ノーベル生理学・医学賞の受賞が決まり、花束を受け取る大阪大の坂口志文栄誉教授(右)=6日午後、大阪府吹田市 細菌やウイルスから体を守る免疫システム。多くの研究者が免疫力を強める方法を探る中、坂口志文・大阪大栄誉教授は「免疫反応をいかに抑えるか」をテーマに研究を続けてきた。異端視された時期もあったが信念を貫き、過剰な免疫反応を抑える新たな治療法へと道を開いた。
滋賀県出身。子どもの頃からいろいろな本を読み、のんびりと育った。県立長浜北高から京都大医学部に進み、免疫系の病気に興味を持った。
正常な免疫システムは体内に侵入したウイルスなどを攻撃するが、関節リウマチなどの自己免疫疾患では自分自身を攻撃してしまう。「自分と、自分ではないものをどう区別するのか。哲学的な面白さがある」と坂口さんは話す。
大学院生のとき、愛知県がんセンターのグループが、胸腺を取ったネズミが自己免疫疾患のような病気を発症するという論文を発表し、興味を持った。「面白くない」と感じていた大学院を思い切って中退し、がんセンターの研究生に。一般的な研究者のルートから外れた。
1982年、正常なリンパ球の中に免疫を抑えるものがあるという論文を発表。85年には制御性T細胞の存在を確信した。
ただ、当時の免疫学の主流は、坂口さんの研究テーマとは全く逆の「免疫反応をいかにつくり出すか」だった。免疫反応を抑制する分野の研究は70年代後半に脚光を浴びたが、坂口さんは「だんだん議論がしぼんでいく」中での研究を余儀なくされた。
米国で10年ほど研究し、帰国後もすぐ大学には戻らず、他の機関で研究を続けた。95年に制御性T細胞のマーカー(目印)を発見。少しずつ理解が広がる中、2003年に制御性T細胞の重要な分子を見つけた。現在では自己免疫疾患のほか、がんの新たな治療法につながる研究として高く評価されている。
他の免疫学者は「世界中から認められず、長らく不遇の研究人生を過ごした。普通の研究者だったら諦めてやめていただろう」と指摘するが、坂口さんは「私はうどんのような(太い)神経。不遇とは思わなかった」と苦笑する。
研究の世界では、その時々に有力な理論や考え方が提起され、変化していく。坂口さんは「世の中の理屈が変わっても、自分の研究の原点に立ち返って再出発してきた」と振り返り、若い研究者に向けて「自分は何を知りたいのか、興味を持ち続けることが重要」と助言している。