどと、15人掛け程度のカウンター席がある。客層は思いのほか若く、大学生らしき女性2人組の姿も、ちらほらある。
私はカウンター席に通された。お一人様の勲章のような、見事なカウンター席である。
他の客が頼んでいた、海老炒飯なるものを頼んでみる。
店員さんはそっけなく対応していて、そういうところにもツウっぽさを感じる。カウンターの常連たちは静かにスマホをいじっているので、そわそわしながら真似していると、とうとう自分の元にも、海老炒飯が来た。
炒飯は卵に包まれていて、その上ではいくつかの海老が踊るように向き合っている。
早速食べる。これが、べらぼうに美味い。さすが列を作って食べるほどのグルメだ。先ほどまでの恥じらいをあっさり忘れさせてくれる美味さじゃないか。
あっという間の完食だった。満たされた帰り道、ふとお店の口コミサイトを開いた。
「海老炒飯がインスタ映えすると話題! 若い人に大人気」
私が常連だと思っていたお客たちは、実は映えた炒飯を撮りたいだけの一見客だった可能性が出てきた。
それで、なんだかドッと疲れが出て、帰りの電車は6駅分寝過ごして帰った。
美味いものは美味い。そう思いたいのに、口コミひとつで不味くなったように感じるのはなぜだろうか。
カメラロールを開けると、炒飯の写真は一枚も写っていなかった。本当に美味かったんだと、その不在だけが背中を撫でてくれた気がした。
<文/カツセマサヒコ 挿絵/小指>
―[すこしドラマになってくれ〜いつだってアウェイな東京の歩き方]―
【カツセマサヒコ】
1986年、東京都生まれ。小説家。『明け方の若者たち』(幻冬舎)でデビュー。そのほか著書に『夜行秘密』(双葉社)、『ブルーマリッジ』(新潮社)、『わたしたちは、海』(光文社)などがある。好きなチェーン店は「味の民芸」「てんや」「珈琲館」